継体天皇陵の埴輪を焼いた工房!高槻市「新池埴輪製作遺跡」


2020.05.16

LINEトラベルjp 旅行ガイド

大阪府の北東部に広がる三島地域には古くより人々が住んでおり、継体天皇の陵墓と考えられている「今城塚古墳」をはじめ数多くの古墳が存在します。
高槻市の土室(はむろ)にある「新池埴輪製作遺跡」では今城塚古墳や太田茶臼山古墳、番山古墳など周囲の大型古墳から出土した埴輪を制作した工房や窯の跡が発見されており、「今城塚古墳 附 新池埴輪製作遺跡」として今城塚古墳に付属する形で国の史跡に指定されています。
巨大マンションに囲まれた古代空間
新池埴輪製作遺跡では古墳時代の5世紀中頃から6世紀中頃にかけて約100年間にわたり埴輪の生産が行われていました。川沿いの傾斜地に18基の埴輪窯、その上部の平地に3棟の大型工房が築かれており、これは埴輪製作施設として日本最大級の規模です。まさに大王(おおきみ)の事業にふさわしい工房跡だといえるでしょう。
また同時に発見された7世紀の集落跡からは新羅系の土器が出土しており、これは『日本書紀』の欽明天皇二十三年条に記されている、新羅人の子孫が住むという「摂津国三島郡埴廬(はにいほ)」であると考えられており、日本書紀の記述内容を裏付ける遺跡としても重要です。
現在の新池埴輪製作遺跡は「新池ハニワ工場公園」として整備されています。周囲に現代的なマンションが建ち並ぶ中、まるでエアポケットのように古墳時代の遺跡が残されており、現代と古代が交錯する景色のコントラストにロマンを感じます。
窯跡の実物が見られる「ハニワ工場館」は必見!
全部で18基ある埴輪窯は造営された時期によって3つのグループに分けられており、最も古いものが450年頃に太田茶臼山古墳の造営に伴って築かれた南側の3基です。そのうち2基は当時の姿に推定復元されており、残りの1基は発掘された当時の状態が再現され、視覚的に分かりやすい展示となっています。
次に古いのが480年頃に番山古墳などの造営のため築かれた中央の5基、そして最後のものが530年頃に今城塚古墳の造営のため築かれた北側の10基です。これらは北端の18号窯を除き、すべて植木による位置と形状のみの展示となっています。
最も奥まった位置にある18号窯は、新池埴輪製作遺跡に存在する最大の埴輪窯です。その遺構は丸ごと建物で覆われており、「ハニワ工場館」として実物の遺構を保存展示しています。
赤く焦げた土や、黒い炭、幾度となく使用され焼土が層になった床、散乱する埴輪片など、観察すればするほど実物ならではの迫力と生々しさが感じられ、窯の構造を知るのみならず、埴輪が焼かれなくなり打ち捨てられた当時の様子を垣間見ることができます。
大勢の職人が埴輪を作っていた大型工房
斜面上部の小高い平地には3棟の工房跡があり、そのうち2棟が復元されています。内部を掘り下げた正方形の掘立柱建物であり、その規模は一辺およそ12メートル、80畳もの広さです。さぞや多くの職人がこの建物に詰め、巨大古墳に並べる大量の埴輪を作っていたことでしょう。
なお、このような大型工房は5世紀のもので、6世紀になると一辺5、6メートルの竪穴式住居が建てられるようになり、住宅兼工房として住み込みで埴輪を作っていたと考えられています。
埴輪模型や漫画陶板でお子さんにも分かりやすい!
窯跡が並ぶ斜面の裾には遊歩道が敷かれており、その道筋に沿って新池埴輪製作遺跡で築かれた様々な種類の埴輪模型が並べられており、見て、触って、埴輪を知ることができます。
また漫画家であり京都精華大学の名誉教授でもあった故ヨシトミヤスオ先生の作画による解説漫画が描かれた陶板も数多く設置されており、大人のみならずお子さんも新池埴輪製作遺跡の成り立ちや古墳について楽しく学ぶことができるでしょう。
今城塚古墳と併せて訪れよう!
新池埴輪製作遺跡を訪れる際には、併せて今城塚古墳にも立ち寄ることをお勧めします。今城塚古墳は史跡公園としてとても良く整備されており、新池埴輪製作遺跡で作られた埴輪が実際に並べられていた場所として実感が増します。特に今城塚古墳の最大の特徴である祭祀場には家や人物、動物などをかたどった多種多様な埴輪が200点以上並んでおり圧巻です。
また今城塚古墳に隣接する「今城塚古代歴史館」では今城塚古墳や新池埴輪製作遺跡から出土した品々が展示されていますので、これらの史跡についてより一層理解を深めることができるでしょう。 

read-more
摂津富田
place
大阪府高槻市大畑町
no image

この記事を含むまとめ記事はこちら