漁師町の鎮守だった東京「鮫洲八幡神社」!眼下に広がっていた大海原の記憶


2018.11.24

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鮫洲八幡神社は旧大井村の総鎮守として江戸前期に創建されました。境内には漁師達によって奉納された海上安全を祈願した奉納物が多く残っています。都会の喧騒から離れた神社界隈には、大衆食堂などが軒を連ねており、下町情緒に思わず癒されます。また、区民が選ぶ「しながわ百景」にも指定され、石碑などから旧東海道沿いの名残を垣間見ることができます。境内裏手には京浜急行が通り、通勤前に参拝する住民の姿が印象的です。
神輿が海を練り歩いた粋な時代!漁師の熱気を今に伝える風土
鮫洲八幡神社は1660年代に創建されたと言われ、正確な記録は残っていません。町が開かれて以来、旧大井村御林町の総鎮守として人々に崇められてきました。
「御林」という地名の由来は、江戸幕府の直轄地であった林地を開発したのが始まりです。主に海産物を納入する「御菜肴八ヶ浦」によって町は発展しました。ちなみに「鮫洲」という地名は存在せず、品川区「東大井」に神社は鎮座しています。
漁業が盛んだった昭和30年代以前は、毎年「神楽湯立」などの神事が行われていました。夏には海上安全・豊漁・船中守護を祈願する「海中祭」が催されていた記録が残り、「惣町大神輿」の海中渡御が行われていたと言います。
こうした漁業にまつわる信仰の歴史や風土が評価され、「区制40周年」「区民憲章制定5周年」を記念して1987年に「しながわ百景」に選定されました。
参道の左手にある「手水舎」を前にすると一瞬戸惑ってしまいます。なぜなら、水は流れておらず蓋がされており、柄杓は乾いた状態なのです。
水盤の中央部分だけが開閉可能となっており、水が溜まっている状態です。重みのある蓋を再度閉めなければならないので、手を清めた後も怪我をしないよう注意が必要です…。ちなみに手水舎の彫刻は旧社殿のものが転用されています。
5社が密集する神社の複合施設!迷ったら本殿前に集合せよ?
本殿は1738年に修復・遷宮が行なわれ、1813年にも再建されています。さらに1929年には大井村御林町に鎮座していた白山神社が合祀されました。約100年ごとに社殿の整備がされていることから、地元住民の鮫洲八幡神社への信仰心が伺えます。
境内は「玉垣」に囲まれ、鳥居から続く参道の先には「三対の狛犬」が置かれています。鳥居近くの小ぶりな狛犬は太平洋戦争中の1941年、手水舎を過ぎた辺りの狛犬は1849年の幕末期に造られました。
この狛犬には子宝の御利益があるとされ、男児を望む場合は右、女児を望む場合は左の狛犬に祈願するそうです。
1972年に造営された「八幡造」の社殿には賽銭箱が設置されておらず、小さな間口に流し込むようにして小銭を入れます。社殿内は汚れないようガラス板がはめ込んであるため、晴れた日には反射して内部がよく見えません。
また掲示物が至る所に張られているので、境内に点在する他の社殿や参拝作法など、分からないことがあればスマホやガイドブックで調べなくてもすぐに分かります!
本殿右手には立身出世を祈願する「出世稲荷神社」(宇迦之御魂命)が鎮座しています。新緑の季節には鳥居右手の巨木が葉を茂らせ、さらに趣きのある空間に装いを変えます。
出世稲荷の隣を通る参道が「北参道」となり、鮫洲駅改札口への近道となっています。境内の奥まった角地に建っている為、さすがに通勤ラッシュのタイミングで足を止める人はほとんどいません。
同名の神社が鎮座!信仰形式のモデルは世界遺産の「厳島」
背景には赤い車両の京浜急行が通り過ぎていきます。白い鳥居の右奥にあるのは「宮神輿」が納められている神輿倉です。この神輿は毎年8月14日(お盆期間中)前後の金曜日~日曜日にかけて行われる「例大祭」で観ることができます。
「大神輿の宮出し」は土曜日の深夜3時~早朝7時まで、巡行の途中で休憩を取る「御旅所」まで担がれます。
白い鳥居を潜って進んでいくと、2つの社が見えてきます。池のほとりにある「厳島神社」と「漁呉玉神社」です。漁呉玉は「なごたま」と読みます。
弁天様と合祀した厳島神社や漁呉玉神社は、どちらも水との繋がりが深い神を祀っており、漁師町として発展した信仰の歴史を伝えています。本殿の八幡社だけではなく、境内に点在する神々へも古くから漁師達は崇敬をしてきたのです。
釣り堀のような「弁天池」には多くの鯉が泳いでいます。池の中央には祠が置かれ、「鮫祠」と呼ばれています。
広島の「厳島神社」を模した海上信仰の造りは、漁師達の海に対する安全祈願の現れです。この形式は古代から継承された「島」全体を神として崇める慣習だと考えらます。(祠が島に相当する)
なお、水が多いことからヤブ蚊が大量に発生しますので、防虫対策は万全にしてください。
鮫洲の歴史が刻まれた石碑から漁業の隆盛を偲ぶ
神社の社務所では御朱印が頂けます。宮司は不在の日が多く、事前の連絡をした方が良いでしょう。初穂料は基本的に参拝者の「心付け」となっています。
かつて神事を近隣の「常林寺」と「来福寺」が奉仕していたこともあり、社務所の建築様式も二階部分は寺院特有の「花頭窓」となっています。神社内の建築物としては珍しい光景です。
富士浅間大神の碑は、かつて境内に「富士講」が存在したこと伝えています。「富士講」は富士山崇拝を目的とした組織で「浅間講」とも呼ばれます。
「祠」など当時の面影を偲ぶ形跡はなく、溶岩ような岩肌に建てられた石碑が信仰心の強さを印象付けます。
鮫洲八幡神社にはいくつかの石碑が建っています。私財を投じて街の発展に寄与した小林久兵衛氏を顕彰するものや、埋め立て事業を記念する碑もあります。
境内には鮫洲の歴史が刻まれており、漁師町から現在に至るまでの変遷を神社が見守っていたことに気づかされます。立会川から南品川にかけての海域を「鮫洲」と称していた頃、江戸の絵図や浮世絵には海岸線が描かれていました。
旧東海道に鎮座していた社殿の前まで海が広がっており、その面影が奉納物から伺い知ることができるのは都内でも貴重なスポットと言えるでしょう。 

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鮫洲八幡神社
place
東京都品川区東大井1-20-10
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