三階建て養蚕農家が密集!兵庫県養父市「大屋町の大杉集落」


2019.03.12

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兵庫県北部、養父(やぶ)市の南西に広がる大屋町地区は、江戸時代から昭和初期にかけて蚕繭の生産で栄えた但馬屈指の養蚕地帯です。
安価な化学繊維が普及したことで養蚕業は廃れましたが、大屋町の中心部からやや西寄りに位置する大杉集落には今もなお巨大な三階建ての養蚕農家が極めて高い密度で残っており、他では見ることができないユニークな集落景観が広がっています。
古くより養蚕が営まれてきた大屋町
大屋町は兵庫県の最高峰「氷ノ山(ひのせん)」を水源とする大屋川によって作られた洪積地や河岸段丘に集落が点在する山村地域です。四方を山々に囲まれていて平地が少なく、冬は雪が多いことから、古くより副業として養蚕や家内製糸が営まれてきました。
江戸時代後期になると養蚕の技術が発達し、品質が向上した大屋町の生糸は丹後ちりめんの原料として使用されるようになります。また明治維新を迎えた後は京都の糸問屋を通じて横浜港から海外へも販売されていました。
明治中期以降には器械製糸が普及し、養蚕と製糸の分業が進みます。大屋町においても家内製糸をやめて繭の生産に特化するようになり、明治後期から昭和初期にかけて養蚕の最盛期を迎えます。
谷川の扇状地に古民家が建ち並ぶ大杉集落
大屋町に存在する集落のうち、大杉集落の大屋川左岸域では奥山谷川が大屋川へと注ぎ込む扇状地に家屋が密集して建っています。全部で27棟ある主屋のうち、一棟を除くほぼすべてが江戸時代後期から昭和30年代に建てられた築50年以上の古民家だというから驚きですね。
その多くが養蚕のために築かれた二階・三階建ての大型農家。江戸時代後期に建てられた平屋の茅葺民家を明治後期以降に上階を増築したものと、その形式に倣って新築したものが大半を占めています。
内部は一階部分が生活の為の居室であり、二階以上が蚕を飼うための蚕室です。居室は土間に面して四つの部屋を田の字に並べるのが一般的。蚕室は間仕切りのない一室となっており、蚕棚の大きさに合わせた空間を確保するため、どの建物もほぼ同一の高さになっています。
養蚕農家ならではの換気システム「抜気」に注目!
大杉集落の養蚕農家は二階以上に縦長の「掃出し窓」を持ち、屋根の上に一段高くせり上げた「腰屋根」を備えるのが特徴です。
「掃出し窓」は窓枠を床面まで下げることでゴミを簡単に外に掃き出せるようにしたもので、蚕室を常に清潔に保つための工夫です。
また四方の壁に換気口を設け、屋根の「腰屋根」と共に通気性を高めて蚕が過ごしやすい環境を整えています。これらの換気システムは地元では「抜気(ばっき)」と呼ばれており、但馬地域における養蚕農家ならではの特徴です。
アートギャラリーや宿泊できる古民家も!
大杉集落では空き家の活用が積極的に進められています。ふるさと交流の家「いろり」では大屋町在住の芸術家によるイベント「うちげぇのアートおおや」が毎年6月に開催されており、彫刻、陶芸、絵画、書道などの作品が展示販売されています。
また集落内にある二棟の養蚕農家が「但馬 古民家の宿 大屋大杉」として宿泊施設にリノベーションされており、豊かな自然に囲まれた大杉集落でゆったりとした時間を過ごすことができます。
<「但馬 古民家の宿 大屋大杉」の基本情報>
住所:兵庫県養父市大屋町大杉1055
電話番号0120-210-289
アクセス:JR山陰本線「八鹿駅」からバスで約40分、「大屋バス停」で乗り換えて約2分、「大杉」バス停下車徒歩約3分
二宮神社に奉納される伝統芸能「ざんざこ踊」
集落西側の山腹には集落の守り神である二宮神社が鎮座しています。文政11年(1828年)に築かれた本殿を中心に社殿が並んでおり、またその上部には18世紀中頃までに築かれたと推定される大福寺観音堂が建っています。
二宮神社の境内では毎年8月16日に「ざんざこ踊」が奉納されています。江戸時代初期に流行した病気を治めるために地元の庄屋が慶安2年(1642年)に伊勢神宮へと参拝し、その帰り道に奈良の春日大社で見習った踊りを氏神に奉納したのが始まりと伝わります。
「大シデ」と呼ばれる大太鼓を背負った四人の中踊りを大勢の踊り子が取り囲み、古式に則り踊る伝統的な民俗芸能で、まるで鬼の宴のようであることから「鬼踊り」とも呼ばれています。 

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古民家の宿大屋大杉
place
兵庫県養父市大屋町大杉1055
phone
0796691650
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