ワタリウム美術館の「青木陵子+伊藤存 展 変化する自由分子のWORKSHOP」をレポート ものづくりのポジティブな力を表現


2020.08.06

OMOHARAREAL

「青木陵子+伊藤存 展 変化する自由分子のWORKSHOP」のレポートをお届けするべく、キラー通りにあるワタリウム美術館を訪れた。本展は8月30日(日)まで会期を延長して開催中だ。   青木 陵子(あおきりょうこ)、伊藤 存(いとうぞん)両氏は、ともに京都を拠点として活動する現代アーティストだ。個人としての活動に加えて、2000年より共同制作をスタート。以来、ほぼ毎年ペースでコラボレーションでの展覧会を行っている。     現代アートや建築、思想など、先鋭的かつ幅広いテーマの展覧会を企画する「ワタリウム美術館」。エリアのアートカルチャーを牽引する存在だ。   このエントランスに来るといつも胸が高鳴る……   2017年、2019年に開催された「リボーンアート・フェスティバル(RAF)」をご存知だろうか? 合計で延べ70万人を動員し、アートシーンを大いに賑わせた “アートと音楽と食のお祭り” だ。震災の爪痕が残る宮城県石巻市に、国内外で活躍する多くのアーティストが集結。豊かな自然と地域との関わりの中で創作を行い、力強いうねりを見せた。   本展で見ることができるのは、青木・伊藤両氏のRAFにおける成果の再編成、バージョンアップを行ったもの。石巻市の離島、網地島(あじしま)の空家に残されたものを主な素材として生まれた “人がものをつくるということ”、“つながりを持つこと” への洞察に満ちた作品たちだ。   さらにそれと並走するように、ふたりのアーティストが長期間にわたって共作する映像作品《9歳の境地》が展示される。こちらは自身の子供の変化・成長を観察し、人の頭の中がどうやってできていくのかを丁寧にたどるアニメーション作品だ。   形を変えながらめぐり続けるものに焦点を当てた作品群と、人間の内面の成り立ちを見つめる作品が有機的に絡み合うのが、今回の「青木陵子+伊藤存 展 変化する自由分子のWORKSHOP」なのである。 想像力+素材+面白がる手     2階展示室に進むと、まずは物量に圧倒される。並んでいるのはものづくりの素材や、網地島の空家から出てきたもの、そしてそれをつくり変えたものなどだ。思考の手がかりとなりそうな、短い詩のような言葉が添えられているものもある。     展示品の間にはタブレット型モニターが多数設置してあり、それぞれの作品群と対応するようにアニメーション作品《9歳の境地》のシーンが流れる。入り口付近では、土や糸といった素材が少しずつ変化していく中、画面では命の始まりと思われる場面が展開していた。     空家に残されていた浴衣の水紋は、そのまま流れるようなドローイングに変身。衣服が絵画に変わる瞬間を見たようでハッとする。     添えられた《包み紙は緑の髪の毛の子のネクタイに変わる / ネクタイはチョコレートの包み紙になり役割を交換する》の言葉の通り、銀紙とネクタイの端切れが入れ替わっている。お互いのまんざらでもなさそうな面持ちにニヤリとしてしまう作品だ。     こちらは空家の納屋から発見された竹製の帆船(精巧さにしびれる!)。 島の、名もなき工作好きな漁師さんの作品と思われる。漁師には手先の器用な人が多く、遠洋漁業の仕事の合間に船内で手工芸を楽しんでいたのだという。移送で壊れてしまったパーツも、ストーリーの一部としてそのまま展示されている。     会場内はRAFに関連する共作だけでなく、青木・伊藤両氏それぞれの個人制作作品も交えて構成される。ドローイングや刺繍作品を通じて、ふたりの中で通奏低音のように続く人間の成長への関心や、網地島での創作期間のインパクトが垣間見えて面白い。時間を多めに見積もって、ゆっくり鑑賞したいところだ。     生まれ変わってめぐる雑貨店   3階では、なんと展覧会の中で雑貨店《メタモルフォーセス》がオープンしている。     RAF2019で青木・伊藤両氏が展示会場とした網地島の古い駄菓子店には、大量の衣服や食器などが残されていた。それらに様々な人の手を加えてリメイクし、店頭販売したのがプロジェクト《メタモルフォーセス》だ。インタビューによると、伊藤氏は「空家に残ったものを、廃棄物ではなく “つくったもの” として外へ流していきたい」という思いだったという。   今回は、その《メタモルフォーセス》が東京の美術館内に場所を移してリニューアルオープン。品物だけでなく雑貨店そのものも、形を変えてめぐってきたというわけだ。値札が付いている商品は1階にて購入可能なので、手にとってじっくり眺めてみるのもいい。 形の無いものをかたちづくる   2〜3階とは少し空気が変わり、4階展示室では人間の頭の中にあるビジョンを形にした作品が並ぶ。     