備前焼の源流?大量の須恵器が出土した岡山「寒風古窯跡群」


2015.09.22

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日本六古窯の一つ・備前焼といえば、岡山県を代表する陶器。自然の土を焼きしめただけの素朴さが多くの陶芸愛好者の目を楽しませていますが、そんな備前焼がいったいどこから来たか、みなさん、ご存知ですか?今回は備前焼の源流とも考えられている岡山県瀬戸内市の「寒風古窯跡群」をご紹介しましょう。
一人の郷土史家が発見!寒風古窯跡群
国指定の史跡に登録されている「寒風古窯跡群」(さぶかぜこようせきぐん)とは、岡山県瀬戸内市牛窓町長浜地区に位置する須恵器の窯跡。当地は中四国地方最大の須恵器の生産地であり、総称で「邑久古窯跡群」と呼ばれる古窯跡群のなかでもその南端に位置しています。操業時期は、飛鳥時代を中心とした約百年間。飛鳥時代、この地に大規模な窯跡があったこと、ご存知でしたか?
寒風古窯跡群を発見したのは、地元の郷土史家・時実黙水(ときざねもくすい)氏。昭和初期のこと、氏は付近の神社に参拝の途上、現在の3号窯付近で須恵器を採取。その後も付近からたくさんの須恵器を発見したことから、当地に遺跡が眠っていることを確信します。その後、氏はみずからの研究成果を研究誌を発表。それにより、寒風古窯跡の存在が全国に知れ渡ることとなったのです。氏の地道な研究があったからこそ、現在の寒風古窯跡群があることを忘れてはなりません。
トンネル式穴窯構造を持つ2号窯跡
窯跡は1号窯・2号窯・3号窯から成り、1号窯には3基の窯が並ぶように設けられていました。写真は2号窯の窯跡。2号窯はトンネル状に地面を掘り込んで作った地下式穴窯構造で、その長さは12.7メートル。当地の窯跡のなかでも最長の規模を誇っています。
須恵器の破片が堆積する灰原
写真は1号窯跡の向かいにある「灰原」。「灰原」とは、窯の燃料となった木材の炭や灰が堆積したところ。灰原には窯出しの際に選別された欠陥品も廃棄されました。事実、現在も灰原周辺には当時の須恵器の破片が散乱していますが、もちろん、破片といえども貴重な文化財。絶対に持ち帰らないように。
須恵器の破片が堆積する灰原
興味深いのは、遺跡の敷地内に古墳も築かれていること。写真はその古墳で、寒風古墳と名付けられています。発掘調査の結果、直径6.5メートルの円墳であることが判明していますが、なかでも特筆すべきは、横穴式石室の床面に須恵器(甕)の破片が大量に敷き詰めてられていたこと。その築造年代が寒風古窯跡群の操業していた時期である点も踏まえると、被葬者が寒風古窯跡群で働く工人たちを束ねていた長であったことが推察できます。
都にも出荷!?中央とつながりを示す鴟尾の破片
寒風古窯跡から出土した遺物の一部は、隣接する寒風陶芸会館で観覧することができます。そこからは高杯や瓶、皿、鉢などの日用品のほか、写真のように、お寺の屋根を飾っていた鴟尾や陶製の棺、官庁で使われていた硯なども焼かれていたことがわかります。しかも、これらは奈良の都城跡をはじめ、畿内各地の遺跡からも出土しており、寒風古窯跡群が中央と密接な関係を持っていたことがうかがえます。
寒風古窯跡群で須恵器が焼かれなくなると、窯は北へと移動。平安時代末期には現在の備前市伊部地区に生産拠点が移ります。伊部地区を代表する特産物といえば、いうまでもなく、備前焼。ここからも寒風古窯跡群が備前焼の源流に位置する遺跡であることがうかがえるはず。そういった目で寒風古窯跡群を眺めると、感動もひとしおですね。
おわりに
寒風古窯跡群がいかに重要な遺跡か、おわかりいただけたでしょうか。遺跡に隣接する寒風陶芸会館では陶芸体験もできるため、遺跡を見てまわった後、陶芸にチャレンジしてみるのも一興。悠久の歴史をいまに伝える寒風古窯跡群で備前焼の源流に思いを馳せてみてください。 

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寒風古窯跡
place
岡山県瀬戸内市
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