昔は陸地と島だった北九州!命を吹き返した「洞海湾」


2017.04.15

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昔の北九州は、現在の若松区だけが「洞海湾」を挟み島状でした。明治34年に操業開始した官営製鉄所(現新日鉄住金)が、埋め立てを繰り返すうちに陸続きとなり、現在の北九州が形成されました。
この「洞海湾」を大きく迂回する以外の方法として、古くから運行していた渡船と別のルートが造られ、現在では流通網が大きく向上しました。他の地域ではなかなか見ることのできない「洞海湾」とその交通網をご紹介します。
赤い橋は北九州市のシンボル!死の海から蘇った「洞海湾」を横断
1901年に北九州の八幡で操業開始した官営製鉄所は、年月と共に規模を広げさらに重化学工業の企業も操業しました。工業が発展するとそこには必ず公害が発生してしまうものでした。工場からの汚水や煤煙などで、北九州は全国に類を見ない公害都市となってしまい映画の題材にもなったほどです。特に海は一度汚染されると、元に戻すことが非常に難しいものです。
かつては「死の海」と呼ばれた「洞海湾」はその呼び名のごとく、海水の色は黄色く汚染され、微生物すら住めない海になっていました。1970年代に新日鐵が縮小し、また他の企業も環境保全に努め、数十年たった現在では魚が住める海に戻り、洞海湾周辺の一部には公園も整備され、「洞海湾」をゆっくり眺めることもできます。当然ながら海の色は青くなりました。
北九州市の戸畑区と若松区を結ぶ「若戸大橋」は、北九州市が誕生する前年の昭和37年に開通しました。全長627m、高さ84.2mで、昭和48年に関門橋が開通する11年間は東洋一の吊り橋でした。
全体を赤に塗装された吊り橋は、遠方からでもはっきり見え、また緩やかなアーチが巨大な芸術品のようにも思えます。「洞海湾」の青と「若戸大橋」の赤、相反する色のコラボレーションが訪れた人々の目に焼き付きます。
行きは渡って帰りは潜って!橋とトンネルは同一料金!
「洞海湾」を上から眺めたいと思ったら、ぜひ片側2車線の「若戸大橋」を渡ってください。戸畑区から若松区に渡る時は、「洞海湾」の奥が見渡せます。逆に若松区から戸畑区に向けて渡る時は、「洞海湾」の開口方向の工場地帯がはるか遠くまで見渡せます。
また100mもない高さにも関わらず、陸地の建物や海上を航行している船舶がやたら小さく見えるので、ものすごく高い所を走行している気分になります。視界に入ってくるのは遠くの景色だけではなく、橋柱や吊ってるワイヤーの赤色も目に入ります。普通車は100円(2017年4月)で走行できますのでなかなかお手頃です。以前は歩道もありましたが、現在は廃止されており歩行者は入れません。
「洞海湾」を横断する方法として、「若戸大橋」を渡るのとは別に片側2車線の「新若戸道路」を利用する方法があります。この「新若戸道路」は、貨物流通の効率化と「若戸大橋」の渋滞緩和、さらに災害時の代替ルート確保として造られました。平成24年に開通した海底トンネルで、通称「若戸トンネル」と呼ばれています。
このトンネルは沈埋工法という方法で造られました。これはあらかじめ海底を溝状に堀削した後、いくつもの鋼鉄製の函を沈めてつなげた後に土砂を埋め戻す方法で、トンネルの総延長が短くなる上に工期が短くて済む、さらに経済的でもあるという利点があります。
とは言ったものの、トンネルですから外の景色は見えませんが、「若戸大橋」と同様に普通車100円(2017年4月)というお手軽なお値段で海底トンネルを走行できます。
通勤、通学客など地元の大事なルートは現在も就航!
陸と陸を結ぶルートとして、最低限必要な交通手段はやはり船です。この「洞海湾」にも古くは明治以前から渡船が存在しています。昭和37年に「若戸大橋」が開通するまでは、この「若戸渡船」が唯一の横断方法だったことは言うまでもありません。
しかし「若戸大橋」の開通によって貨物船が廃止になり、旅客船の廃止も計画されていましたが、「若戸大橋」の歩道が廃止され、さらに市民から存続の要望が多かったため、旅客船廃止計画は撤回され、今でも地元の方々に愛され利用されています。
「若戸渡船」は日中が4~5便就航されています。片道約3分という短い時間ですが、鉄道などを使って大きく迂回すると30分以上かかってしまうので、いかにこの渡船が地元の方々に重要かがわかると思います。
運賃は大人100円、小人50円、自転車50円(2017年4月)です。学生の定期券になると自転車込みで1か月1380円ですから、なかなかの破格の値段です。手頃な「若戸渡船」、一度乗ってみてはいかがでしょうか。 

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洞海湾
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福岡県
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