白洲正子「かくれ里」を追体験「ずずいこ様」に会いに行く旅!甲賀市・油日神社


2015.11.18

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昭和46年(1971年)。白洲正子は24章からなる随筆「かくれ里」を出版し、第24回読売文化賞を受賞しました。それは近畿地方を巡った随筆集で、ややもすると日記風に書かれていますが、なによりも白洲正子は能・茶道・生け花・建築・仏像・骨董など造詣が深く、その著書を読み追体験すれば、白洲正子レベルの教養が身につくことは疑いありません。今回は「かくれ里」に書かれた滋賀県甲賀市・油日神社をご紹介しましょう。
正子をして民芸であって民芸をこえている「田作福太夫神ノ面」
白洲正子は、終戦後連合国軍の占領下となった日本で、吉田茂の側近として活躍した白洲次郎の妻ですが、自身は華族の出身であることを強く意識し、大正13年には(正子14歳のとき)当時、女人禁制であった能舞台に女性として初めて立ち、学習院女子部初等科修了後は渡米しハートリッジ・スクールに入学した才女でした。生涯を通じ骨董を愛し、日本の美についての随筆を著し、古典美に興味を持つ女性たちのカリスマ的存在となりました。1998年(平成10年)の病没後もその著書は再刊されるなど、その人気は衰えていません。平成21年に白洲次郎の生涯がテレビドラマ化されたことに関連し、その名前が再び世にでましたが、生前は白洲次郎の妻というより、「白洲正子」という自立した存在で知られていた女性でした。
その、白洲正子が、甲賀市・油日神社(こうかし・あぶらひじんじゃ)の所蔵する古面「福太夫」(ふくだゆう)の存在を知ったのは、京都の博物館で古面の展覧会。所蔵が土山の在、油日神社であることを記憶していて、京都から伊勢に取材に行く途中に、それを思い出し「わきみち」したと著書「かくれ里」に書いている。
実際には油日は土山ではなく甲賀で、京都から伊勢へいく国道一号線が土山を通っているため、土山との思い込みから突然、横道にそれる気になった。京都の博物館で一度見て、二度も古面を見たがったのは、彼女は(博物館での)ガラス越しの鑑賞にあき足らないところがあり、所蔵先に赴いて取材をおこなうことは多々あり、油日訪問もこのような流れで実現したのです。
突然の訪問にもかかわらず油日神社では宮司さんが在宅しており、正子さんは手に取って古面を鑑賞され、田舎にある能面の多くが、在地の人の手作りであることが多いことをふまえて、その彫り方からそれとは異なり名工の作であり、民芸であって民芸をこえていると自身の見解を述べています。
現在も、白洲正子が訪問したときと同じ様に、宮司さんが在宅をしていなければ古面を鑑賞することはできませんが、白洲正子と異なるのは、正子さんが訪れたときにはなかったコンクリート造りの資料館ができており今はガラス越しにしか鑑賞できないことです。しかし4歳から能を習い、女性で初めて能舞台に立った、能面に詳しい白洲正子であればこそ、その手にとって良し悪しがわかろうというもので、その著書「かくれ里」を事前に読んで鑑賞に挑めば、ガラス越しでもその造形を十分に理解できるでしょう。
※本稿の「福太夫神ノ面」の文字使いは「かくれ里」に依拠しています。
正子をして民芸として最高のものといわしめた「ずずいこ様」
白洲正子曰く「あられもない姿」と表現したのが、「ずずいこ様」。この人形があることは二、三の学者や研究者から聞いていたということなので、古面と一緒に鑑賞するのが目的だったといえるでしょう。その「ずずいこ様」は裸姿の赤ちゃんが桶のなかで沐浴をしているような姿にみえますが、豊穣の祭りである「田まつり」に使用された人形で、残念ながら「田まつり」の行事そのものは明治の末頃途絶えてしまっています。
田を耕す、種を蒔く、丈夫な稲が育つといった豊作の祈りに性の関係がみられるものは全国的に散見されるもので油日が特異ということではありませんが、そのインパクトは強く、白洲正子が鑑賞を乞うただけのことはあります。
白洲正子は、じかに鑑賞していますが、こちらも今はコンクリート造りの資料館に収められていてガラス越しにしか鑑賞できません。ガラス越しでも観察をしてみれば、紐が見えるのでからくり人形ということがわかります。よって紐をひけば手も動き、足も動く、そして真ん中のところも動くという仕掛けになっています。ここでも白洲正子は知識をいかし、自然崇拝と民俗との関係をうまく整理しています。ただ、「ずずいこ」の意味は所持する油日神社も分からず、さすがの白洲正子も不明で、著書で「ご存知の方は教えて頂きたい」と書いているので、これを知っておれば、正子越えということになるかもしれません。
※「ずずいこ様」は赤ちゃんというより1歳児くらいの大きさはあります。
正子曰く、今まで持ちこたえてきた油日神社の壮麗さ
白洲正子は、油日神社の社殿について、「楼門や本殿は、室町時代の建築で、周囲に清らかな回廊がめぐっている」と書いています。今も檜皮葺の社殿が美しく、楼門、本殿、回廊も健在です、また正子さんは記していませんが周辺の家々もそれと調和するような佇まいを守ってくれていることがわかります。また油日神社は油の名のとおり、油関係(石油会社、精製、食品関係)の崇敬が厚く、神社ではよく酒樽の奉納がみられますが、こちらは酒樽とともに油(缶)が奉納されています。
白洲正子がその著書を「かくれ里」と題したのは、「別に深い意味があるわけではない。(中略)秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも「かくれ里」の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである。」と書いているように、国道一号線や(白洲正子が訪れたときにはなかったが)新名神高速道路のICから車でわずか15分から20分あまりにところにある油日神社とその周辺は、今も白洲正子が追った「かくれ里」のイメージどおりのところといえるでしょう。
※本殿、楼門及び回廊(3棟)、拝殿とも国の重要文化財です。
正子曰く、今まで持ちこたえてきた油日神社の壮麗さ
まとめ・半世紀前、白洲正子が見つけた「かくれ里」を確認する旅
昭和46年。白洲正子は24章からなる「かくれ里」を出版し、その第一章が滋賀県甲賀市甲賀町油日にある油日神社につたわる「油日の古面」で「すずいこ様」は続く第二章の「油日から櫟野寺」に書かれています。出版は昭和46年ですが芸術新潮という文芸雑誌に二年間連載したもので、第一章は昭和44年(1969年)に書かれています。白洲正子59歳の時の作品で、はや半世紀が過ぎようとしていますが、その著書を読み進めれば時間を感じさせない筆力、白洲正子の教養の深さに感銘を覚え、追体験の旅に出たいと思わずにはいられなくなるでしょう。そんなあなたを「かくれ里」はしずかに待ってくれています。
◆鑑賞・見学について
「古面」・「ずずいこ様」鑑賞は事前に電話で予約をお願いします。
※突然いかれても社務の都合で見学できないことがあります。
油日神社の詳細(見学料・電話番号等)については本文下「MEMO」よりご確認、お問い合わせください。 

油日神社
rating

4.0

14件の口コミ
place
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
phone
0748882106
opening-hour
9:00-16:00

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