弾圧を逃れたキリシタンも!重要な歴史を持つ鹿角市・尾去沢鉱山観光


2019.02.26

トラベルjp 旅行ガイド

尾去沢鉱山の発見は奈良時代の和銅元年(708年)と古い歴史があり、昭和53年(1978年)の閉山まで約1300年もの間、掘り続けられました。坑内の総距離は実に800キロになり、多くの人の苦労を感じざるをえません。
また、あまり知られていないことですが、遠く長崎から弾圧を逃れここまで来たキリシタンの痕跡も。日本史に重要な意味を持つ、秋田県鹿角市の見どころ尾去沢鉱山を紹介します。
坑道への入口と頭上注意
「おみやげプラザ」という売店に隣接する場所が受付けとなります。入坑の手続きを済ませたら、赤レンガ調の入口を通り中に進みましょう。
一般の観光坑道は石切沢通洞坑コースで1.7km。これは特別コースを含めた距離であり、標準コースだけなら1.1kmで所要時間は約40分です。
ところで坑道は、一定の幅で作られているのではありません。高さも高低があり、場所によってはとても低い箇所がありますので、周囲に注意をして進んで下さい。
コースは近代から江戸時代まで、鉱山の歴史を一通り歩くことになります。採掘、運搬、そして坑内の事務所や採掘機材の修理場所などもあり、見どころは多いのでじっくりと巡りましょう。
上に向かって高さ30mも掘削が行われた跡です。鉱物を探す過酷な作業の様子が分かるのではないでしょうか。
ところで、尾去沢鉱山から産出される銅は日本で重要な意味がありました。昔は秋田県鹿角から青森県の野辺地まで、荷物は牛に乗せられ運ばれたのです。野辺地には港があり、そこから全国に船で運ばれて、街道を含め大いに栄えた歴史があるのです。
銅の他に金が採取されました。尾去沢鉱山から産出した金は、奈良の大仏や奥州藤原氏の岩手県西磐井郡平泉町にある中尊寺「金色堂」にも利用されたと言われます。日本は黄金の国として世界に知られた過去がありますが、各地に金山があったことは事実。尾去沢鉱山の金も重要な意味があったことでしょう。
山の神神社とお酒の貯蔵
入口から15分程度歩くと神社があります。文政9年(1826年)に山神宮として石碑が建てられたことが始まりです。
神社の反対側には日本酒とワインが並んでいます。温度と湿度が酒の保管にちょうど良いのです。
見事に並んだまるでワインセラーの様子。坑道の中ということを考えれば、ユニークな眺めと言えるのではないでしょうか。
事務所や休憩所と作業の様子
観光コースの奥深い所に、事務所や休憩所が整備されていました。ここで仕事の確認をし、また休憩を取っていたのです。当時を再現する場所にはマネキン人形が使われていますので、驚かないようにして下さい。
これは作業の様子です。狭い中で過酷な作業だったのではないのでしょうか。
近代では、坑内で機器や機材の修理をしながら作業は続けられました。その理由として機材を外に出すと時間がかかり、作業がはかどらないことになるからです。しかしながら坑内で修理をすれば作業は効率的でも、それだけ長い間外に出る時間が無かったことになります。大変な仕事であったことが分かるのではないでしょうか。
江戸時代コースで見る弾圧を逃れたキリシタン
坑道観光が江戸時代のコースになると様子は一変します。機材を使う前の時代は、全て手作業。その様子も再現されており、当時の苦労が伝わってくるかも知れません。
慶長17年(1612年)から翌年にかけて、江戸幕府によってキリスト教の禁教令が出され、やがて弾圧が始まりました。西日本に多くいた信者たちは、取り締まりを逃れこの地にまで。特に九州では島原の乱があり、この頃に遠く長崎から信者が逃れてきたのです。
なお、鉱山では十字架を礼拝することが大目に見られていました。坑道内ということで外部から分からず、禁教令よりも作業者の確保が優先であったことが要因とされています。坑道内の一部には信者が壁に刻んだ江戸時代の十字架が今も残されていますので、ぜひ足を止めてみて下さい。
長い歴史がある尾去沢鉱山の雰囲気を十分に感じながら、観光を楽しんでみて下さい。
最後に、秋田県は観光地として魅力的な見どころが多数あります。大自然散策が楽しい「森吉山」、「小安峡」、「小又峡」、グルメでは「稲庭うどん」、そして南極を知ることが出来る「白瀬南極探検隊記念館」。
詳細は下記の関連MEMOにリンク設定していますので、ぜひ、旅行の参考として下さい。 

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史跡尾去沢鉱山
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秋田県鹿角市尾去沢字獅子沢13-5
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[4-10月]9:00-17:00[11-3月]9:…
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