函館の原風景「函館市青函連絡船記念館 摩周丸」でタイムトリップ


2018.06.20

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2018年は、世紀の大事業といわれた青函トンネルが開業してから30年の節目の年。その陰で、北海道と本州を結ぶ鉄道連絡航路として開業以来、80年の歴史に終止符を打ったのが国鉄・JR青函航路です。北海道と本州間の旅客貨物輸送の大動脈として、広く人々に親しまれた青函連絡船の輝ける歴史は、30年が経過した今も色褪せていません。「函館市青函連絡船記念館 摩周丸」で、栄光と終焉のドラマを感じてみませんか?
「函館市青函連絡船記念館 摩周丸」とは
1964年(昭和39年)から建造された津軽丸型連絡船(高速自動化船)の7隻のうちの一隻で、青森と函館間を3時間50分で結び、“海の新幹線”と呼ばれた「函館市青函連絡船記念館 摩周丸」。摩周丸は1965年(昭和40年)6月に就航し、1988年(昭和63年)3月13日の青函連絡船最後の日まで運航されました。
連絡船の廃止後、母港である函館で保存されることになり、フローティングパビリオンとして乗船することができます。2008年(平成20年)には経済産業省の近代化産業遺産に認定され、さらに2011年(平成23年)には、日本機械学会機械遺産にも認定されました。
青函連絡船の最大の特徴は、船内に敷いたレールに岸壁から貨車を直接積載する車両航走にありました。そして、船内と岸壁のレールを結ぶ水陸連絡設備が「可動橋」(写真)でした。
この可動橋は、貨車搬入時の動揺や、潮の満ち干きなどの影響を受けずに、車両が安全に通過できるように設計された、文字通り動くことが可能な鉄橋です。可動橋は、函館に4基、青森に3基建設されました。
船の所有者の識別は、一般的には煙突につけた「ファンネルマーク」によっておこないます。青函連絡船の初期の「工」マークは、日本の鉄道が発祥した当時、所属先の工部省の省旗からとったもの。最新の津軽丸型連絡船から、日本国有鉄道の略称「JNR」をデザインしたものになりました。色はどちらもレッドでした。
1987年(昭和62年)の国鉄民営化後は、北海道旅客鉄道会社のシンボルマーク「JR」をデザイン化したものに変更。色はライトグリーンでした。津軽丸型連絡船の船体色は、7隻とも異なり摩周丸はブルー。船体側面などに付けられたシンボルマークは、各船とも津軽海峡に生息するイルカを基調とし、摩周丸はイルカと摩周湖の組み合わせでした。
思い出の様子を再現した摩周丸の船内
摩周丸への乗船は、現役時のように、船体左側中央部の乗降口を使って行います。青函連絡船へのタラップを使った乗船時の記憶の残っている方には、とても懐かしく感じられる光景かもしれません。
乗船してすぐの出入口広場には、かつて出港5分前にボーイによって鳴らされていた銅鑼と、補助汽船の錨、および国鉄時代とJR時代のファンネルマークが展示されています。なお、銅鑼は1970年(昭和45年)からはテープ放送になりました。
出入口のある2階から3階に上がると、椅子席の展示コーナーが。赤色のシートで一人掛けは、グリーン指定席、二人掛けはグリーン自由席、そして後方の青色のシートは、普通船室の椅子席です。グリーン指定席は、リクライニングがほぼ水平まで倒れ、深夜便などの乗船客にぐっすり眠ることができると好評でした。
ほかに、普通船室、グリーン船室ともそれぞれカーペット敷きの座敷席があって、体を横にしてノビノビくつろげると評判でした。しかし、混雑時には、寝返りを打った途端、ほかの乗船客に手足が接触することもしばしばで、プライバシーという点で窮屈に感じる方もいたでしょう。
摩周丸のいちばんのみどころは、3階の「船のしくみ」コーナーです。船内の非公開区間、車両甲板や統括制御室、機関室は、ネットワークカメラを遠隔操作してモニター(写真)で見ることができます。
