東北の古都、世界遺産・平泉にある遺跡「柳之御所」の3つの見どころ


2017.02.21

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春夏秋冬・国内外を問わず、多くの観光客が訪れる岩手県平泉町。なかでも駅の西側にある中尊寺や毛越寺は抜群の知名度を誇ります! 一方で駅の東側にある「柳之御所」。かつて平泉の中心地だったにも関わらず、あまり知られていない隠れた名所です。そこに張り巡らされた堀!堀!堀! 平安時代の館とは一体どのような役割だったのか? 平泉を訪れたならば是非立ち寄りたい遺跡「柳之御所」をご紹介します。
世界遺産・平泉の中心地、柳之御所って?
奥羽藤原氏の三代目・秀衡が政治を行った政庁跡だったとされる「柳之御所」。
発掘調査によって堀、池、掘立柱などの遺構や土器、陶磁器などの遺物が発見されました。その量は平泉にある遺跡群のなかでも群を抜いた量と質だったと言われています。また保存状態も良好で、平泉の文化遺産のなかでもとくに重要な遺跡ということから、国の史跡にも指定されました。
鎌倉時代の『吾妻鏡』にも「平泉館(ひたいずみのたち)」の名で登場し、平泉の中心的存在だった柳之御所は、平成22年4月より修復整備を経て公園となっています。
それにしても建物がないと見どころがわからない! と思っている方のために、柳之御所を読み解く3つのポイントを確認していきましょう。
1.堀!堀!巨大な堀!
柳之御所の区画は、この大きな堀で区切られています。堀は水のない通称「空堀(からぼり)」。敵が侵入してきた時に、落下すると大きな衝撃を受けるようにわざと水を入れておりません。
堀の長さは全長500mにも及び、その全貌は今後明らかになっていくでしょう。発掘調査の結果、内側の堀は最大で幅14m、深さは4mにもなります。堀を越えて行き来するために、当時は橋が掛けられていたそうです。
お城というと天守があるような立派な近世城郭をイメージすると思いますが、天守が誕生したのは16世紀の後半頃だろうと言われています。当然、平安時代には天守はなく、空堀で防御しているこの館も(広義の意味で)お城の一種だったのです。
ちなみに、柳之御所は政治の場。秀衡の住まいは南側に接する伽羅御所(きゃらのごしょ)にあり、橋や道路でつながっていたそうですよ。
2.かつての仕事場とは?
現在は建物の跡は残っておりませんが、広場の中心には2つの大型建物が建立されていました。「西の建物」は東西11m・南北14m、庇を持つ格式の高い建物だったようです。「東の建物」は、さらに長い南北25mの建物でした。
2つの中心建物の近くには池があり、これら一体で儀式が執り行われて空間だったようです。ちなみに、建物や園池を区画するためには板塀が使用されていたことも発見されました。
3.柳之御所に無数に存在する「穴」の正体は?
2009年の発掘調査までに69個の井戸が見つかりました。深さは5 m以上のものもあり、井戸内部からは陶磁器やかわらけ、印章(むらいん)、木製品などが発見されています。しかも!当時の最高級品「青白磁椀」が発見されたということは、奥州藤原氏の栄華が証明されたわけですね。
ちなみに、井戸から陶器が出土する理由は、井戸が枯れてしまい放棄する際「井戸鎮め」の儀式で投下していたためでした。また井戸が使用されなくなってからは廃棄穴としても利用されています。
こちらはトイレ。汚物廃棄穴は40カ所ほど見つかっています。中心部分で排泄された汚物は、離れたところにある大きな穴に運ばれていたようです。廃棄物処理の専門者もいたのかもしれないと想像すると、彼の肩にそっと手をおいてあげたい気持ちになりますね。 

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