秘仏が33年ぶり御開扉!千葉・印西「栄福寺薬師堂」


2017.10.14

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室町時代中期に建立された「栄福寺薬師堂」は、千葉県下で最古の木造建築物であり、国の重要文化財に指定されている。境内は、わが国に1000年以上続いた“神仏習合”の名残りを現在まで伝えている。今年(平成29年)「薬師堂内」の厨子の中に安置されている“秘仏”である、ご本尊が33年ぶりに“御開扉”を迎え、特別にそのお姿を拝むことができるという。また境内には“ビンズル大師”が祀られ、その御利益を授かれる。
室町時代の息吹を感じる時空へ
千葉県印西市にある「栄福寺薬師堂(えいふくじやくしどう)」は、室町時代中期(15世紀)の建立で、国の重要文化財に指定(昭和29年9月17日)されている。もともとあった天台宗の「栄福寺」自体は、“行基”による開基と伝えられているが、その沿革は明らかではなく、現存しているのは、“薬師堂”と“梵鐘の失われた鐘楼”だけである。
その境内に歩み進めば、異様な風景に出会う。鳥居を設けた石畳の参道が境内の奥にある神社へと延びている。これは、寺の境内に「熊野神社」が共存する“神仏習合(しんぶつしゅうごう)”の名残だ。神仏ともに篤く信仰されていたことがうかがえる風景である。
ところで、“神仏習合”とは、日本土着の「神道」と、外国から伝わった「仏教」が混交し、ひとつの信仰体系として再構成された宗教現象のこと。日本では、明治維新に伴う“神仏判然令”以前、1000年以上この“神仏習合”の時代が続いていた。
国指定重要文化財の「栄福寺薬師堂」
「栄福寺薬師堂」は、正面、側面ともに3間の真四角な単層の堂だ。その屋根は、茅葺寄棟造(かやぶきよせむねづくり)で、正面階段部分の“向拝”は、江戸時代中期に設けられたものとされている。
正面には桟唐戸が備えられ、側面の前1間には舞良戸、中の間には板戸、その他は縦板壁となっている。本堂の外陣は、鏡天井に極彩色で天女図が描かれ、その内陣は金箔を貼った柱を四隅に立て、その前には極彩色で飾られた仏像を安置する台が設けられており、その上に、薬師如来像を安置した厨子が置かれている。もちろん、残念ながら内部は一般に公開されていない。
沿革が明らかではない「栄福寺」ではあるが、その厨子と本尊は、かつての印旛村鎌苅から勧請されたもの。伝えられている“棟札”には、「寛正7年(1466年)6月柱立 応仁3年(1469年)霜月上棟、文明4年(1472年)2月成就」との墨書銘がある。
建立年代の明確なものとしては、県下最古の建造物になる。また、同じく室町時代に建立されたとされる、印西市小倉の「宝珠院観音堂」と構造形式がよく似ていることでも知られている。もちろん、「宝珠院観音堂」も国の重要文化財に指定されている。
鮮やかな朱塗りの軒下に目をやれば、「寄贈・山林 二反歩」という文字が目に留まる。現代まで引き継がれている地域の人々の信仰心の深さを知ることとなる。
梵鐘の失われた鐘楼
かつて、朗々と鳴り響いたであろう梵鐘は今は失せ、鐘楼だけが境内にぽっんと屹立する。その風景との邂逅は、抜け出して来た“日常の憂さ”をも、サラリと捨て去ることのできるひとときである。
「神仏習合」の風景がここにある
寺の鐘楼の前を真っすぐ延びる参道は、何の迷いもなく実に堂々としている。かつて、神も仏も分け隔てなく信仰した、日本人のおおらかさを現代に伝える“生き証人”とでもいえる風景だ。
“ビンズル大師”は、左甚五郎一夜の作
境内には“ビンズル大師”と呼ばれる「賓頭盧(びんずる)」が祀られている。賓頭盧は、おビンズル様とも呼ばれ、お釈迦様の弟子のひとり。博識であり慈悲深く十善を尊重し、修行を深め並外れた神通力を持っていたとされる。また、白髪長眉の相があったともいわれている。
お参りする人は自分の体の悪い箇所と同じところを撫でて治癒を祈願するとか。磨り減った頭に毛糸の帽子をかぶった顔面は、表情がなくなるまで撫でられたようだ。多くの人々から祈願をうけているのだろう。ちなみに、こちらの“ビンズル大師”は、日光東照宮の眠り猫などで知られる“左甚五郎一夜の作”だ。
おビンズル様の隣には、「印西大師六十五番」の大師堂がある。「印西大師」とは、かつて、こちらの地域における“四国八十八ヵ所”を模した“札所めぐり”の行事のことである。 

栄福寺薬師堂
place
千葉県印西市角田
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