400体の埴輪がお出迎え 宮崎市「平和台公園&はにわ園」


2019.08.31

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神話の里で知られる宮崎市の高台にある平和台公園には「紀元2600年」を記念して「平和の塔」が建てられ、周りを取り囲むように信楽焼きの「四魂の像」が設置されています。塔は展望台になっていて遠く日向灘を望むことが出来ます。塔の近くには400体もの埴輪が並ぶ「はにわ園」があり、一歩足を踏み入れると、古墳時代にタイムスリップしたように感じる空間です。
宮崎市平和台公園のシンボル「平和の塔」
宮崎市の標高60メートルの高台に広がる平和台公園は、自然林や丘の起伏をいかした遊歩道、アスレチック広場などが整備されている公園で、広大な芝生広場の中に立つ「平和の塔」は公園のシンボルになっています。
設計したのは日本サッカー協会(JFA)のシンボルマーク八咫烏(やたがらす)の製作でも知られる彫刻家の日名子実三(ひなこじつぞう)で、昭和15年(1940年)に紀元2600年を記念して建てられました。
塔の高さは37メートルあり、半分の高さあたりが展望台になっています。宮崎市街地が見下ろせるだけでなく、天気が良い日には遠く日向灘も見渡せ、早朝の太平洋から雄大な朝日が昇るのが見られる絶好の日の出スポットになっています。
塔の正面、芝生広場の中央あたりに八角形をした台があります。この上に塔に向かいあうように立って手を打つと、不思議なことに「ビ~ン」と金属製のバネをはじいたような音が広場中に響きわたります。平和台公園を訪れた際には試してみてはいかがでしょうか。
「勇」「親」「愛」「智」の四魂が立つ「平和の塔」
平和の塔の四隅には「勇」「親」「愛」「智」を表す四魂の像がたっています。「勇」の武人「荒御魂(あらみたま)」、「親」の工人「和御魂(にぎみたま)」、「愛」の農耕人「幸御魂(さちみたま)」、「智」の魚人「奇御魂(くしみたま)」の四魂の立派な像がまるで塔を守っているかのようです。
像は高さ4.5メートルの信楽焼です。幸御魂像の子供のモデルは、塔を設計した日名子実三の娘がモデルだと伝わっています。
昭和21年(1946年)、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の国家神道の廃止を指示した「神道指令」によって荒御魂像と塔正面に刻まれた「八紘一宇」の文字が撤去されました。しかし、塔の美術工芸品としての復元を目的に、像は昭和37年(1962年)、八紘一宇の文字は昭和40年(1965年)に復元されました。
芸術作品として塔を眺め、平和な世界を祈願してはいかがでしょうか。
本部マサさんが作成した埴輪が並ぶ「はにわ園」
宮崎県内では官庁や学校、ホテル、公園など公共の場所に埴輪が置かれているのをよく見かけます。宮崎といえば埴輪をイメージする方も多いのではないでしょうか。埴輪が400体もならぶ「はにわ園」が平和の塔の北側の森にあります。
「はにわ園」にならぶ埴輪は、宮崎市で埴輪の製作一筋に暮らした本部マサさんの作品です。古墳群で有名な西都原で育った彼女は古墳から出土する土器の破片で遊びました。そこから埴輪に興味をもつようになり埴輪作りに没頭するようになったといわれています。
自作のたくさんの埴輪を展示する場所を探していたとき、思い描いていた原始的な雰囲気をたたえていたこの場所に出会い、ここが「はにわ園」になったのです。
西都原で出土した「子持ち家」の埴輪や埼玉県で発掘された「踊る男」と名付けられた埴輪など、日本全国から出土した数多くの埴輪の複製が置かれています。
古墳時代にタイムスリップ?摩訶不思議な空間 「はにわ園」
古墳の型をした盛土の上に、日本各地で発掘された埴輪の複製品が並んでいます。遊歩道には琴を弾く男、水をくむ女、盛装の男子、盾を持つ男、踊る男などさまざまな苔むした埴輪たちが置かれ、古墳時代へといざなわれていくようにも感じます。
「ムンクの叫び」のような埴輪もあります。ムンクの叫びよりも愛らしい表情に逆に心が和むのではないでしょうか。所々に解説が書かれた看板があり埴輪について学ぶことができるので、平和台公園を訪れたら少し時間を取って「はにわ園」を散策することをおススメします。散策時間はおよそ20分程度です。
宮崎で生まれたと伝わる神武天皇が即位してから2600年後に建った「平和の搭」、古墳時代に迷い込んだような不思議な雰囲気の「はにわ園」。宮崎は神話のふるさとと言われますが、この場所で古代ロマンに触れてみてはいかがでしょうか。 

はにわ園
place
宮崎県宮崎市下北方町越ヶ迫6146
phone
0985353181
no image

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