鎌倉幕府を開いた武将として、源頼朝が有名ですが、その後ろ盾として助力していたのが北条氏です。鎌倉に幕府が開かれたあと、強い権力を持ち執権として代々幕府の政治に関わってきました。北条氏の残した多くの歴史的な寺社が今もここ、鎌倉に残されています。
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蒙古襲来の犠牲者を弔うために建てられた「円覚寺」
鎌倉時代の後半に創建された「円覚寺」。開基は北条時宗。宋より招いた無学祖元禅師が開祖となりました。
蒙古の襲来による多くの戦死者を弔うために、建立したと伝えられています。火災にあうなど度重なる危機に見舞われましたが、現在も中世の面影を残す境内が保存されています。
開基の時宗は、建長寺を創建した父・時頼を同じく禅宗に深く帰依していました。円覚寺舎利殿
ところでこちらのひそかなアイドルは、2匹の猫ちゃん達。しいちゃん、かなちゃん、と呼ばれて参拝者にかわいがられています。
猫ちゃんにも挨拶を
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かつて女性を守るための尼寺だった「東慶寺」
東慶寺は北条貞時の夫人「覚山志道尼」が開創した尼寺です。女性の側から離婚を申し出ることのできなかった封建時代、離婚を取り持つ「駆け込み寺」として600年以上女性を救済してきました。明治時代に一度尼寺としては解散し、改めて禅寺として開山されましたが、今でも尼寺時代の情緒が多く残っています。
東慶寺本堂
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北条時頼が出家生活を送った「明月院」
鎌倉幕府5代執権北条時頼が、その地位を譲り出家生活を送ったのがこの明月院です。
北条時頼廟
境内の奥には宝篋印塔と呼ばれる石塔があり、時頼の墓所であると伝えられています。庭園にはアジサイや花菖蒲など多くの花が植えられ、四季を彩る美しい景色が見られます。特に人気なのは本堂の丸窓から覗く紅葉で、ゆったりと時間の流れを味わいがなら楽しむことができます。
明月院の丸窓
周辺の予約制駐車場
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北条時頼が大覚禅師のために創建した「建長寺」
中国から渡ってきた大覚禅師のために、北条時頼が建立したお寺です。禅宗を他の宗派と一緒に学んでいた当時としては珍しく、純禅宗のお寺として開かれました。火災により建立当時の建物はなくなりましたが、手厚く保護され、江戸時代には幕府じきじきに修繕を援助されていました。
建長寺仏殿
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北条氏を弔うための寺「宝戒寺」
鎌倉幕府滅亡とともに滅んだ、北条氏の魂を鎮めるために建立されたお寺です。後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、北条屋敷のあった場所に作らせました。地蔵菩薩を本尊とし、当時の仏教学問の重要な修行の場でもありました。また、宝戒寺は別名「萩の寺」と言われ、秋になると参道にはたくさんの萩を見ることができます。
宝戒寺境内
- 宝戒寺
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3.5
46件の口コミ -
- 神奈川県鎌倉市小町3-5-22
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- 0467225512
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- [4-9月]9:30-16:30[10-3月]9:3…
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- 【URL】http://hokaiji.com/
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鎌倉幕府終焉の地「東勝寺跡」
3世紀前半に、鎌倉幕府の三代執権北条泰時が創建した寺院です。元弘3年(1333)5月22日、新田義貞の軍勢による鎌倉攻めの際、北条高時ら北条氏一門870名がここに立て篭り、火をかけて自刃しました。焼失した建造物はただちに再興され、室町時代には関東十刹の第三位に列する名刹となりましたが、戦国時代には廃寺となりました。
現在はフェンスで周囲を囲まれており、中に入ることはできません。一見するとただの平和な広場にしか見えませんが、鎌倉幕府滅亡の地として、歴史的にきわめて重要な場所です。東勝寺跡
周辺の予約制駐車場
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北条一族の墓と伝わる「腹切りやぐら」
東勝寺跡を左手にまっすぐ進むと、「祇園山ハイキングコース」に入ります。その入口にある山肌をくり抜いたやぐらは、北条高時一族郎党870名の墓として伝わる場所です。あたりには静寂が立ちこめ、一種独特な雰囲気が漂います。
北条氏一門870名が眠る「腹切りやぐら」
この立て札が目印
- 祇園山ハイキングコース
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- 神奈川県鎌倉市雪ノ下・大町
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- 0467-61-3884
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