《数字の部屋》は、青木氏とその娘さんのやりとりで創造される独特なドローイング作品だ。まず青木氏が映画などから色彩だけを抽出したドローイングをつくり、娘さんが色を頭の中で対応する数字へと変換して、絵にしていくという。     暗幕の奥に進むと、映像とインスタレーションによる作品《記憶の部屋》が展開される。繊維を撚り合わせて作った糸や、大小さまざまな枝が立体的に関わり合い、何かを丸めた塊がぶら下がる。危ういバランスのオブジェたちは、頭の中に堆積した記憶の結晶だろうか。   壁に投影されるアニメーションは、人の内面から宇宙までがぐるりと循環するイメージを繰り返す。明かりの明滅によって、糸や枝のシルエットがアニメーションの線と混ざり合い、記憶が思考に影響を与えているように見えた。 できるかな? できるかな?   展示を最後まで鑑賞したあとは、エントランス付近で「沈黙交易ワークショップ」が密やかに実施されているのを見逃さないでほしい。 沈黙交易とは、約300年前にアイヌの人々によって実際に行われていた非接触型の物々交換だ。品物も交換品も、“相手がいない間に置いておくスタイル” で行われる。     網地島の空家から出てきた品物のうち、作品にならなかった小物や端切れが並ぶ。交換用のワンセットを準備しているのはアーティスト自身なのだそうだ。ひとつ持ち帰って交易に参加し、自分なりのやりかたで何かを形作ってみることにした。   薄桃色の端切れ、縄模様の入った空色の端切れ、金のキラキラした糸、紫の毛糸、丸めた土のビーズ   ちょうど、以前に石垣島のお土産でもらったエイの箸置きを新しくおろすところだったので、エイ夫婦の初夜布団をつくった。我ながら「なんだそりゃ」という感じがしたが、つくりたくなってしまったのだ(金糸のおめでたいイメージと、撚り合わせたロープの柄が “絆” を連想させたのだと思う)。     石巻市の暮らしのかけらは、石垣島のガラスのエイを寝かせることになった。こんなふうに手を動かしたのは、何年ぶりだろう。構想から製作まで、気づくと熱中してあっという間に時間が経っていた。ものすごく楽しかった。   写真とメッセージを専用アドレスに送り、沈黙交易は完了。もともとは、当時恐れられていた疫病の蔓延を防ぐためにこのような交易方法が取られていたという。自宅でひとりだったからこそ、目の前のものに集中して手を動かせた気がする。人が集まってのワークショップが難しい状況である今、この手法の豊かさをしみじみと実感した。 ものつくるひとの、生きる力   どこへ行けばいいのだろう。なにをしたらいいだろう。緊張と弛緩と、また緊張を繰り返すうちに夏が来た。もしも漠然と不安なのだったら、この展覧会に足を運んでみることおすすめする。   共作するふたりのアーティストは大上段に構えることなく、ただ彼らが面白いと思う方向へ進んでいく。説教じみたメッセージも、深読みしてほしそうな佇まいも、ここには無い。だからこそ、見る人は “つくること” そのものの持つ根源的な明るさ、誠実さのエネルギーを感じることができるのだろう。それを「art」の語源である「ars(生きる術)」と呼べるかもしれない。   冒頭に展示されている立体作品は、つくることの始まりにある “見えないものを想像する力” を表している “ものをつくる” とき、最終形はガチガチに決めないのだと青木・伊藤両氏は言う。まず未だここにないものを想像する。そして素材の形や役割を流動させる。何になるかよく分からないものと向き合いながら、手探りで進んでいくのだ。   確かに、どこへたどり着くかが決まっているなんて、よく考えれば面白くない。そして並走する映像作品が教えてくれるのは、“人が生きる” のもそれとよく似ている、ということだ。   石巻市で生まれたものづくりのポジティブな力を、キラー通りまで連れてきて発展させた「青木陵子+伊藤存 展 変化する自由分子のWORKSHOP」。旅路にある人とものの、終着点ではなく道のりを大事にするからこそ、そのタイトルには「ワークショップ」と付けられているのだろう。   展覧会Instagramはこちら   Text / Photo:Mika Kosugi  

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ワタリウム美術館
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3.5

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東京都渋谷区神宮前3-7-6
phone
0334023001
opening-hour
11:00-19:00
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