幻の万葉花「あざさ」を求めて!奈良県磯城郡三宅町の太子道歴史ウォーク


2017.07.26

LINEトラベルjp 旅行ガイド

奈良県磯城郡は、大和国中(やまとくんなか)と呼ばれ、奈良盆地のほぼ中央に位置するエリア。5月~10月の間、磯城郡三宅町では、「三宅の原」の地名と共に万葉集で詠まれた幻の花「あざさ」が町内の至るところで咲き誇ります。可憐な黄色の花を咲かせる「あざさ」は愛の花であるため、「恋人の聖地」でもある三宅町。聖徳太子ゆかりの「太子道」をウォーキングしながら、幻の万葉花を探してみませんか?
幻の花「あざさ」は早朝に!
「あざさ」(学名アザサ)※は、ミツガシワ科アザサ属の多年草で、水辺に小さく可憐な黄色い花を咲かせる浮葉性植物。早朝に咲いて昼にはしぼんでしまう上、朝の気温が20度以上にならないと咲かないことから、「幻の花」と呼ばれています。また、「三宅の原」の地名と共に万葉集に登場するほど、約1300年前から、この奈良県磯城郡三宅町の地で咲く古代ロマン溢れる花です。
5月~10月頃で見る事ができますが、最も盛りの時期が6月~7月。早朝の7時~8時頃が狙い目です。早朝に咲くので、車で訪れたいところですが、できれば電車と徒歩の利用をお勧めします。なぜなら、今回ご紹介する聖徳太子ゆかりの「太子道」沿いの「あざさ鑑賞ポイント」は、ウォーキングに適しており、道幅が狭い上、駐車場があまり無いのです。遠方の方は、奈良県内(奈良市内)で1泊された方が良いでしょう。
※準絶滅危惧種に指定されている
あざさ散策の最寄駅は、近鉄田原本線「但馬駅」もしくは近鉄橿原線「石見駅」。アクセスは京都よりも大阪方面、特に「JR天王寺駅」からが便利です。
三宅町(みやけちょう)は、曽我川・飛鳥川・寺川が大和川に注ぐ、低湿地帯であり、古代から稲作が盛んな穀倉地帯。万葉集に出てくる「三宅の原」が、古代天皇の稲作の御料地「屯倉(みやけ)」「屯田(みた)」と考えられることが名前の由来ではと言われています。現在も写真のように、田園が広がり、昔ながらの奈良の風景が残っています。
日本で二番目に小さい町「三宅町」!散策のスタートは「あざさ苑」から
実は、三宅町は日本で二番目に小さく、奈良では一番小さな町。そのため、ご紹介する太子道沿いのコースは、小一時間で歩くことができます。まずは、「あざさの池」がある保健福祉施設「あざさ苑」を目指しましょう。「但馬駅」から歩くと、すぐに目に飛び込んでくる目立つ建物です。
お車でお越しの方は、この「あざさ苑」に比較的大きな駐車場があります。しかし、福祉施設であるため半分ほどは介護の車が止まっている事が多く、積極的にお勧めする事は出来ません。可能な限り、電車と徒歩利用が良いでしょう。「但馬駅」からは、徒歩約10分です。
「あざさ苑」前には、町内で一番大きな「あざさの池」があり、鑑賞に最適です。ここから少し歩くと、三宅町役場があります。早朝ウォーキングのお勧め時間である7時から8時では無理ですが、平日の8時30分からオープンしているので、可能であれば役場で「三宅町てくてくマップ」を入手して下さい。「あざさの見所」が星マークで記され、分かりやすいので大変便利。
三宅町の皆様に向かって、ラブチェアで愛を!「愛の花・あざさ」と「恋人の聖地」
「あざさ」は、万葉集の恋歌に詠まれていることから「愛の花」としても知られています。下記は、万葉歌碑に書かれた「三宅の原」と「あざさ」が登場する万葉集の歌の現代語訳。
<両親が息子に尋ねました>
(うち日さす)三宅の原を通り、地面を一歩一歩踏みしめ、腰まで生い茂った深い夏草をかき分けて、いったいどんな可愛い子のために通っているのかね、我が子よ。
<息子が両親に答えました>
ごもっとも、ごもっとも、お母さんはご存じないでしょう
