あのカワイイ建物は何?大阪・河内長野 観心寺の“とんがりお堂”の謎


2018.07.21

トラベルjp 旅行ガイド

大阪・河内長野の観心寺は、国宝の金堂をはじめ貴重な文化財が数多く残る名刹。また、鎌倉幕府の打倒に活躍した名将、楠木正成ゆかりのお寺としても知られます。
ところで、この観心寺の境内には一風変わったお堂がポツンと立っています。とんがり帽子のような屋根のかわいらしい建物。このお堂は一体何?
今回は、観心寺のご紹介とともに、この“とんがりお堂”の謎に迫ります。
何はともあれまずは観心寺「金堂」へお参りを
観心寺の実質的な創建は平安時代。827年、弘法大師空海の一番弟子・実恵によって伽藍が造営されたのが始まりです。
現代では、金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗にあって、遺跡本山(ゆいせきほんざん)という寺格を持つ、宗派の中心的なお寺の1つです。
観心寺境内へは、南に立つこぢんまりとした赤い山門から入ります。
山門をくぐった先、真正面に、木々の間に少し隠れて見える赤いお堂。これは金堂、観心寺の中心的存在のお堂です。観心寺の広い境内をあちこち巡る前に、まずは金堂へお参りしましょう。
金堂は、正面(桁行)七間、側面(梁間)七間の、見た目にもどっしりとしたお堂。南北朝時代の建築物で、国宝に指定されています。
観心寺金堂のご本尊は、如意輪観音菩薩坐像。弘法大師が手ずから彫ったとも伝わる、手が6本の観音さまです。文化財的にも平安時代の仏像彫刻の逸品とされ、こちらも国宝に指定されています。
ただし、このご本尊17日・18日のご開帳日のみです。
金堂すぐそば、あのかわいらしい“とんがりお堂”は何だ?
さて、金堂でのお参りを済ませて辺りを見回してみると、すぐ近くに、一風変わったお堂が立っていることに気づきます。ちょっと尖った感じの三角屋根は、まるで“とんがり帽子”。また、瓦葺き屋根のお堂が多いお寺の中で、このとんがり帽子は古民家を思わせるような茅葺き。
なんだかかわいらしさも感じさせるこのお堂、一体何なんでしょう。その謎を解く鍵は、建物の名前にあり!
このお堂は「建掛塔(たてかけのとう)」と呼ばれています。元は、三重塔として建てられたものの、途中で工事がストップしてしまい、そのままの状態で残された「作りかけの塔」なのです。
工事が中断した理由は、責任者が突然いなくなってしまったから。その責任者とは、鎌倉幕府打倒に大活躍した河内の英雄「大楠公」とも呼ばれる楠木正成です。
三重塔の建築真っただ中の時期、楠木正成は、湊川(現・兵庫県神戸市)で足利尊氏の大軍を迎え撃つも武運なく敗れ、その生涯を閉じます。責任者の死という緊急事態発生で、とりあえず、作りかけの塔の初層に茅葺きの屋根をかけた、というのが“とんがりお堂”建掛塔誕生の真相です。
しかし、もともとは仮の屋根であった、このとんがり帽子も、今ではすっかり建掛塔のトレードマーク。のどかさも感じさせるお堂で、眺めているとなんだかほっこりしてきます。
ただ、茅葺き屋根の下を覗いてみると、そこには、大きな屋根を支える三手先の複雑な組物がぎっしり!この辺りに、本来の仏塔らしさが垣間見えます。
他にもあるある!観心寺境内の「正成」スポット
楠木正成とのゆかりの深いお寺・観心寺。建掛塔の他にも、「正成スポット」がところどころに残っています。境内を巡りながら探してみましょう。
まず、山門左側の駐車場では、勇ましい甲冑姿で馬に乗る、正成公(大楠公像)が参拝客を出迎えてくれます。
また、子供の頃の楠木正成が、この観心寺に通って僧侶に学問を教わったという逸話も残っています。
その学び舎は、山門をくぐって朱印所のすぐ先、左手にある中院。スーッと通り過ぎてしまわないようご注意ください。右横に「楠公学問所」の石碑が建てられています。
もう1つ、見落とされやすい場所にあるのが、楠木正成のお墓(首塚)。建掛塔の奥、静けさ漂うエリアの一角に立つ五輪塔がそれです。
「湊川の戦い」の勝者で室町幕府初代将軍となった足利尊氏は、敵ではありながらも、楠木正成の人となりを認めていたと言われています。その尊氏から送られてきた、正成の首級がここに祀られています。
また、境内にある霊宝館(宝物庫)もお忘れなく。建掛塔などに安置されていた貴重な仏像群が収蔵されているほか、建掛塔(三重塔)の完成予想模型なども展示されています。なお、霊宝館の入館は無料です。 

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観心寺
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4.5

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place
大阪府河内長野市寺元475
phone
0721622134
opening-hour
9:00-17:00(最終受付16:30)
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