これも城の仲間?静岡「小島陣屋」は特別な遺構のある隠れた名所


2018.12.07

トラベルjp 旅行ガイド

城めぐりがメジャーな趣味となった今日この頃!世界遺産「姫路城」や、天空の城「竹田城」など有名な城にはたくさんの観光客が足を運びます。しかし、城は全国に3万~4万もあるといわれており、まだまだ知られざる名城が眠っているのです。今回は、静岡市にある「小島陣屋」をご紹介!江戸時代中期の陣屋遺構が見学できる小島陣屋は、全国に誇れる御殿書院の建物や、高石垣が現存するハイクラスの見学スポットなのです。
実は「陣屋」も「城」の仲間なんです!
静岡市清水区は、日本平や三保の松原など静岡を代表する名所が並ぶ観光都市です。駿河湾を臨む清水区は、古くから港町、旧東海道の宿場町として栄えました。
興津駅から車で15分ほどの場所にある国指定史跡「小島陣屋」は、江戸時代中期の1704年に、松平信治によって築かれた小島藩の藩庁です。明治時代になるまでの164年間、安倍・有度・庵原の三十カ村を支配していました。
そもそも「陣屋」とは一体何でしょうか?
江戸時代には、国持大名や城持ち大名といった家格の高い大名がいるなかで、石高の低い大名もいました。城を持つことの許されない石高の低い無城大名は、陣屋を築き藩政を行っていました。
陣屋とは、政治・住居機能のみに特化した施設のこと。イメージするならば小さな城です! ただし、城と異なる点は防御機能の差。陣屋では、敵の襲来に備えるというよりは区画をわける目的で石垣や堀が築かれていたのです。
3段の曲輪からなる小島陣屋は、東西150m、南北200mほどの規模を誇ります。そして小島陣屋は、なんと陣屋の中でも例外とされるアレがあるのです!
何がスゴイって、見て!この高石垣
陣屋には、人の背丈の2倍近くある石垣がズラっと続きます。高い石垣を設けるということは、敵の侵入を拒むということ。陣屋の石垣にしては分不相応なほど立派な防衛が施されています。
小島陣屋の立派な高石垣は、陣屋のなかでも例外中の例外!ぜひ、一度目にしておきたいものです。
特に必見は、陣屋内で最も高い4mある大手石垣! きっちり加工した石を隙間なく積む「切り込みハギ」と呼ばれる加工がされています。これでは石垣に取っ掛かりがないため、もしもの時は敵兵は登ることができませんね。
大手石垣は、石垣の積み方や、加工の仕方にバラつきがあるため、どこかの時代で修理された可能性もあると考えられています。この加工方法の異なる石垣もまた一興! 江戸時代に藩政の中枢となった小島陣屋は、これから歴史の語り部としての役目を新たに担い、地域の人々、そして歴史ファンに城めぐりの面白さを教えてくれています。
城郭遺構の特徴「枡形虎口」
珍しい陣屋遺構は高石垣だけではありません。大手石垣の前に設けられた枡形虎口は、小規模ながらも小島陣屋の特徴の一つといえます。
「枡形虎口」とは、2つの門の間に四角形の空間を設けた出入口のことで、向かってきた敵兵の進行を曲げることで側面から反撃できるメリットがあります。つまり、城における防御機能の一つです!
生活と政治に特化した陣屋に枡形虎口は必要ありませんが、ある一定以上の石高があれば設けることができます。見栄えもよく、格が上がるため枡形虎口を設置したのかもしれませんね!
超珍しい!現存する御殿書院のある陣屋
明治時代になり陣屋の役目が終わると、小島陣屋は小学校用地として活用されました。陣屋内にあった御殿書院の建物は小学校の校舎として再利用され、小学校の移設とともに移築されます。
「御殿」とは、藩主の生活場所でもあり政治を行う建物のこと。そのなかでも「書院」は表向きの諸行事を執り行い、家臣や来客者と対面する場にもなりました。
ちなみに、城=天守のイメージがありますが、江戸時代の天守はシンボルの意味合いが強く、城の中枢機関は御殿だったのです!
現存する御殿書院の建物は、国道52号線(身延道)を北上した場所に移築されています。
城の御殿が現存する例は、川越城や高知城などたった4城のみ!かなり貴重です。陣屋においても御殿の現存例は極めて少なく、隠れた名所……城めぐりの穴場スポットといえるでしょう。家紋入り欄間や屋根瓦など、江戸時代中期の陣屋遺構を見学できる、とても貴重な建物となっています!
日本には、城が3万~4万ほどあると言われています。見応えのある有名な城を巡る旅も楽しいですが、少し視点をズラすと知らなかった名城が点在しているものです。
保存状態が良好な無城大名の陣屋遺構が見られる静岡市「小島陣屋」は、今後さらに注目されるであろう「知られざる名城」なのです! 

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