もうすぐ世界遺産!大阪・河内の古市古墳群を歩こう!


2018.08.09

トラベルjp 旅行ガイド

古市古墳群は、大阪府東南部の河内地方に分布する巨大古墳群で、大小45基の古墳が現存。百舌鳥古墳群とともに世界遺産登録への国内推薦が決定し、大阪ではじめての世界遺産になるかと注目を集めています。V字型の分布を示し、入門者向きから健脚向きまで様々な探勝コースがあります。体力と興味に応じて、古墳の形がわかる航空写真を参照しながら歩いてください。
允恭天皇陵古墳からスタート
古市古墳群は、大阪府の藤井寺市と羽曳野市にまたがり、複雑な分布をしています。したがって、あらかじめ予習して要領よく歩くことが大切です。入門コースは近鉄南大阪線土師ノ里駅から古市駅にかけてほぼ南へ歩く分かりやすい道筋になります。
まず、出発は土師ノ里駅北側の信号を渡って下ったところにある、允恭天皇陵古墳です。
允恭天皇陵は、墳丘長230mで古市古墳群としては4番目の大きさの古墳です。5世紀中~後期に造られたもので、市野山古墳とも呼ばれています。
駅に近いので現在は住宅に取り囲まれていますが、濠をはさんで巨大な墳丘が見られる存在感のある古墳です。
允恭天皇陵を見学したら、道を戻り駅から南のほうへ歩を進めます。
土師ノ里駅の西側の信号を渡ると、こんもりした一辺63mの方墳である鍋塚古墳があります。この古墳は仲姫命陵古墳の陪塚の可能性が高く、上まで階段がありますので、登って展望を楽しんでください。次に向かう仲姫命陵古墳が目の前に聳えています。
仲姫命陵古墳と古室山古墳
鍋塚古墳の南側に鎮座している巨大古墳が仲姫命陵古墳です。全長290mもあり、古市古墳群で2番目、全国でも9番目の大きさ。仲ツ山古墳あるいは仲津山古墳とも呼ばれており、5世紀初頭に、津堂城山古墳の後、応神天皇陵古墳より早く築造されたと推測されています。
仲姫命陵古墳の南東側にある濠沿いの歩道をたどると、この古墳の長さと質量を実感できます。ぜひ、南西側にある拝所まで半周してください。仲姫命陵古墳は国府台地の最高所にあり、墓域も広く、きわめて重要な古墳です。濠や外堤を含むと総全長は400mを越え造営当時は日本最大級の古墳だったと思われます。
仲姫命陵古墳の拝所がある南西側に前方部を向き合わせる形で濠のない中型古墳があります。これが古室山古墳で、全長約150mの前方後円墳。仲姫命陵古墳と応神天皇陵古墳を橋渡しするような形で横たわっています。この古墳は登ることが可能で、頂上からは生駒山系や大阪市方面を望めます。古室山古墳の築造時期については、仲姫命陵古墳より少し古いとする説が有力です。
応神天皇陵古墳と誉田八幡宮
古室山古墳の南には、西名阪自動車道が走っており、この高架下に一辺22mの小さな方墳の赤面山古墳があります。さらに南側すぐにあるのが大鳥塚古墳で、墳丘長110mの中型の前方後円墳。ここは登ることが可能です。
そして大鳥塚古墳の南側にそびえる超巨大古墳が応神天皇陵古墳。古市古墳群最大の陵墓で、拝所にたたずむと圧倒的な量感を感じます。
応神天皇陵古墳は、墳丘長425mの超巨大古墳で、仁徳天皇陵古墳につぐ全国第2位の前方後円墳。外濠と外堤は国の史跡に指定されています。仁徳天皇陵より高さがあり立体的な造形で、誉田御廟山古墳または誉田山古墳とも呼ばれます。5世紀前半から中頃、大王墓としては応神天皇陵に続いて仁徳天皇陵が築かれ、応神天皇陵の長辺を引き延ばしたのが仁徳天皇陵の形となり、超巨大古墳の関係性の深さが推測されます。
拝所は北側の前方部正面にあり、反対の後円部南側には誉田八幡宮が鎮座しています。これは八幡神が応神天皇の神霊と考えられたためで、江戸時代までは、八幡宮から古墳後円部の頂上にある宝殿まで石段が付いており参拝されていました。
