香川県一の滝~幻の瀑布・稚児ヶ滝~


2018.08.05

LINEトラベルjp 旅行ガイド

坂出市の稚児ヶ嶽にかかる「稚児ヶ滝」は、大雨の後には水量が何倍にもなり、落差が県下一の約100mに達することから「幻の瀑布」と呼ばれています。稚児ヶ嶽の山上には、朝廷を呪いながら亡くなったという崇徳上皇の白峰御陵も。またここは、藩政期の怪奇小説「雨月物語」の舞台でもあります。崇徳陵に参拝し、稚児ヶ滝のミストシャワーを浴び、怪異の追体験と瀑布で涼感を得ましょう。
峨々たる岩山に懸かる稚児ヶ滝を遠望
稚児ヶ滝は地元の観光協会等のホームページでは道がない旨、記載されていますが、遍路道の途中から造林作業者が利用する踏み跡を辿ることで、ハイキングにも満たないような短時間で滝壺まで行くことができます。
降雨のない日が続くと滝の落差は数十メートルほどになりますが、滝の真下まで行ってミストシャワーを浴びることもできます。また、滝が懸かる稚児ヶ嶽は峨々たる絶壁の岩山で景観もいいため、アウトドアファンや写真ファンにもお勧めです。
滝自体の遊歩道は整備されていないため、駐車場もありませんが、車道と遍路道との分岐の200mほど手前に駐車スペースがあります。そこは石仏群のある昔の水飲み場前です。この車道は崇徳上皇陵の上にある四国霊場第81番札所・白峰寺に参る遍路道の一つを拡張したものなのです。石仏の中には修行大師像もあるため、弘法大師もここで喉を潤したかも知れませんね。
車道の右ヘアピンカーブ部から昔の遍路道が分岐しているので、これに入ります。すぐ白峯大権現の石鳥居が現れ、背後には稚児ヶ嶽の絶壁がそそり立っています。この岩山を形成しているのは約1万年前、地下のマグマが地表に押し出され、凝固したサヌキ岩質安山岩です。
稚児ヶ嶽の右側をズームで捉えると、稚児ヶ滝がかかっているのが分かります。ここから見る限りでは「あんな断崖に本当に登れるのか」と不安になるかも知れませんが、心配は無用。
崇徳上皇の怨霊VS西行法師
遍路道は少し進むと、不動像前で右急カーブとなりますが、像の横にはかつて太鼓橋が架かっており、その奥の修行場跡のさらに奥には、大飛瀑となって稚児ヶ滝が轟音を轟かせて落下していました。昔は落差が常時約100mあったのです。
近年の坂出市観光協会のホームページでは落差を約80mとしていますが、地元の四国新聞社を始め、大半のメディアが落差を「約100m」としていました。
不動像を過ぎ、更に左急カーブを過ぎると遍路道は長大な石段になります。この石段は明治22年に整備されたもので、道沿いには丁石地蔵や石灯籠が建立され、信仰の厚さが窺われます。
石段の途中から稚児ヶ滝への踏み跡が分岐するのですが、滝は後でゆっくり鑑賞することにし、先に崇徳上皇陵へ参拝しておきましょう。
しばらく登ると崇徳上皇陵経由で白峰寺へ向かうコースと、寺の駐車場に向かうコースとに分かれます。急な石段を上ると崇徳陵です。
崇徳上皇は皇位継承を巡る争い、保元の乱(1156年)で敗れ、坂出市に配流になりました。上皇は一般には8年間の幽囚生活の後、朝廷を呪う言葉を残して崩御したことになっていますが、藩政期の「讃州府誌」には、長寛2年(1164)8月26日、二条天皇から命を受けた讃岐の武士、三木近安によって暗殺された旨、記述されています。実際に暗殺伝承地には碑も建立されています。
それから3年後、都で上皇と交流のあった西行法師が崇徳陵を訪ねてくるのですが、陵墓の荒廃ぶりに驚きます。『雨月物語』ではこの時、上皇の霊が西行の前に現れ、朝廷への恨みつらみを吐露します。それに対し西行は憂き世のことは忘れ、往生するよう諭したのです。
香川県一の滝を独り占め
御陵近辺からは坂出市の有名観光地・五色台方面を望むことができます。
御陵や白峰寺の参拝を終えると、来た道を引き返していきます。稚児ヶ滝へのルートの分岐ですが、そこは前述の左急カーブを過ぎて長大な石段を少し上がった地点。足元を注視していると、石段脇の地面の高さが石段の高さと同じになっている箇所があるのですが、そこを南東に折れ、山中へと入って行くのです。
藪を抜け出ると檜の植林帯に出るのですが、植林帯の端まで行くと斜面を適当に下り、若干平坦になった箇所から東の樹林帯に入るのです。ほどなく眼前に稚児ヶ滝が現れます。平常は水量が少ないとは言え、県下一の大滝の風格は堂々としたものです。ミストを含んだ滝風は非常に心地良く、夏場はここから動きたくなくなります。
滝壺は猫の額ほどですが、側の上面が平らな石の上に寝そべり、訪れる者がいないこの景観とマイナスイオンを独り占めしましょう。 

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稚児ヶ滝
place
香川県坂出市

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