猿飛佐助の故郷!滋賀「三雲城址」落ちない巨岩は修行写真スポット


2018.03.31

LINEトラベルjp 旅行ガイド

滋賀県の湖南市に、真田十勇士のリーダーとして名高い猿飛佐助が忍術の修行をしたと言われている場所があります。それは落ちそうで落ちない巨岩で知られる「八丈岩」のある三雲城址。織田信長と対立した佐々木六角氏の隠れ城として大きな役目を果たした山城跡で、歴史好きにはたまらないロマンあふれる場所。最近は絶対に落ちない岩にあやかって受験生の合格祈願のパワースポット、修行写真スポットとしても人気急上昇中です。
パワースポットとして注目を集める三雲城址
かつて近江と呼ばれていた現在の滋賀県は、古くから交通の要であり「城の国」と呼ばれるほど、中世の頃には沢山の城郭がありました。滋賀県の城と言えば彦根城、長浜城、坂本城など頭に浮かぶと思いますが、これらは近世以降の城。
一つの目安として織田信長の安土城以前が中世で、近江の国には中世の城郭が約1300ヶ所とも言われ、その殆どの城跡は集落や裏山に人知れず埋もれています。その隠れた山城址の一つ、三雲城址を紹介しましょう。
滋賀県湖南市にある三雲城址は1487年に築城された山城址で、静かに佇む隠れた名所は歴史好きにはたまらないスポット。ところが、ここ最近では忍者に深い関わりがあること、またパワースポットとしても話題で、注目が集まり賑わいを見せています。
この三雲城址はハイキングコースとして人気で、JR三雲駅からは歩いて山頂までは約1時間半。三雲城址近くまで車で行くことも可能ですが、道幅が狭いので車の場合は、山の麓にある湖南市青少年自然道場に車を置いて15分ほど歩き、登山口まで向かうのが便利です。
浮いているように見える八丈岩は山城のシンボル
途中でゴロゴロと岩が転がるように点在し、独特な雰囲気が楽しめる遊歩道は歩きやすく、登山口から約7~8分、息が切れる前に第一のポイントの八丈岩に到着します。
八丈岩の高さは約5メートル、幅は約10メートルの見上げるほど大きな巨岩。ここはかつて三雲城の見張り台として使われていた場所でもあったそうですが、この岩の傍まで行くと目の前には絶景が広がり、近江富士や琵琶湖を含めた景色が一望できます。
野洲川の左岸、西から東に張り出した支尾根先端に築かれた三雲城、この城の規模は東西300メートル、南北200メートル。主郭は50メートル×70メートルほどの大型の郭で土塁、井戸や巨岩を使った穴太積の桝形虎口も残っています。
山城のシンボルとも言える巨大な八丈岩は、旅の往来の激しかった東海道からもよく見え、街道を利用したと言われる坂本龍馬や西郷隆盛、また篤姫なども、この大岩を見上げ「あれは何と言う岩じゃ」など話していたかもしれませんね。実際、近隣の草津宿では篤姫が立ち寄った記録などを見ることが出来ます。
この八丈岩の驚くべきは、岩と地面の接地面がほんの僅かで、見方によれば浮いているようにも見えること。明らかに大きな隙間があり、いつ崩れ落ちても不思議でないような状態で立っています。
まさしく、落ちそうで落ちない巨岩なのです。
落ちそうで絶対に落ちない巨岩は合格祈願スポット
この落ちそうで絶対に落ちない巨岩は、受験生の合格祈願としても人気で、石に願い事を書いて、ここに置いて願をかけると叶うと伝わるパワースポット。
八丈岩の前には石の入った籠があり、願い事を書くペンも用意されているので、ここに来たら何か願をかけてみましょう。受験生に人気ですが、「落ちそうで落ちない」は言い換えれば「負けそうな勝負も負けない」「踏ん張る」「やり通す」に通じます。この八丈岩と眼下に広がる絶景を見ていると、本当に成功や達成に近づけそうな心地になります。
尚、この三雲城址の観光案内ではARを導入しています。このARとは、カメラなどに映し出される現実世界に、文字、写真、動画などといった情報を表示する技術のことで、例えばスマホにアプリを入れ、案内看板の写真を撮ると音声案内と一緒に立体画像で説明が始まります。
このARの導入は2018年4月1日から導入され、滋賀県湖南市の「猿飛佐助は忍ばない」 や「湖南市観光協会」などのHPからアプリを入手して活用できます。これらHPは下部「MEMO」にてリンクしていますのでご参考ください。
(※詳しくは湖南市観光協会にてご確認下さい)
猿飛佐助になりきって修行写真を撮るのも面白い!
この浮いた様に見える岩は、面白画像やインスタ映えを意識してか、まるで自分が巨岩を持ち上げているかの要に見せた写真を撮る人の姿もみられます。
猿飛佐助が修行したと伝わる三雲城址。この迫力のある大岩の下に潜り込み、佐助になりきって大岩を背負うような仕草で「修行中…」などとSNSにアップしてみるのも面白いですね。ただ写真を撮る場合は足元など十分に気を付けるようにしましょう。
ところで、猿飛佐助と言う人物を知っていますか?大河ドラマ「真田丸」にも登場した真田幸村に仕えた甲賀忍者で、真田十勇士のリーダーとして知られています。
ただ真田十勇士そのものが架空とも言われ、猿飛佐助その人も実在したかどうか分かりません。しかし、司馬遼太郎の小説「風神の門」では三雲佐助賢春が猿飛佐助であると書かれています。もちろん小説はフィクションですが、文献や研究に基づいた解説を見ると猿飛佐助のモデルが三雲佐助賢春で、この山の中で修業をしていた可能性も十分に考えられます。ここは是非、歴史ロマンを重視してみて下さい。
必見!大岩に刻まれた佐々木六角氏の家紋
八丈岩の背後の巨岩群の中には、佐々木六角氏の家紋「四つ目結」が刻まれた大岩があります。角度によっては目立たないので分かりにくいかもしれませんが、これは見逃さずにチェックしましょう。
この三雲城は1487年、足利義尚率いる幕府軍の攻撃を受けた観音寺城主の六角高瀬が三雲典膳実乃に命じて築かせた城。ここは観音寺城から一直線に位置する場所で見晴らしもよく、堅固な自然の要塞に守られていることもあり、佐々木六角氏の隠れ城として大きな役目を果たしました。1568年の信長が上洛の際、六角義賢が三雲城に逃げ避難する様は歴史の舞台によく登場しますので、戦国好きな人にはグッとくるに違いありません。
織田信長に追われた三雲城に逃げてきた六角義賢は、その後観音寺城に復帰することなく、甲賀を拠点としてゲリラ生活を続けて行くことになります。
この三雲城は1570年信長の家臣、佐久間信盛の攻撃を受け、山裾にあった三雲屋敷と共に落城しました。この巨岩に残る佐々木六角氏の家紋は、最後の最後までお家の復興を願った想いが詰まっているようにも感じさせられます。
この三雲城址の所々に点在する石垣には凹凸のある矢穴が残っているのも見所ポイント。矢穴とは大きな石を分割する際、クサビを矢穴に差し、ハンマーで打ち割りする技法のことで、主に花崗岩などの硬質の石材や大型の転石を分割する際に用いられる技法です。
滋賀県では観音寺城址などでも見られますが、大きな石を思い通りに割る事を可能にした石材分割技法は、後に大阪城のような高い石垣を構築するようになります。この三雲城址に残る矢穴はその先駆けとしても注目されています。 

read-more
三雲城址
place
滋賀県湖南市吉永
no image

この記事を含むまとめ記事はこちら