明治初期に建造された木製洋式燈台!大阪府「旧堺燈台」徹底解剖


2020.11.28

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燈台は船舶の航行と安全をはかるために欠かせない施設。燈台の歴史は古く、日本においてもその存在は近代以前にまでさかのぼりますが、大阪府堺市には日本最古の木製洋式燈台が残されていること、ご存じでしょうか?その名も「旧堺燈台」。今回は明治時代初期に建造された旧堺燈台の構造をご紹介しましょう。
現存する日本最古の木製洋式燈台!旧堺燈台
「旧堺燈台(きゅうさかいとうだい)」は、大阪府堺市にある燈台。1877年(明治10)に完成したもので、所在地を変えずに現存する木製の洋式燈台としては、日本最古の燈台の一つです。
中世以来、畿内有数の港湾都市として繁栄してきた堺において、燈台は船舶の航行と安全を守るために必要不可欠な施設でした。そんななか、新たな燈台の設置が求められます。そこで高山保次郎などの地元の有力者が建造資金を出し合い、当時の堺県が補助金を上乗せする形で、当時としては珍しい洋式の木製燈台が建造されたのです。
以来、旧堺燈台は堺港とその周辺海域を照らし続けましたが、埋立工事が進んだ影響により、1968年(昭和43)、燈台としての使命を終えました。名称に「旧」と入っているのは、そのためです。
堅牢な石積みによる土台部分
まずは土台部分から見ていきましょう。
土台は石積み。その築造には現在の岡山県出身の石工・継国真吉がたずさわりました。
こちらは燈台の背面側(海側)の土台部分。石積みで固めた陸地の上にさらに石を積み上げているのがわかります。波の影響を受けにくくするため、最下部の陸地部分は海に向かって突き出す形に組まれていますよ。
発掘調査の結果、燈台内部の6本の柱は石積みの下2メートルのところまで埋め込まれていたことが判明しています。燈台を支える柱の基礎を石積みでしっかりかためることにより、強風や高波などの影響によって倒壊しないよう、工夫が凝らされていたわけですね。
入口部分には、現在、桟橋が設けられています。そこから燈台の本体までは、別途、石段がしつらえられています。
六角錘形の燈台本体
灯塔部の建造を請け負ったのは、堺在住の大工・大眉佐太郎ら。その高さは11.3メートルで、現在は六角錘の形をしていますが、建造当初は八角錘形でした。
正面入口は庇付き。建築当初、こちらの1階部分には壁板がなく、「筋違(すじかい)」が剝き出しの状態であったようですが、その後、壁板が取りつけられました。
庇の上にしつらえられたレトロ感あふれる意匠もあわせてご覧ください。
正面には、各階ごとに採光用の窓がとりつけられています。何ともお洒落な造型だと思いませんか?
最上階の光源部分
最上階は燈台のもっとも重要な設備である光源が据えられています。
建造当初は横浜の燈台寮よりフランスのバービエール社製の機器が設置されていました。その設計には英国人技師ビグルストーンがたずさわっています。
写真はその背面を撮影したもの。本来、光を放つ部分に内側からシールドが張られ、光がもれないようになっていることに、お気づきになる方もいらっしゃるでしょう。
先に説明したように、これは旧堺燈台が現役の燈台ではないため。現役の燈台のように光が海側に漏れると、沖を航行する船舶に影響を与えてしまいかねないからです。
燈台としての役割を終えた旧堺燈台
旧堺燈台が現役として活躍していた当時、その向こうには大阪湾が広がっていました。しかし、現在、目に入って来るのは埋立地の上に広がる工場ばかりです。
旧堺燈台の脇を走るのは、阪神高速4号湾岸線。
周囲の工業地帯や高速道路をご覧いただくと、旧堺燈台の歴史的な使命がすでに終わっていることを実感できるでしょう。
旧堺燈台のかたわらには、「燈台の光を見つつ」と題された詩人・伊藤静雄の文学碑も建立されています。こちらをご覧になりながら、旧堺燈台の在りし日に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
旧堺燈台がいかに貴重な近代建築であるか、おわかりいただけたでしょうか。堺の市街地からも徒歩圏内にあるため、アクセスも良好。旧堺燈台に足を運び、その構造をご堪能ください。 

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旧堺燈台
place
大阪府堺市堺区大浜北町5-1-22
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