大阪に謎のピラミッド?巨大な現代アート?堺市の「土塔」


2016.06.16

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国内の仏塔といえば、多くの方が京都・東寺や奈良・興福寺の五重塔のような木造建造物を思い浮かべるでしょう。しかし、国内にはわずかながら一風変わった塔も存在します。今回はその代表格であり、日本版ピラミッドというべき大阪府堺市の「土塔」をご紹介しましょう。
高僧・行基ゆかりの仏塔!奈良時代に築かれた「土塔」
ピラミッドと見間違うばかりの姿をした「土塔」(どとう)が位置するのは、大阪府堺市の土塔町公園。「土塔」は、当地出身の高僧・行基によって建立されたとされる大野寺の仏塔です。鎌倉時代に作られた『行基菩薩行状絵図』」には、大野寺の境内と思しき場所に「十三重土塔」と記された塔が描かれており、それが土塔を指し示していると見られています。『行基年譜』によると、起工は神亀4年(727)。発掘調査で奈良時代の瓦が多数発見されたことからも、その築造は奈良時代であると考えられています。
形状は頂上部分が平らな四角錐の形をしており、一辺の長さは53.1メートル。高さは8.6メートル以上あり、十三層からなる土の塔であったことが判明しています。類似の建造物としては奈良県の頭塔(ずとう)や岡山県の熊山遺跡(くまやまいせき)が挙げられますが、各層とその前面に瓦が葺かれているのは独特です。
もちろん、時代が経つにつれて土段は崩れ、長らく小さな方形の古墳のような状態としてあり続けていましたが、平成10年から10年がかりでおこなわれた復元整備事業により、築造当時の姿がよみがえりました。築造当時と整備前の様子が一目でわかるように、それぞれの状態が半分ずつ再現されていますが、その分裂的な状態が巨大な現代アートを思い起こさせ、土塔についての予備知識を持たない方は、その不可思議な偉容にさぞ驚かれることでしょう。
その光景、圧巻!築造当時の姿を再現した瓦葺き
写真は築造当時の姿を再現した箇所。ご覧のように、数え切れない数の瓦が配置されており、当時の土塔が瓦の塔というべき建造物であったことがうかがえます。したがって、その築造には大量の瓦が必要となりますが、土塔の近くには、土塔に葺くための瓦を生産した釜跡も発見されています。土塔の築造がいかに大掛かりなものであったか、そのことからもうかがえるでしょう。
土塔の断面はこうなっている!土塔の断層展示箇所
土塔の一角には、実際に土塔の断面を見せてもらえるスペースも設けられています。こちらを見ると、実際に土塔が階段状に築かれていることがわかります。
土塔の断面はこうなっている!土塔の断層展示箇所
土塔の脇には、ご覧のように、築造当時の姿を再現した模型も置かれています。模型で注目したいのは、頂上部分に当たる十三層目に八角形の建造物が据え付けられていること。その形状は奈良県・法隆寺の夢殿や栄山寺の八角堂などを参考にして再現されていますが、その独特の姿からは、土塔の唯一無二の存在性が強く感じられませんか?
案内板の横に展示された築造当時の瓦
もう一点、注目したいのは、ご覧の案内板。解説文の左側には発掘調査によって採取された築造当時の瓦の破片が展示されていますが、それを良く見ると、瓦に文字が刻まれているのが、おわかりになるでしょう。
土塔から発見された瓦の多くには、このような文字を記したものが見られます。その数、1,000点以上!文字の大半は人名であり、僧侶や豪族のほか、一般庶民と思しき人の名も見られます。一説では、その名前の多くは、行基の指揮のもと、土塔の築造にたずさわった人々であり、土塔の完成に際してみずからの名を瓦に刻み、奉納したのではないかと考えられています。築造当時の様子がしのばれる貴重な史料ですね。
おわりに
土塔の魅力、ご理解いただけたでしょうか。もちろん、その独特の構造や歴史性は高く評価されており、現在は国の史跡にも指定されています。そのような貴重な歴史遺産である土塔を実際にご覧になり、現代アートと見間違えるほどの独特の意匠の数々をご堪能下さい。 

土塔町公園
place
大阪府堺市中区土塔町
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