『麒麟がくる』の謎多き主人公、明智光秀を巡る旅~岐阜・滋賀編~


2019.10.29

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2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』。戦国時代の寵児・織田信長に反旗を翻した、謀反人として知られている明智光秀。謎多き人物としても知られる光秀のゆかりの地を巡る連載です。第一回は、出自とされる岐阜や、城主をつとめたこともある滋賀を巡ります。 織田信長を討った男、明智光秀って? 明智氏の祖先は、源頼朝と同じ清和源氏の一族で、美濃国(現在の岐阜県)守護の土岐家といわれています。光秀は、「美濃の蝮」と呼ばれた戦国大名・斎藤道三にその才覚を認められて、家臣となりましたが、道三が討たれると、美濃を追われ越前へと逃げます。その後、足利義昭に仕えていたことが縁となり、織田信長の家臣に。次々と功績をあげ、出世をしていきます。そして戦国最大の謎と称される「本能寺の変」へ、運命の歯車が大きく動いていきます。 光秀出生の地!?「明智城跡」 光秀はその出自が定かではなく、生誕の地にも諸説あります。そのひとつが岐阜県可児市にある明智城。
1342年、美濃の守護、土岐頼兼が「明智長山城」を築城したことから明智家がはじまったとされています。1556年、明智光秀の叔父が城主だった時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城しましたが、光秀はそれまでの約30年間をここで過ごしたと伝わります。典型的な中世の山城ですが、遊歩道が整備されており、春から秋にかけてハイキングコースとして楽しめます。
また、お城の北のふもとにある天竜寺には、184センチの日本一大きな光秀の位牌があり、毎年6月には光秀公御法要が営まれています。
◆明智城跡
住所:岐阜県可児市瀬田
アクセス:東海環状自動車道可児御嵩ICから約2km、名古屋鉄道明智駅から徒歩約23分
電話:0574-50-7056(可児市観光協会)
もうひとつの生誕の地「明智光秀公学問所と天神神社」 光秀の生誕の地とされるもうひとつの場所が岐阜県恵那市。恵那市にも、明“知”城(白鷹城)跡が残っており、そこにあるのが「明智光秀公学問所と天神神社」。
恵那市明智町の万ヶ洞にある天神神社は、光秀が若かりし頃、京都から招かれた嵯峨天龍寺の雲水・勝恵という学僧とともに学問に精進した場所といわれています。祭神は菅原道真で、明知城の築城後、城下の安泰を祈願するために建てられましたが、学問の神様としても信仰を集めています。
また恵那市には、光秀が産湯として浸かったとされる井戸などもあります。可児市と恵那市には、他にも出自にまつわるスポットが点在しているので、比べてみる旅も面白そうです。
◆明智光秀公学問所と天神神社
住所:岐阜県恵那市明智町1318-2
アクセス:中央自動車道瑞浪ICから約20km、明知鉄道明智駅から徒歩約30分
電話:0573-54-2111(恵那市観光協会明智支部事務局) 光秀のファンが集う「西教寺」 全国に約400余りの末寺を有する天台真盛宗の総本山である「西教寺」は、明智一族の菩提寺としても知られます。
織田信長の比叡山焼き討ちで焼失した西教寺の復興を助けたのが、坂本城主となった光秀です。西教寺の総門は、坂本城の城門を移築したと伝えられています。近くには光秀が築いた名城坂本城があった坂本城址公園があるので、あわせて訪れてはいかがでしょう。
また、西教寺には光秀の貴重な遺品が残っており、命日にあたる6月14日には、毎年多くのファンが集い法要が行われるなど、単なる反逆者としてではない、愛され続けている一面を伺わせます。
◆西教寺
住所:滋賀県大津市坂本5-13-1
アクセス:名神高速道路大津ICから約13km、京阪電鉄坂本比叡山口駅から徒歩約20分
電話:077-578-0013(西教寺)
拝観無料 岐阜や滋賀にはまだまだ、光秀ゆかりの地が多数あるので、ぜひ足を運んでみましょう。
次回は織田信長に仕え、多数の功績を残した地であり、謀反を起こした地でもある「京都」を巡ります。 

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明智城跡
place
岐阜県可児市瀬田
phone
0574621111
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西教寺
place
滋賀県大津市坂本5-13-1
phone
0775780013
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