水晶ではなく、水精のお寺!島根県大田市・仙頂山「安養寺」


2017.02.12

LINEトラベルjp 旅行ガイド

“水精の寺”と呼ばれる寺院があるのをご存知でしょうか?その寺院は、世界遺産“石見銀山”で有名な島根県大田市にあり、数多くの水晶を所蔵する「安養寺」。しかも水晶を“水精”と表記されています。聖徳太子や顕如上人ゆかりの寺宝や伝統的な左官技術によって龍が造形された経蔵を有する“水精の寺”、仙頂山「安養寺」を、そのゆかりや歴史などにも触れながらご紹介いたします。
「安養寺」の概要
世界遺産“石見銀山(いわみぎんざん)”の保存地区内にある浄土真宗本願寺派の寺院「安養寺(あんにょうじ)」の山号は、仙頂山(せんちょうざん)と称され、その昔“石見銀山”の隆盛の地、仙ノ山の頂にあったと伝わっています。もともと天台宗の寺院でしたが1523年(大永3年)に浄土真宗に改宗し現在にいたります。
こちらの本堂は1795年頃、寛政年間の建築。阿弥陀如来像を本尊としています。では、なぜ「安養寺」が“水精の寺”と呼ばれるのか、同じ意味・読みですが表記が“水晶”ではなく“水精”なのか、といったその理由を見ていきましょう。
“水精の寺”安養寺
古来、中国、朝鮮、日本では水晶に水の精霊が宿る石として、水精の字が当てられていました。
また「無量寿経」、「観無量寿経」、「阿弥陀経」といった仏典の中には、浄土を構成するものとして七宝が示されています。金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲 ( しゃこ )、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)の七つの宝。その中の一つ、玻璃が水精のこと。
戦国時代に、織田信長(おだ のぶなが、1534年~1582年)と、後に浄土真宗と呼ばれる一向宗との戦い、石山合戦がありました。「安養寺」の第七世の孫である釈法祐(しゃくほうゆう、生没年不詳)も門徒17名を連れて参戦し、その功績により、浄土真宗本願寺派の第11世宗主、顕如上人(けんにょしょうにん、1543年~1592年)から紫水精の“二輪念珠”を拝領。
上記のような歴史や経緯もあり「安養寺」では水晶を示す際に、寺宝の記録にある水精の表記を使用しているのです。
こちらは、本堂内に安置されたご本尊の阿弥陀如来。“無限の寿命”と“無限の光明”を説かれている仏というサンスクリット語がその語源と言われています。
堂内に所蔵される様々な水精
また釈法祐は石山合戦に向かう際に、阿弥陀如来像である“阿弥陀如来木造”を兜の内に収め参戦しました。そのため、その如来像は別名“兜如来”とも呼ばれています。またその阿弥陀如来の作者は、当時43歳だった聖徳太子(しょうとくたいし、574年~622年)と伝わっており、現在、安養寺の第一の寺宝として納められています。
厨子(ずし)の上部には、お釈迦様の骨、仏舎利(ぶっしゃり)として崇拝していた瑪瑙の石が据えられています。まさに“水精の寺”に相応しい寺宝の数々です。
本堂内には様々な水精が所蔵されているので、じっくりと心静かに眺めてみてはいかがでしょうか。
“おみ法り”に収められた水精
「安養寺」では、紫水精や瑪瑙が金襴小袋に収められ“おみ法(の)り”として取り扱っています。記念やお土産に購入するのもオススメです。
また寺宝は、毎年10月下旬の報恩講の日に公開がされますので、時期が合いましたら日程を調整してみてはいかがでしょうか。「安養寺」では、その他に様々な行事や催しが開かれているので、詳しくは下部関連MEMOにあります公式サイトへのリンクからご確認下さい。
鏝絵の施された経蔵
本堂の手前にある経蔵は、天台宗の名残りで輪転蔵となっています。
経蔵の外壁には伝統的な左官技術、鏝絵(こてえ)によって経典を守護する雲龍が造形されています。
鏝絵は、左官職人が鏝を使って壁に漆喰で立体的に絵を描いたものです。特に島根県大田市以西の石見地方は古くから、鏝絵の盛んな地域なので、外壁などにも注目しながらお見逃しの無いように。 

read-more
安養寺
place
島根県大田市大森町ホ226
phone
0854890770
no image

この記事を含むまとめ記事はこちら