広島・可部のシンボル!鋳物のまちの歴史を語る大きな「鉄燈籠」


2017.11.28

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広島市の北部に位置する可部地域は鋳造業が盛んな町として知られ、JR可部線「可部」駅周辺には現在も鋳造関連の企業が軒を連ねています。江戸時代から腕ききの鋳造師が活躍していた可部町には、「船神さん」と呼ばれ親しまれていた「鉄燈籠」があり、船着場に設置されました。高さ3m超、豪華な装飾が施されたその大燈籠は、現在公園となった旧船着場で今でも町のシンボルとして地元の人々に愛されています。
可部の歴史は鋳造業と共にあり
広島駅からJR可部線に乗り約30分でたどり着く「可部(かべ)」駅周辺は、大病院や区役所などがある広島市安佐北区の重要拠点です。
古くから出雲街道、石見路の重要な交通路として開け、近郊から集められた名産品が舟入り堀(船着場)から広島に運ばれ、広島からは日用品や食料などが運ばれ、可部の産業は大きく繁栄してきました。その中でも鉄と豊富な木炭が集まることによって可部で栄えた鋳物産業は幕末から明治にかけて鍋や釜、五右衛門風呂などを製作して発展し、現在もエンジン・ポンプといった機械部品鋳物を生産しています。
かつては広島の風呂釜生産は全国の80%を占めていたといい、その内の70%が可部産でした。
物流の拠点となっていた可部の船入り掘は太田川の船運最大の港となり、周辺は宿場町として栄えましたが、時代の変遷と共に鉄道や車にその機能を取って変わられ衰退、現在船入り堀は明神公園となっています。
公園に巨大シンボル!200年前の「鉄燈籠」
その明神公園の一角に大屋根に守られた鉄燈籠(かなどうろう)があります。舟入り堀の頃から変わらずにここにあるこの燈籠は当時毎晩灯りがともされ、船の安全を守る「船神さん」と地元では呼ばれていました。燈籠の銘文には航海・水運の神として知られる「金比羅大権現」の文字が刻まれていて、単なる灯取りとしてだけでなく舟人たちを守護する役目を担っていたことが前方に張られたしめ縄からもわかります。
近くに行くと見上げるほどの大きさ!サイズは高さ3.13m、基礎の周囲は5.65mを誇る大作です。文化5年(1808年)に可部の鋳物師・三宅惣左衛門により鋳造されたもので、可部町の鋳物業繁栄の歴史を伝える最古の遺品です。
三宅家は、戦国時代から可部に住んで鋳物業に携わってきたと伝わっていて、この燈籠が作られた江戸時代後期には、可部の一大産業となっていた鋳物業の中核的役割を担っていました。
丸と六角を組み合わせた鉄燈籠はその大きさのみならず細かな装飾も目を引きます。台座には獅子と牡丹があしらわれ、中央部には舟人を見守る燈籠らしく細かな水紋が刻まれています。
全体的なシルエットも美しく、ウエストはほっそりスッキリと見せ、頭部の傘を大きく先にはカールをかけ遊び心を持たせたオシャレな燈籠。鋳物師三宅惣左衛門により当時の可部鋳造産業の技術を惜しみなく使い鋳造された鉄燈籠です。
この燈籠の豪華さは昔から知られていて、遠方からその技術を見に来る鋳造会社の関係者もいるとか。今でも可部のシンボル的存在として地元の方に大事にされています。
公園向かいの明神社も必見!
公園の向かいには神社があります。「明神社」といい、江戸時代には船乗りの安全を祈る人々で賑わったといいます。現在も7月末~8月初め頃に「可部明神祭」が大々的に行われています。
境内に奉納されている左右2基の雨水樽も鋳造品です。昭和43年に可部町豊田鋳造所により納められたものです。
樽の足元にも注目!底を支える鋳造のカエルがとても可愛らしいです。
2017年に再延伸した可部線で鋳物巡りの旅へ!
交通の要衝として栄えた可部地域に鉄道が走るようになったのは1909年。一時期は観光スポットとしても知られる安芸太田町の「三段峡」までを結んでいましたが、利用客の減少により2003年に可部から三段峡区間が廃止となりました。
しかし、地域住民の熱心な延伸運動に応える形で2017年3月、1.6km(2駅)の路線が電化され再延伸されました。これはJRとしては初めての事例です。
新駅の一つである「河戸帆待川(こうどほまちがわ)」の駅前には、地元で60年近く鋳造業を営む方が寄贈した帆掛船の鋳造モニュメント(写真)があったり、可部駅の西口バスロータリーには駅前の大和重工株式会社により設置された鋳造の大釜のモニュメントがあったりと、可部の産業を語る上で欠かせない「鋳物」は、200年前の歴史あるものから最新のものまで町内各所で出会うことができます。ぜひ、みなさんも可部のまちで鋳物巡りの旅をしてみてくださいね! 

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可部
place
広島県広島市安佐北区可部2丁目
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