徳川家光の「御腰掛石」がある!東京・西日暮里「浄光寺」


2017.08.30

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「浄光寺」は、隣接する谷中の総鎮守「諏方神社」の別当寺であった。この高台である「諏訪台」からの眺望がよく、特に雪見景色がすばらしかったので「雪見寺」とも呼ばれていたようだ。境内には、荒川区の有形文化財指定の「銅造地蔵菩薩像」や、庚申塔がある。他にも「将軍の腰掛けの石」や、「福神漬け発明者を表彰する碑」がある。当寺は江戸時代、将軍が鷹狩の際に、立ち寄る「徳川将軍家御膳所」にあてられていたという。
法輪山・法幢院・浄光寺”山門の扁額”
東京都荒川区西日暮里にある「浄光寺(じょうこうじ)」は、山号を法輪山(ほうりんざん)、院号を法幢院(ほうどういん)と呼び、真言宗豊山派の寺院。かつて、境内からの雪見景色がすばらしく、それが有名となって「雪見寺」とも呼ばれていた。
江戸時代までは、隣接する「諏方神社(すわじんじゃ)」の別当寺だった。荒川辺八十八ヶ所の霊場8番札所であり、豊島八十八ヶ所の霊場5番札所でもある。開基は、「太田道灌(おおたどうかん)説」と「豊島泰経(としまやすつね)説」があり定かでない。
「銅造地蔵菩薩像」は、区指定有形文化財
山門をくぐって、すぐ左手に進めば、「江戸六地蔵」の三番目として知られる高さ3mほどある「銅造地蔵菩薩立像」と、「銅造地蔵菩薩坐像」、さらに庚申塔等の石造物が並ぶ。
江戸時代中期に著された江戸の地誌「江戸砂子(えどすなご)」によると、「江戸六地蔵」には、「始の六地蔵」と「後の六地蔵」とがあるが、当寺のお地蔵さんは、「始の六地蔵」の一体。
「始の六地蔵」は、元禄4年(1691年)、空無上人(くうむしょうにん)が開眼供養したものであり、一方「後の六地蔵」は、江戸深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706年)に発願し、江戸市中から広く寄進者を得て、江戸の出入口6ヵ所に地蔵菩薩像を造立したものである。
「銅造地蔵菩薩坐像」の像本体は、文化6年(1809年)に造立され、その後、文化10年(1813年)に台座が造られている。江戸の鋳物師・西村和泉守(にしむらいずみのかみ)の作とされている。
「浄光寺」は、「地蔵信仰」の寺院として知られている。ところで、地蔵菩薩には、「苦しみの肩代わり」「戦勝祈願」などの御利益がある。また、子供を守る仏様とされているため、亡くなった子供や胎児を供養するために地蔵菩薩を祈願する人が絶えない。
境内にある「三代将軍御腰掛石」
当寺は江戸時代、将軍が鷹狩の際に、立ち寄る「徳川将軍家御膳所」にあてられていた。境内には、将軍が訪れたときに腰掛けたとされる「将軍の腰掛けの石」と、その石の隣には、「三代将軍御腰掛石」という石碑がある。
その時代、ここ「諏訪台」からの眺めは、さぞかしすばらしかったのだろう、現在は眼下にJR車両が忙しなく行き交っているばかり。便利さを手に入れた引き換えに、自然の眺望を失っていることに、ふと憂う人もいるだろう。
「福神漬け発明者を表彰する碑」がある
山門をくぐってすぐ眼前の見あげるほどの石碑は、「福神漬け発明者を表彰する碑」である。福神漬発明者である野田清右衛門は、上野にある食料製造・販売店「酒悦」で、明治初期に七種の野菜を細かく刻み、調味料につけた漬物を発明した。いまの”福神漬け”である。
ところで、「福神漬け」といえば、今ではカレーライスに添えられるのが定番の漬物だが、大正時代に、日本郵船が欧州航路客船で、一等船客にカレーライスを出す際に添えたのが初めで、やがて日本国中に広まったという。
「地蔵坂」は「撮り鉄」にも人気がある
この「地蔵坂」は、隣接する「諏方神社」の境内から、JR西日暮里駅西脇の商店街へ、屈折して下る坂である。この坂名の由来は、「諏方神社」の別当寺であった当寺に、江戸六地蔵の三番目として有名な地蔵尊が安置されていることにちなんで名付けられている。 

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浄光寺(雪見寺)
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place
東京都荒川区西日暮里3-4-3
phone
0338214294
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