日本遺産~飛鳥を翔けた女性たち~は4代の女性天皇を巡る旅


2015.11.03

LINEトラベルjp 旅行ガイド

平成27年4月。日本国創成のとき~飛鳥を翔けた女性たち~として、奈良県明日香村を中心とした地域が日本遺産に認定されました。その年代は第33代の推古天皇から第41代の持統天皇までの約105年間でその歴代天皇の半数が女性天皇。我が国の黎明期であるにもかかわらず女性が活躍した時代ということが評価されています。なにより「我が国はじめて」が多いのも特徴です。あなたも、女性天皇を巡る旅に出掛けてみませんか?
我が国はじめての女性天皇・推古天皇
推古天皇(すいこてんのう)は第33代天皇で日本初の女性天皇です。
彼女は554年に生まれ第29代欽明天皇の皇女であり、18歳で第30代敏達天皇の皇后になります。ちなみに第31代用明天皇は同母兄、第32代崇峻天皇は異母弟ですが、先述した第30代敏達天皇は欽明天皇の長子ですから、兄と結婚したことになります。34歳の時に敏達天皇に先立たれ、第32代崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されると、適齢の男子が皇室にいないことから臣下の要請とも、推古天皇の母が大臣蘇我稲目の娘で蘇我氏が権勢拡大を狙って推挙したともいわれていますが39歳で即位します。第30代敏達天皇との間に竹田皇子がいましたが、即位の直後先立たれ皇位を譲ることはできませんでした。
彼女は母方の叔父の蘇我馬子と摂政の聖徳太子を用い朝廷を運営しますが、太子亡き後、蘇我馬子が天皇直轄であった葛城の地は元々蘇我氏の土地であったとして、その支配権を望んだところ、推古天皇は「これまでにも、あなたの願いはなるべく聞いてきたつもりですが、公の土地をあなたに譲ってしまえば、後に私は愚かな天皇だったといわれ、あなたも忠誠心に欠けた大臣であったと謗られる」といって聞き入れなかったとういう逸話は有名です。蘇我氏の台頭に聖徳太子を登用するなどバランス感覚に秀でた天皇の在位は35年にわたりました。
その推古天皇の宮殿が豊浦宮(とうらのみや)。推古天皇が即位した宮殿であり、現在の浄土宗向原寺の辺りです。狭義では飛鳥時代は推古天皇元年(593年)から持統天皇8年(694年)の藤原京への移転まで約102年間が飛鳥時代で、ここから飛鳥時代が始まったのです。
我が国はじめての譲位・皇極天皇
皇極天皇(こうぎょくてんのう)は35代天皇。女性としては二人目の女性天皇です。天皇は薨去しての代替わりが通例でしたが、中大兄皇子らが宮中で蘇我入鹿を討ったいわゆる乙巳の変の翌日、同母弟であった軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲ります。在位期間は642年2月19日から645年7月12日と短いのですが、天皇がご存命のまま位を譲った初めての例で、日本史上初の譲位とされています。ちなみに乙巳の変は、教科書にでてくる大化の改新の端緒となった事件で、この事件の現場が飛鳥板葺宮(あすかいたぶきのみや)で皇極天皇の宮殿でもありました。
伝飛鳥板葺宮跡がそれで、「伝」の文字がはいっているのは、ここが飛鳥板葺宮のほか4回にわたり宮殿の造営がなされ、その層が重なっていることを示す配慮です。現在目にすることのできる石敷広場や井戸跡は、最上層の飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)のもので下層に皇極天皇の宮殿が眠っているとは、幾重にも歴史が重なる飛鳥といった感じがしますね。
我が国はじめての「重祚(ちょうそ)」・斉明天皇
斉明天皇(さいめいてんのう)は37代の天皇。先述の皇極天皇と同一人物です。二度目の在位は655年2月14日から661年8月24日。
このように一度退位された天皇が再び即位されることを「重祚(ちょうそ)」と呼びます。これまで重祚された天皇は皇極天皇が斉明天皇として、孝謙天皇が称徳天皇のお二人しかおられず、重祚も珍しいことながら、その先例となった天皇です。
飛鳥時代の遺跡や遺物が斉明天皇の時代につくられたものが多く、日本遺産の認定ストーリーも飛鳥時代の迎賓館であった石神遺跡、飛鳥京の付属庭園である飛鳥京跡苑池のほか、猿石などの石像、祭祀の施設と考えられる酒船石遺跡(亀型石水槽)、日本初の水時計である漏刻(飛鳥水落遺跡)など多くあります。
