若い人を中心に人気の磁器・波佐見焼。美しい白さとモダンなデザインから、普段使いができるカジュアルリッチな器と評判だ。波佐見焼を生み出す陶芸の里のひとつに、窯元が多く集まる陶郷「中尾山」がある。
山に囲まれた斜面に寄り集まった古民家とレンガ造りの煙突。懐かしさが漂う昔ながらの風景が陶芸好きな旅人を待っている。窯元巡りや散策にオススメの観光スポットなのだ。
陶芸の里「中尾山」に息づく400年の歴史
今から400年ほど前、豊臣秀吉による文禄・慶長の役を機に朝鮮半島から磁器の製法が伝わった。有田焼(佐賀県有田市)と同じくして、波佐見でも磁器生産がはじまり、有田・伊万里焼として多くの磁器が作られた。江戸後期になると、生産量日本一を誇っていたという。
その生産量を支えたのが、波佐見が培ってきた分業体制による生産方式だ。中尾山は各工程を担当する職人や窯元が集まり、町全体がひとつの工場として成長してきた。それは、現代にも受け継がれ、絶えるどころか今も進化を続けている。
写真は中尾山展望所からの眺め。レンガ造りの煙突が見える。最盛期は住人のほとんどが波佐見焼の関係者だったという。右手に見える山(白岳)の山肌が露出している部分は、陶石が採掘された跡。2つの山の麓、集落へとつながる山肌が縦に長く削られているように見える部分は、世界第二位の規模とされる国指定史跡「中尾上登窯跡」だ。
世界第2位の巨大登窯「中尾上登窯跡」
波佐見町内には巨大な登窯の跡が残っている。しかも、現在確認されている登窯では、世界第1位から第3位までが波佐見町にあるのだ。中尾山には、世界最大の「大新登窯跡」と2位の「中尾上登窯跡」がある。
写真の中尾上登窯跡は、1640年代から1929年頃まで使われていた。1992年から発掘調査が行われ、現在復元整備が進められている。見学は可能だ。
窯の長さは160メートルで、窯室が33室ある連房式登窯だ。この窯で大量に焼き上げた磁器は、庶民が普段使いできる器として日本全国で愛用され、果てはオランダ、ヨーロッパへコンプラ瓶(酒瓶や醤油瓶として作られた磁器)として送り出されている。
世界最大の登窯「大新登窯跡」は、中尾山の集落内にあり、まち歩きをしていれば見ることができる。
「中尾山」の町並みに魅了されながら歩く
中尾山の町は、静かにしみじみと歩きたい。長くうねった坂道に昭和な佇まいの家並み。レンガ造りの煙突や何本もの入りくんだ路地、工房直販の店舗やまだ素焼き状態の磁器が並んだ風景。陶郷の名にふさわしい町並みが、旅心を刺激してくれる。
波佐見焼の工房だけではなく、ギャラリーを構えている作家もいる。
写真は、製陶所跡地にアトリエを構える作陶家の長瀬渉さんのギャラリー「ながせ陶房」での1枚。海洋生物をモチーフにした作品が多く、圧倒されるような精巧な作品やほっこりとさせてくれる作品など、見る者を引きつけてやまない。
ギャラリー前には、長瀬さんが作るブローチのガチャガチャがある。1回500円は価値ありだ。
波佐見焼窯元巡りはガイドと一緒がオススメ
波佐見焼は、窯元や型職人、生地職人と分業体制で成り立っている。多くの職人が関わって出来上がるのが波佐見焼だ。中尾山そのものが、ひとつの工場となり多くの職人が暮らし、働いている。
陶芸好きでなくても気になる楽しみといえば、窯元巡り。波佐見焼では、それぞれの工程のスペシャリストに出会えるのが魅力だ。窯元巡りを希望する場合は、波佐見町観光協会に連絡し、ガイドと一緒に巡るのがいいだろう。いきなりの窯元訪問は、対応できない場合もあるのでオススメできない。
写真は生地屋の仕事風景。型職人が作った「型」を元に、やきものの基にとなる「生地」を成形している。急須などの場合は、いくつかのパーツごとに生地が作られ、この段階で組み合わす。
窯元では、素焼き状態のやきものに表情を加え、色づけ、焼成を行うなど、いくつかの工程を経て製品に仕上げている。
窯元直営の店舗を持っているところもあり、直接購入することができる。B級品などが安価に手に入ることも。B級品といっても、素人目には分からないので掘り出し物を探しに足を運ぶのもいいだろう。
陶芸の里「中尾山」は、まさに波佐見焼の陶郷だ。昔ながらの風情を残した町並みに魅了されながらの窯元を巡る旅。陶芸好きならずとも、記憶に残る旅になるはずだ。
長崎県波佐見町、陶芸の里「中尾山」は煙突が似合う坂の町
2018.04.12
トラベルjp 旅行ガイド