雲仙普賢岳の災害遺構~いまだ消えない悲しみの記録~


2017.04.04

LINEトラベルjp 旅行ガイド

長崎県雲仙普賢岳の平成3年(1991)の大噴火から、すでに25年以上の歳月が経過しました。今にして思えば、雲仙普賢岳に起きた出来事は、その後の日本列島で相次いで起きている天変地異の前触れともいえる現象でした。今回は、四半世紀を経て、いまなお残る噴火の傷跡や災害遺構をご紹介します。その時なにが起きたのかを知り、癒えない悲しみを体感してみて下さい。
まずは雲仙ロープウェイで妙見岳山頂へ行こう
仁田峠から雲仙ロープウェイで妙見岳へ行ってみましょう。ロープウェイは昭和32年(1957)の開業で標高約1100mの仁田峠駅から標高約1300mの妙見岳駅の間を約3分で結んでいます。ゴンドラの定員は36人乗りで「ぎんが」「ぎんせい」という名前です。
雲仙普賢岳の平成の大噴火では、噴火活動が妙見岳の反対側だったため、大きな被害を免れました。運賃は、おとな往復で1260円です(2017年3月時点)。
妙見岳駅の山頂展望所からさらに妙見岳展望所へと上がる途中には平成大噴火のあらましを解説したパネルが展示されています。平成2年(1990)11月17日、198年ぶりに始まった普賢岳の噴火活動は平成7年(1995)3月まで続き、同年5月に終息宣言が出されました。噴火活動についての一連の報道等で、「火砕流」という用語を初めて聞いた方も多いと思います。
妙見岳展望所から見た普賢岳の山頂には、溶岩ドームでできた平成新山が誕生しました。平成新山の標高は1483mで長崎県の最高峰になりました。
平成新山の火砕流跡を見よう
平成新山をズームで撮ってみましょう。溶岩ドームからはいまもなお白い噴気が上がっているのが分かります。噴火活動の活発化とともに現れた溶岩ドームは成長と崩落を繰り返し、やがて大規模な火砕流が頻発するようになりました。平成3年(1991)6月3日に発生した最大規模の火砕流では、43名もの方が亡くなる大惨事となりました。
平成新山の火砕流跡です。火砕流の駆け降りるスピードは時速約100㎞、温度は300~400℃にも達します。高速道路でもない限り、車で逃げても追いつかれるほどのスピードです。急峻な山肌を間近に見るとその恐怖を体感できるようです。
仁田峠第二展望所からの平成新山です。平成2年(1990)から活動を再開した平成の大噴火では、普賢岳にできた溶岩ドームから島原市街地方面へむけて、大量の火砕流が駆け降りました。仁田峠の手前にある第二展望所は、その火砕流跡を眺めるベストスポットです。
なお仁田峠に向かう仁田峠循環道路は一方通行路なので、見学希望の方は通過しないようにお気を付け下さい。うっかり通過してしまった場合は、またぐるっと一周して戻ってくることになります。
雲仙岳災害記念館・がまだすドームへ行こう
長崎県島原市にある雲仙岳災害記念館・がまだすドームです。火山災害の驚異と災害の姿を伝える全国初の火山体験学習施設で、平成14年(2002)に開館したものです。「がまだす」とはこの地方の方言で頑張るという意味です。
いちばんの見どころは平成大噴火シアターで、直径14mのドーム型スクリーンに雲仙普賢岳の噴火に伴う火砕流や土石流が投影され、連動して床が動き、温風が顔に向けて吹き出すというもので、手すりを握ってスタンディングスタイルで見る7分間の映像は臨場感たっぷりです。
火砕流の直撃を受けて焼き尽くされた風景。実際に火砕流で被災した実物資料を展示しているので鬼気迫ります。
被災カメラです。「雲仙・大火砕流378秒の遺言」というタイトルがついていて、平成3年(1991)6月3日午後4時8分の大火砕流の犠牲となった日本テレビのカメラマンが使用していたもの。災害から14年後の平成17年(2005)に北上木場地区で発見されました。
カメラは火砕流の熱で焼けただれていましたが、復元に成功したテープには目前に迫りくる大火砕流の物凄い様子が映っていました。エンドレスで流されるその映像を見ていると報道の使命感と人命の重さに心が押しつぶされそうな思いがします。
あわせて見ておきたい被災した旧大野木場小学校
平成3年(1991)9月15日午後6時54分に発生した大火砕流によって、近辺の民家153棟もろとも被災した「旧大野木場小学校」の被災校舎と砂防みらい館です。このときの火砕流では幸い避難が徹底していて人的被害はありませんでした。           
併設された砂防みらい館では、被災の状況や復興の様子などが学習できます。雲仙普賢岳の常時監視も行っています。
旧大野木場小学校の砂場跡。約400℃といわれる火砕流の熱で、砂場の砂が一瞬のうちに蒸発してしまった跡です。
すさまじい熱風で窓枠さえ歪んでしまった旧大野木場小学校被災校舎です。小学校はその後、同じ南島原市の深江町内に移転を余儀なくされました。
もうひとつの噴火災害「土石流」とは
長崎県南島原市深江町の国道251号線にある「道の駅みずなし本陣ふかえ」では、隣接する土石流被災家屋保存公園で、土石流災害の凄まじさを実感できます。
土石流は堆積した大量の火山灰が降雨などで水を含むことで発生するものです。雲仙岳の東側斜面から有明湾にそそぐ水無川の流域では平成4年(1992)に大規模な土石流が起こり、多くの家屋を飲み込みました。
土石流被災家屋保存公園では、同年8月8日~14日の土石流で被害にあった家屋を屋外に8棟、大型テント内に3棟の合計11棟の被災家屋を保存展示しています。家屋は平均約2.8m埋没しています。
雲仙普賢岳の噴火による建物の損壊状況は、火砕流によるものと土石流によるものを合わせて2511棟で、被害額は2299億円にも上りました。 

旧大野木場小学校被災校舎
place
長崎県南島原市深江町
phone
0957736632
opening-hour
見学自由
妙見岳
place
長崎県雲仙市
no image
がまだすドーム
rating

4.5

105件の口コミ
place
長崎県島原市平成町1-1
phone
0957655555
opening-hour
9:00-18:00(入館は17:00まで)

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