触れる南極の氷とオーロラ観賞!秋田・白瀬南極探検隊記念館が面白い


2018.08.08

LINEトラベルjp 旅行ガイド

陸軍の軍人にして探検家の白瀬矗が、南極を目指した時代は明治。当時は世界が大冒険時代で、各国が競って南極を目指していました。幾多の困難を乗り越えながら、南極棚に到達したのは明治45年のことです。
白瀬は秋田県にかほ市出身で「白瀬南極探検隊記念館」が同市に建設されています。館内には本物の南極の氷、石、また隕石等が展示され、全て触ることが可能。他にもオーロラの上映があり、神秘的な観光が出来るのです。
白瀬南極探検隊記念館へ入館
秋田県にかほ市にある白瀬南極探検隊記念館が開館したのは、平成2年(1990年)のことです。設立の目的は、同市出身の陸軍中尉であった白瀬矗(しらせのぶ)の南極到達を記念するため。
一見、記念館には見えないユニークなデザインの建物。それもそのはず、こちらの建物は建築家の黒川紀章によるものなのです。階段を上がり左に進みましょう。
まるで宇宙基地にでも入るかのような入口のドア。二羽並んだペンギンの間を通りドアの前まで行くと、自動で開きます。
入って正面が受付となっており、展示スペースはその右側から。左側にはお土産コーナーがありますので、帰りの際には立ち寄り、かわいいグッヅを手に入れましょう。
様々な展示物はじっくりと見学
展示室に入ると、パネルと合わせ当時の物を使い、様々な歴史を知ることが出来ます。
再現された木造機帆船「開南丸」。命名は、東郷平八郎によるものです。これに乗って隊員30人と共に南極探検に乗り出すのです。
明治43年、白瀬は探検費用を議会に申し入れ、満場一致で可決されます。しかしながら、いざとなると政府からの補助はうやむやになり、支払われることはありませんでした。
そして多くの資金は、国民の義援金に頼らざるを得なくなりますが、無謀な挑戦と非難する人も多く、必ずしも国民が総出て送り出したのでは無かったのです。
義援金は集まりましたがそれだけでは足りず、また後に後援会が問題を起こしたこともあり、現在の価値にして約1億円の借金をすることになった白瀬。
返済が終わったのは昭和10年で74歳になっていました。明治45年、50歳で南極に到着していますので、実に24年もの間、返済を続けていたのです。
再現された木造機帆船「開南丸」は内部に入り、階段を上がることが出来ます。狭い場所となっていますので、周囲には十分注意をして下さい。
触れる南極の石と氷!
白瀬南極探検隊記念館の魅力は、実際に触れる南極の石や氷があることです。
展示されている南極の石は、にかほ町出身の奥山四郎氏が昭和58年、第二十五次南極観測隊の支援砕氷艦「しらせ」で南極に行った時に持ち帰ったもの。その感触を確かめてみましょう。
南極の石を左側に見ながら、雪上車展示コーナーに進むと途中にあるのが南極の氷です。
普通の氷が左、そして南極の氷が右に並べられており、実際に触って違いを感じてみましょう。
極点到達の雪上車を実物展示
前に進むと雪上車展示ゾーンとなり、正面に本物の雪上車が展示されています。これは昭和43年に、村山雅美隊長率いる第9次越冬隊が日本人として初めて南極点に到達した際に使われたもの。
階段を使って上にあがり、内部に入ることも出来ます。運転席に座り、雰囲気を楽しんでみましょう。
神秘のオーロラ映像と触れる隕石
南極の氷方向に戻り左折すると、隕石が展示されているコーナーとなります。その先がオーロラドームとなっており、定刻になるとオーロラの上映が開始。
様々な色に変化するオーロラ映像を、じっくりと観賞しましょう。
オーロラ上映が終わると、係員が実際に持ってみることが可能な隕石まで案内してくれます。
石は鉄隕石で、一般的には「いん鉄」と呼ばれるものですが、含まれている成分が純度の高い鉄であり、古代には同様の隕石から鉄の採取がおこなわれた程なのです。
見た目とは違って重く感じることが特徴で、こちらも日常では触ることが出来ない貴重な物。ぜひ、体験してみましょう。 

白瀬南極探検隊記念館
rating

4.0

13件の口コミ
place
秋田県にかほ市黒川字岩潟15-3
phone
0184383765
opening-hour
9:00-17:00(最終入館16:30)

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