祭祀施設や漏刻は時と空間を支配するための施設ともいわれ、斉明天皇の遺跡は巫女、シャーマニズム的な要素を持ち合わせているのも特徴です。皇極天皇の時、雨乞いのため大臣である蘇我氏が大乗経典を転読させたものの微雨で効果がなく、皇極天皇が天に祈ると雷が鳴って大雨が降ったという逸話もあるほどです。
さらに斉明天皇の本質となると「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)を忘れてはいけません。「狂心の渠」とは、斉明天皇が運河を掘らせて公費を浪費していること、その運河を使って舟で石を運び、飛鳥の東に丘のように積み上げさせていることを揶揄したものです。「日本書紀」の斉明2年(656年)の条に200艘の船で天理市石上神宮(いそのかみじんじゃ)付近の石を飛鳥まで運ぶにあたり、のべ3万人を動員して運河を造り、さらに石垣の造営にのべ7万人が動員されたと記されています。ちなみに飛鳥から天理までは約13km。民の反対を押し切った大事業でした。
現在そのあとはありませんが飛鳥散策では奈良県立万葉文化館の東側に沿った水路あたりとされ、散策路が整備されています、目印として飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)近くの小公園に案内看板があります。
我が国はじめての「重祚(ちょうそ)」・斉明天皇
持統天皇(じとうてんのう)は大化の改新の年に(中大兄皇子)第38代天智天皇の第二皇女として生まれ、後に天武天皇の皇后となった人物。第40代天武天皇との間に草壁皇子(くさかべのみこ)をもうけますが皇子は28歳で亡くなり、また夫の天武天皇にも先立たれたため、45歳で第41代の天皇として即位します。ちなみに、夫の天武天皇は持統天皇にとって叔父であり、天武天皇の妃は4人いましたが、妃はすべて天智天皇の娘でしたので姉妹同士。夫の天武天皇からすればすべて姪という関係ですから驚きですね。天武天皇に嫁いだのは14歳のときで、天武天皇は生年不詳ですが一説には631年生れとされており年の差は14歳でした。
持統天皇は694年に飛鳥から都を藤原宮に移しましたが、その藤原宮は夫である天武天皇の意志を継いだ「天武天皇と持統天皇の合作」として日本遺産に認定されています。藤原京までは天皇の代替わりごとに宮殿が造営されていましたが、藤原宮は以後三代にわたって宮殿が固定化され、なにより藤原宮は我が国はじめての中国風の都です。
持統天皇を巡るスポットは、皇極天皇でも紹介した伝飛鳥板葺宮跡です。ここは天武・持統両天皇がくらした飛鳥浄御原宮跡でもあり律令制定の詔がだされた重要な場所。でも歴史探訪としては飛鳥時代終りの地といったほうがインパクトは強いでしょう。そしてもうひとつが遷都によって奈良時代の始まりの地となった藤原宮。実は伝飛鳥板葺宮跡(飛鳥浄御原宮跡)から藤原宮までは4.2kmしかありません。できれば、歩いて遷都を体感してほしいと思います。飛鳥からですと右手に持統天皇が詠んだ和歌「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」の香久山がほどなく見え万葉の世界にも踏み込めます。
まとめ・女性天皇は女性管理職の大先輩?
4代3人の女性天皇を巡る旅は、飛鳥寺や石舞台という定番スポットは出てきませんから新鮮といえるでしょう。また、遺跡のほか女性天皇の個性に注目すれば、仕事のスタイルも三者三様。バランス感覚の推古天皇。バリバリにこなし過ぎ「狂心(たぶれごころ)」とも揶揄された皇極・斉明天皇。夫のやり遺した事業の遂行に徹する持統天皇。それぞれ即位をした年齢も40代前後で、なにやら組織を任される年代が現代とおなじようにも思えます。彼女たちの生き方とともに巡れば、日々のシゴトに活かせる旅になるかもしれませんね。 

奈良県立万葉文化館
place
奈良県高市郡明日香村飛鳥10
phone
0744541850
opening-hour
10:00-17:30(入館は17:00まで)
飛鳥坐神社
rating

4.0

23件の口コミ
place
奈良県高市郡明日香村飛鳥707-1
phone
0744542071
opening-hour
境内自由
no image

この記事を含むまとめ記事はこちら