鎌倉時代から、南北朝時代を経て活躍し、室町幕府の将軍家として君臨した足利氏。もとは源頼朝と同じ源氏の流れをくむ一族でした。そのため、鎌倉にも足利家ゆかりの地が多くあります。歴史をめぐる鎌倉旅第三弾では、足利氏の足跡をたどる散策コースをご紹介します。
-
01
代々の足利氏の魂が眠る菩提寺「浄妙寺」
足利氏の菩提寺として創建した、臨済宗建長寺派のお寺です。開基(創立者)は源頼朝の忠臣であった、足利義兼です。以来足利氏の人々が供養され、足利尊氏の父である足利貞氏の墓もこちらにあります。本堂には南北朝時代に作られた、木造釈迦如来坐像がおさめられています。
浄妙寺 三門
周辺の予約制駐車場
-
02
足利氏隆盛と衰退を象徴する「報国寺」
足利尊氏の祖父である足利家時によって、創建されたと伝わるお寺です(上杉重兼が開祖という説もあり)。
足利氏はその後繁栄していきますが、鎌倉公方となった足利氏は室町幕府と対立。永享の乱にて敗れた足利義久が自刃した寺でもあります。報国寺 本堂
1000本もの孟宗竹林を見下ろすように「やぐら」が彫られており、足利家時と足利義久の墓と伝えられています。
報国寺のやぐら
周辺の予約制駐車場
-
03
戦乱に敗れた親王の歴史を伝える石碑「理智光寺跡」と「護良親王の墓」
鎌倉幕府が滅亡したのちに、鎌倉幕府再興を求めた北条氏子孫による「中先代の乱」が起きました。その対応にあたった足利直義は、東光寺に幽閉されていた護良親王が、鎌倉幕府再興の旗印となることを恐れ、淵辺義博に殺害を命じました。うち捨てられた護良親王の首を葬り供養したのが、理智光寺の僧であったと伝えられます。お寺はその後衰微し、今では石碑だけが当時の歴史を伝えています。
理智光寺跡に設置された石碑
護良親王の墓
- 護良親王墓
-
- 神奈川県鎌倉市二階堂
-
- 0467613884
すべて表示 -
04
鎌倉公方足利家の菩提寺「瑞泉寺」
室町幕府の将軍家となった足利氏ですが、鎌倉を治める鎌倉公方として、足利尊氏の四男基氏を分家しました。足利基氏は高僧・夢窓疎石に帰依して、当時「瑞泉院」と呼ばれていたこのお寺を中興し、名前を「瑞泉寺」と改めました。
以降、鎌倉公方足利家の菩提寺として栄えたお寺です。夢窓疎石は優れた作庭家としても有名で、境内は今でも美しい姿を見せています。瑞泉寺 本堂
周辺の予約制駐車場