摩周丸は三菱重工業の神戸造船所で建造されました。全長は、132メートル、総トン数は約8327トン、主機関はディーゼルで、出力は12800馬力、航海速力は約18ノット、旅客定員は約1200人でした。搭載貨車は48両、カーフェリーでもあったので、乗用車を12台搭載することができました。
「船のしくみ」コーナーで連絡船の歴史を知ろう
船のしくみコーナーでは、実物部品と模型が展示されています。国鉄の青函連絡船の歴史は、1908年(明治41年)、日本初のタービン船「比羅夫丸」の就航によって始まりました。以来、太平洋戦争による連絡船の全滅、戦後復興の時代、そして台風15号によって「洞爺丸」を含む5隻の連絡船が沈没した悲劇。
その後に訪れた高度成長期を迎えての全盛時代から一転して、構造的不況による斜陽の時代へと、青函連絡船は幾多の歴史の変遷を経てきました。1988年(昭和63年)3月13日、青函トンネル津軽海峡線が開業したその日、長らく人々に親しまれてきた青函連絡船は、80年の歴史にピリオドを打ち、静かに終焉を迎えたのでした。
1965年(昭和40年)10月に登場した最新の津軽丸型連絡船では、さらなるスピードアップが図られ、4時間30分かかっていた運航時間を3時間50分へと大幅に短縮しました。エンジンはディーゼルとなり、8台搭載され、検査や補修などで、動かないエンジンがあっても定時運航ができる「マルチプル方式」を導入。
さらにスクリューは「可変ピッチプロペラ」といい、スクリューの羽根の角度を変えるだけで、船の前進・後進ができる最新式のものになり、船首には、「バウスラスター」をという横向きのスクリューを装備し、出入港時の利便性が図られました。これらの時代の最先端を行く自動化やリモコン化によって、洞爺丸型の半分以下の船員(約50人)で運航が可能となったのです。
船のしくみコーナーを抜けて、3階の先端にある無料休憩室の「サロン」では、船長服を着て記念写真を撮ったり、映像ライブラリーで現役時代の様子を楽しむことができます。
「洞爺丸台風」のコーナーは必見
サロンの手前にある、「洞爺丸台風」の特集コーナーでは、5隻の鉄道連絡船が台風15号によって函館湾に消えていった悲劇を伝えています。1954年(昭和29年)9月26日、函館地方に襲来した台風15号は、洞爺丸を始め、4隻の鉄道連絡船を沈めました。沈没原因はいずれも、船尾にある車両積込口から大量の海水がなだれ込んで、漏水によりエンジンが停止したからです。
洞爺丸の犠牲者は1155人、他の4隻を合わせると1430人にのぼる大惨事となりました。それ以後、沈没の直接の原因となった船尾の車両積込口には、大きな防水船尾扉が設けられたのです。
船橋(ブリッジ)の見学もできます。基本は予約制ですが、元船長など連絡船関係者OBによる船内のガイド案内も行われています(写真)。
船首のコンパス甲板からは、函館山と異国情緒あふれる元町の街並みを見ることができます。写真の左手に見えている坂は「八幡坂」で、函館港と市街地の眺望がよく数々のドラマやCMのロケ地として有名な坂です。
ライトアップされた「摩周丸」も見てみたい
時間があれば、ライトアップされた摩周丸も見てみましょう。『津軽海峡冬景色』の歌詞を思い出すような、なんともいえない哀愁に満ちています。
このように、旧函館桟橋に憩う摩周丸は函館の原風景として、すっかり風景の中に溶け込んでいます。函館を訪れたなら、フローティングパビリオン「摩周丸」で、連絡船の栄光と終焉の歴史を辿ってみてください。 

函館市青函連絡船記念館摩周丸
place
北海道函館市若松町12番地先
phone
0138272500
opening-hour
8:30-18:00(入館は17:00まで)[…

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