御守りの中身は墓石!?静岡遠州森町「大洞院」


2018.07.13

トラベルjp 旅行ガイド

静岡県西部に位置する森町の古刹・大洞院では、とある御守りが密かに人気です。それは幕末の侠客で清水次郎長の子分・森の石松の墓石のかけらが入っている「勝運御守」。境内には現在も石松の墓が残され、参詣する人が後を絶ちません。
今回は石松の墓のほか、青もみじや紅葉の隠れた名所でもある山あいに佇む大洞院を紹介します。
大洞院は青もみじや紅葉の隠れた名所
浜松市中心部から北東へ約33キロ。室町時代前期に創建された大洞院(だいとういん)は、森町の緑豊かな山あいに佇む曹洞宗の寺院です。
手水舎から法堂(本堂)への参道は3ルートあり、向かって左から苔むした石段、中央が太鼓橋、そして右側にコンクリート造りの石段があります。
こちらは左側の石段を少し上ったところ。もみじのトンネルになっているので夏には青もみじが、秋には燃えるような紅葉を見ることが。
中央に架かる太鼓橋左右の池には大賀蓮の姿も。平成27年(2015年)に譲り受けた2株が、毎年7月中旬頃から8月中旬頃までの間に咲き、参拝者を喜ばせています。蓮は朝の花。鑑賞希望の方は午前中がチャンスです。
緑豊かな森町の古刹
参道の先には法堂を中心として左右に僧堂と庫院が建っています。遠州三十三観音霊場の二番札所になっている大洞院は全国に末寺が3,400以上あり、かつては七堂伽藍が建ち並んでいたんですよ。
こちらは雲水(修行僧)が修行していた僧堂で、坐禅堂とも雲堂とも呼ばれ、昭和18年(1943年)に再建されたものです。僧堂と法堂の間には開山の梅山禅師と、二祖の恕仲(じょちゅう)禅師の尊像を安置している真殿が建っています。
鐘楼堂前には記念撮影用のイラストボードも。森の石松と清水次郎長の横でポーズを決めてみてはいかが?
石松の墓は駐車場そば
山岡鉄斎とも親交があった幕末の侠客・清水次郎長。その彼の子分の1人が架空の人物説もある森の石松です。出身地は遠州森町村(現在の静岡県周智郡森町)とも三州半原村(現在の愛知県新城市富岡)とも言われていますが、どちらにしても森町村で育ったようです。
近代において彼の名を一躍有名にしたのは、「寿司を食いねぇ」のセリフが印象的な戦後の浪曲「石松三十石船」でしょう。
彼の墓は大洞院の駐車場そば、道路から少し奥まったところに建っています。
次郎長の代参として、四国金刀比羅宮へ詣でた帰りに都鳥三兄弟の騙し討ちに遭い、悲壮な最期を遂げた森の石松。彼の菩提を弔うため、昭和10年(1951年)、この地に墓石が建てられました。
その後、昭和28年頃から「ギャンブルに勝てる!」「商売繁盛のお守りになる!」との噂が広がり墓石が削り取られ始め、昭和50年には変形が顕著に。昭和52年に2代目の墓石を建立し、現在の墓石は昭和54年(1979年)に建てられた3代目です。
3代目の墓石は南アフリカ産の黒御影石。よく見ると文字の周りや墓石の縁が削り取られていますね。隣に建っているのは清水次郎長の翁碑です。
初代の墓石のかけらが入っている御守りが「勝運御守」で、法堂脇の売店で授与されています。
勝運を祈って…御守りの中身は墓石!
その「勝運御守」がこちら。紫と白と朱色の3色があり、どれも金糸がふんだんに用いられている錦織りです。
中身は初代・森の石松の墓石のかけら。多くの人たちに削り取られ変形してしまった初代と2代目の墓石は、現在では外に出ていません。けれどもこうして御守りの中身に姿を変え、勝運を願う人々の心強い存在となっています。
そのほかには安産の御守りや交通安全の御守りやステッカー、お札、森の石松のことが書かれた小説なども。筒の中に墓石のかけらが入っている手作り勝運ストラップも隠れた人気です。また大洞院は遠江十二支子歳霊場でもあるので、子年生まれの方の御守りも授与しています。
売店は時々無人販売になりますが、そんな時には売店内に設置されている専用の封筒に代金を入れてくださいね。
ちなみに、墓石への入口付近で鉄格子に囲まれて建っている石碑は、墓石が2代目だった頃にその前に建てられていた「金比羅大権現」の石碑です。
森町はお茶や次郎柿などの生産が盛んな地域。トラベルジェイピー内で紹介している町内の観光スポットもあるので、興味のある方は下記【関連MEMO】からリンク先をご覧ください。 

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大洞院
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4.0

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place
静岡県周智郡森町橘249
phone
0538852009
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