四国最北端の秘密・高松市「竹居観音岬」


2018.06.30

トラベルjp 旅行ガイド

四国本土の東西南北端の内、最もマイナーなのが高松市の庵治半島先端にある最北端の竹居観音岬。小豆島を始めとした大小様々な島を望む風光明媚な地で、昔は「讃岐五景」にも選出されていたのですが、景勝の中に「秘密」があります。岬には四国八十八ヶ所第85番札所、八栗寺奥の院・万龍山竹居観音寺があるのですが、岬先端の岩窟内に神棚と仏像が祭られているのです。更に海崖沿いの海上に渡された参道の橋もフォトジェニック。
グラデーションが美しい海
竹居観音岬の側を通る路線バスがないため、多くの行楽客は車を利用しますが、駐車場側の堤防には四国最北端のモニュメントが建てられています。市販の地図では四国本土が傾いて描かれているものが多いため、地図上では最北端を確認し辛いかも知れませんが、北緯34度23分、東経134度8分は紛れもない北の最果てです。
岬周辺の海はグラデーションのかかった碧色で白砂が美しく、「竹居観音海水浴場」にもなっています。すぐ沖には大島、鎧島、稲毛島が並んでおり、更に奥には小豆島や直島諸島の島影も霞んで見えています。
沖合に島が多いと当然、各島と本土を結ぶ数多くのフェリーや高速船が行き交っているのですが、高松港と小豆島の草壁港を結ぶ内海フェリー社の船舶は観音岬と大島、鎧島、稲毛島との間を通過するため、絵になります。写真の船舶は「Ship Of The Year’92」を受賞した高速旅客船「サン・オリーブシー」。
海崖を進む参道
堤防沿い道路の終点には竹居観音寺の本堂が建立されています。本堂には大日大聖不動明王や高祖・弘法大師を始め、各種仏像が安置されており、本堂脇には高松藩主・松平頼聰(よりとし)公の八男、松平頼寿(よりなが)伯爵によって書かれた「讃岐五景」碑が残っています。
この寺の歴史は本堂ではなく、岬突端の岩窟から始まっており、そこへの参道が続いています。稲荷大明神を過ぎると参道は海崖に上がっていきます。
参道はほどなく石段となり、石灯籠前で左に曲がるのですが、かつてロウソクの火が灯されていた灯籠は今、電球の明かりによって照らされています。
命が縮む長命の橋
石灯籠を過ぎると海上に渡された長命之橋に到ります。昔は手摺のない木橋だったことが想像されますが、渡る時は命が縮む思いだったことでしょう。
長命之橋を渡った先が観音岬の突端です。そしてその左手には異空間が・・・。
海崖の中にいきなり近代的な陸軍要塞の地下壕のような建造物が現れます。厳かな雰囲気が漂う神秘的な岩窟です。
神と仏が住まう岬
入口上には注連縄、左には役行者像、右には錫杖が立てられ、異様な光景。四国霊場の奥の院ですが、中には神棚もあり、神職が供物を供えており、神仏習合を色濃く残しています。
竹居観音寺の歴史は天正16年(1588)、この岩窟内に生駒親正が高松城築城の際、鬼門守護として馬頭観音を祭ったことに始まり、後の松平頼重公時代、勢至菩薩や十一面観音を合祀しました。
入口からは見えない最奥部に馬頭観音像が安置されているものと思われますが、この像は元、京都の寺にあったもの。盗賊が像を盗み、この岬近くまで逃げてきた際、急に腹痛に見舞われたため、像を海中に投入すると治ったと言います。この経緯は勢至菩薩や十一面観音を祭った際、住職の夢枕に馬頭観音が立って語ったものです。それ以降、この岬を観音岬(竹居観音崎)と呼ぶようになったのです。
参道沿いの景観は往路より帰路の方が優れています。写真に写る竹居観音海水浴場の尾根を挟んだ東には、より規模の大きい笹尾海水浴場もあり、渚歩きを楽しめます。
また、岬の西方には庵治温泉、半島の最高所には弘法大師の彫った巨大磨崖仏を擁す五剣山(関連MEMO参照)と八栗寺もあるため、半島全体の観光を楽しむといいでしょう。 

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竹居観音岬
place
香川県高松市
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