
日本の国技である「相撲」。しかし、相撲がいつ、どこではじまったのか、どれだけの方がご存知でしょうか?実は奈良県桜井市には、相撲発祥の地といわれているところが存在します。その地の名は「穴師」。今回は相撲発祥の地とされる「相撲神社」とその周辺に点在する「穴師」の観光スポットをご紹介しましょう。
相撲の起源を伝える「相撲神社」
『日本書紀』によると、「相撲」がはじめて登場するのは、垂仁天皇の時代。出雲国出身の野見宿禰と大和国出身の當麻蹶速(当麻蹴速)とが垂仁天皇の前で取り組みをおこなったのがはじまりです。
このときは野見宿禰が勝利しますが、「二人相對立、各舉足相蹶、則蹶折當摩蹶速之脇骨、亦蹈折其腰而殺之」と記されているように、当時の「相撲」は格闘技に近いものであり、相手を殺害するまで戦ったことがわかります。奈良時代になると、宮中で「相撲節会」がおこなわれるようになり、宮廷儀礼の一つとなりますが、現在、私たちがイメージする相撲のスタイルが定まるのは江戸時代になってからです。
写真は奈良県桜井市の「穴師(あなし)」の地に鎮座する「相撲神社」。相撲神社は「穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)」の摂社で、野見宿禰と當麻蹶速が取り組みをおこなったのは、この「カタケヤシ」と呼ばれている地であるとされています。
境内の奥に進むと、本殿が鎮座しています。もちろん、祭神は、歴史上、はじめて相撲をとり、勝利をおさめた野見宿禰です。
境内の一角には、相撲神社の名にふさわしく、土俵も設けられています。
相撲神社ならではのオブジェ
相撲神社である以上、境内に点在するオブジェも当然、相撲にちなんだもの。こちらは桜井ライオンズクラブの有志によって設立されたお相撲さんのオブジェです。
こちらは野見宿禰をかたどったオブジェ。「勝利之聖 野見宿禰」という作品名で、日本相撲協会の後援のもと、日本画家・フレスコ画家として活躍した長谷川路可によって描かれた作品を彫り込んでいます。
<相撲神社の基本情報>
住所:奈良県桜井市穴師
アクセス:JR巻向駅より徒歩約30分
相撲神社の本社である「穴師坐兵主神社」
相撲神社からさらに山側に歩いていくと、相撲神社の本社である穴師坐兵主神社が見えてきます。祭神は兵主神など。もとは「弓月岳」に鎮座していましたが、後世、現在の地に遷りました。
燈籠の軸にも大きく「穴師社」と刻まれています。
しかし、この「穴師」という不思議な社名は、いったいどこに由来するのでしょうか。たとえば、谷川健一は『青銅の神の足跡』のなかで金属採掘民のいたところであると推定しています。
穴師坐兵主神社でもう一つご覧いただきたいのは、こちらの狛犬。何ともユーモラスな表情だと思いませんか?
<穴師坐兵主神社の基本情報>
住所:奈良県桜井市穴師
アクセス:JR巻向駅より徒歩約35分
石室にも入れる!「珠城山古墳群」
相撲神社や穴師坐兵主神社へ向かう途中には、「珠城山古墳群(たまきやまこふんぐん)」と呼ばれる古墳群もあります。
珠城山古墳群は3基の前方後円墳から成り立っており、古墳時代後期に築造されたもの。墳丘には、鳥居のある小道から上ることができます。
3基のうち、全長50メートルから成る1号墳には、横穴式石室が開口しており、内部に入ることもできます。入りやすい石室なので、ぜひ内部もご覧ください。
<珠城山古墳群の基本情報>
住所:奈良県桜井市穴師
アクセス:JR巻向駅より徒歩約20分
歴代天皇の宮も!景行天皇纒向日代宮伝承地
ヤマト王権の中心地であった付近一帯には、歴代の天皇の宮が置かれていました。写真は相撲神社の近くにある景行天皇の「纒向日代宮」の伝承地。ほかにも、垂仁天皇の「纒向珠城宮」のあったところとされる地も残されています。
眺望もよく、大和平野を一望することができますよ。
付近から真西に路を向けると、奈良県と大阪府とのあいだに立つ二上山を眺めることができます。二上山のふもとには、野見宿禰と相撲をとり、敗北した當麻蹶速の出身地である当麻地区もあります。
相撲神社を訪れた折、あわせて二上山とその山麓にも目を向けておきましょう。
<景行天皇纒向日代宮伝承地の基本情報>
住所:奈良県桜井市穴師
アクセス:JR巻向駅より徒歩約25分
