鎌倉きっての悲劇の舞台。比企氏を偲ぶ深い谷~妙本寺~


2018.06.02

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鎌倉を囲む丘陵の南東、比企ヶ谷(ひきがやつ)という谷があります。鎌倉でも比較的奥行きのある谷(やつ)で、小説家・永井路子は「鎌倉の地形のおもしろさを感じさせてくれる」場所だと記しています。谷の最奥部から丘陵の尾根を伝えば鎌倉随一の見晴らしの良さで、戦略的にも重要な場所。鎌倉期、幕府で重きをなした比企氏がこの地を与えられ、現在も比企氏ゆかりの妙本寺が建立されています。今回はそんな妙本寺のご紹介です。
比企ヶ谷と妙本寺
比企ヶ谷の地名はこの比企氏に由来しています。源頼朝の乳母は比企氏総帥の妻・比企尼であり、伊豆に流された頼朝は比企一族による援助を20年もの間受けてきました。頼朝は比企一族に並々ならぬ恩があり、この恩と信頼の高さからこの地が比企一族に与えられたと考えられます。
比企一族は必然的に幕府で重きをなし、幕府で絶対的な地位を得ようとしました。ところが、この比企氏台頭に危機感を抱いていた頼朝の妻である北条政子の父・時政が建仁3(1203)年、比企氏当主を館に呼んで騙し討ちをすると、この谷を襲って火を放ち、比企一族100余名を皆殺しにしました。比企の乱と呼びます。
現在、そんな比企ヶ谷に建立されている妙本寺は、一族でたった一人逃れた当主の末子・能本(よしもと)が一族供養のために開いた寺院です。
小壁の木彫が美しい「二天門」
総門を抜け、谷へ進み、方丈門から狭い脇の石段を上ります。石段を上がりきると本堂があり、この奥に味のある弁柄色をした二天門があります。天保11(1840)年の建立、名前は持国天と多聞天を安置していることから。この門の小壁の木彫が優れています。弁柄色の建物から浮かび上がるような透かし彫りで、色彩も鮮やかです。
境内における格式の高さを窺わせる「祖師堂」
この二天門の奥、谷の最奥部を広く削平したような空間に天保年間(1830~1844)創建という祖師堂が立っています。祖師堂とは開祖の像を祀るお堂。日蓮宗なので日蓮を祀っています。庇が深く、威風堂々とした佇まいがあります。
庇を覗いてみると、建築の豪華さを感じることができます。屋根は桟瓦葺きですが、組物は三手先、向拝の蟇股や木鼻、向拝柱から伸びる手挟には精緻な木彫が見られます。この精緻さにこの堂宇の重要性の高さが窺えます。
強い念が籠る2つの墓所
祖師堂の右脇には比企一族の墓が並びます。当主・能員(よしかず)以下100余名が祀られているのはこの場所です。祖師堂の周辺には、桜にしては少し紅色の強いカイドウの他、シダレザクラを始めとする数種類かの桜などが植わっています。花と緑に誘われて、スズメやハクセキレイが遊びにやってくるところを見ると、比企ヶ谷の残酷な過去もだいぶ和らいだように感じます。
ちなみに、境内のやや外れには日本海軍・上村大将の墓所もあります。明治37(1904)年、日露戦争で敵艦隊・ウラジオ艦隊の発見に苦戦し国民から大きくバッシングを受けるも、執念でようやく3艦を発見。これらに対して猛攻を加え、1艦を沈没させ、残り2艦も廃艦同然にした第2艦隊の大将・上村彦之丞の墓所です。墓前には、海に関係した人物らしくシャコ貝が2つ並べられています。
奥深い比企ヶ谷には、人の強い念を集める何かがあるのかもしれません。 

妙本寺
rating

4.0

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place
神奈川県鎌倉市大町1-15-1
phone
0467220777

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