ごもっとも、ごもっとも、お父さんはご存じないでしょう
豊かな黒髪に木綿であざさの黄色い可愛い花を結い垂らし、
大和産の黄楊の可愛い櫛で抑え挿している愛らしい娘、それが私の妻です。
「あざさ」が、おおらかな愛の歌に登場することで、愛の花が咲く三宅町は、「恋人の聖地」にも選ばれています。万葉歌碑の隣には、「ハートマーク付ラブチェア」と「陽(ひかり)の風景」というモニュメントも。ご夫婦やカップルの方は、是非、ここで、日ごろは恥ずかしくてなかなかできない、愛の語らいをお試し下さい。三宅町は、奈良盆地のほぼ中央に位置するので、「奈良盆地の中央で愛を叫ぶ!?」のも良いかもしれません。
ちなみに、ご紹介しているコースは、ここから聖徳太子ゆかりの「太子道」を北上します。そう、ラブチェアは生活道路でもある太子道に面しており、町内の皆様に丸見え!まさしく、色々な意味でおおらかな愛が語れますので、勇気を持ってチャレンジを。
太子道の環濠集落を散策
三宅町の中央を南北に走る古道「太子道(筋違い道)」。聖徳太子が斑鳩宮から「三宅の原」を経て飛鳥の小墾田宮へ、愛馬黒駒に乗って往復したという伝承が残っています。太子道沿いには、15世紀後半~16世紀後半の戦国時代にできた環濠集落の環濠を見る事ができます。
杵築神社は、三宅町内に「伴堂」「屏風」「但馬」の計三ヶ所にあり、三ヶ所とも御祭神は須佐男命。「伴堂杵築神社」には、鳥居前にあざさの小さな鉢、境内の鏡池横にあざさの池があり、じっくり鑑賞が可能です。
鳥居前では、「あざさ」を接写できます。良く見ると、5枚の花弁の周りにレースのような細かい襞(ひだ)があるのがお分かりでしょうか?ちなみに、愛の花「あざさ」の花言葉は、「しとやかな」「信頼」です。
平成29年は「忍性菩薩」生誕800年!太子道の歴史ロマン
太子道沿いには、偉人の生誕地の石碑も。鎌倉時代の高僧・忍性は、西大寺の中興の祖・叡尊(興正菩薩)に師事し、貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力した人物。日本の社会福祉事業の先駆者といわれており、その功績により、後醍醐天皇から「忍性菩薩」の尊号を与えられました。平成29年は、忍性生誕800年の記念すべき年。ここでも慈愛に溢れた忍性の心をあらわすかのように、「あざさ」を見る事ができます。
「屏風杵築神社」前が、三宅町最北端の「あざさ鑑賞ポイント」。境内には、「屏風の清水」という古跡があり、「聖徳太子がこの地で休息され、従者の持つ弓をとってこの地を打ち掘られると、冷水がこんこんと湧き出た。以降、太子がこの地をお通りになるときは、この水を愛飲された」と言い伝えが残っています。
「屏風杵築神社」の太子道を挟んだ斜め向かいにある「白山神社」。境内に、黒駒に乗った太子と従者の調子麿(ちょうしまろ)の像があります。また、太子が休息のために腰掛けたと伝わる「腰掛け石」も。ベンチもありますので、太子の様に腰掛けて、是非、ここでウォーキングの疲れをとって下さい。地名の「屏風」は、村人が太子をもてなす際に屏風をたてて風を防いだことから名付けられたと言われています。 

太子道(筋違道)
place
奈良県磯城郡川西町・磯城郡三宅町・磯城郡田原本町
phone
0745442213
opening-hour
散策自由
no image
但馬
place
奈良県磯城郡三宅町但馬
no image
杵築神社
place
奈良県磯城郡三宅町屏風115
no image
白山神社
place
奈良県磯城郡三宅町屏風
phone
0745442001
no image
杵築神社
place
奈良県磯城郡三宅町伴堂
no image

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