応神天皇陵拝所から南へ半周するには、左右どちらのコースをたどってもかまいません。外堤を見る場合は西側の道を、誉田八幡宮に参拝される場合は東側の道を南へ歩いてください。
誉田八幡宮は、559年に欽明天皇によって創建されたと伝わり、応神天皇を主祭神とし最古の八幡宮と称しています。応神天皇の神格化と、八幡神が源氏の氏神とされることから、多くの信仰を集めました。誉田八幡宮所蔵の金銅透彫鞍金具は誉田丸山古墳の出土品ですが、国宝に指定されています。
墓山古墳と白鳥陵古墳
南側に歩を進めると、羽曳野市役所の裏山という感じの巨大古墳があります。これが墓山古墳。墳丘長225mの大型の前方後円墳で、古市古墳群では5番目の大きさの立派なもの。後円部の頂付近から数多くの滑石製勾玉が出土したことから、皇后クラスの女性が葬られているとする説があります。
墓山古墳の横にある小型の方墳が向墓山古墳(写真参照)。墓山古墳の陪塚でベンチと案内板があります。また隣接して羽曳野市文化財展示室があり見学可能です。
墓山古墳の西側にある一辺67mの方墳が浄元寺山古墳で、墳丘の形が良く観察できる古墳です。
浄元寺山古墳から南へ200mほど歩くと、スーパーの前に古市大溝という水路の遺構があり、そこをさらに南東へ進むと白鳥陵古墳に至ります。
白鳥陵古墳は全長200mの前方後円墳で、ヤマトタケルが白鳥に姿を変え最後に降り立った地という伝説があります。前の山古墳あるいは軽里大塚古墳とも呼ばれ、5世紀後期の造営です。百舌鳥古墳群の土師ニサンザイ古墳と相似形で、とても美しい形をしています。
仲哀天皇陵古墳と津堂城山古墳
白鳥陵古墳を見た後、北西方向にとって返し、仲哀天皇陵古墳を経て、津堂城山古墳に至る健脚向きの徒歩ロングコースがあります。一般的には、近鉄南大阪線の古市駅から藤井寺駅へ電車で移動して見学するのが良いでしょう。藤井寺駅からは南へ500mで仲哀天皇陵古墳に至ります。
仲哀天皇陵古墳は、全長245mで古市古墳群で3番目の大きさの前方後円墳。岡ミサンザイ古墳とも呼ばれ、5世紀末葉の造営ですので、古市古墳群では最後の巨大古墳となります。前方部南西角からの眺めが良いので、ぜひ当時の土木技術が到達した造形の美しさを堪能しましょう。東側には舟形埴輪をモチーフにした藤井寺市生涯学習センターのアイセルシュラホールがあり古墳の背景写真に最適です。
津堂城山古墳へは、藤井寺駅から近鉄八尾駅行のバスに乗り、小山バス停で下車してください。この古墳の後円部の先にはガイダンス施設「まほらしろやま」があり詳しく学習できますので、じっくり腰を据えて見学することをおすすめします。
津堂城山古墳は、古市古墳群の北端に位置し、墳丘長210m、造営は4世紀後半。すなわち、古市古墳群で最初に造営された巨大な前方後円墳です。非常に立派な長持形石棺があり、一説によれば河内政権の最初の王の墓とされます。
津堂城山古墳は、出土物も重要で、有名な水鳥形埴輪(写真参照)は平成18年に国の重要文化財となりました。この巨大な埴輪は内堀の島状遺構から発見されたもので、古墳を望む場所にコハクチョウと思われる大きな水鳥が置かれていたわけです。ぜひ津堂城山古墳を訪問され、美しい水鳥形埴輪が置かれていた往時の状況を想像してみてください。
なお、この水鳥形埴輪は、藤井寺市立生涯学習センターで本物を、近つ飛鳥博物館でレプリカを見ることができます。 

read-more
古市(大阪府)
place
大阪府羽曳野市古市
すべて表示arrow
no image
土師ノ里
place
大阪府藤井寺市道明寺1丁目
すべて表示arrow
no image
藤井寺
place
大阪府藤井寺市岡
すべて表示arrow
no image

この記事を含むまとめ記事はこちら