近鉄「だった」内部線・八王子線に乗ってきました


2015.05.18

NAVITIME TRAVEL EDITOR

2015年4月1日に「四日市あすなろう鉄道」に生まれ変わった内部線・八王子線。場所はコンビナートで有名な三重県四日市市にあります。近鉄に思い入れのある社員が近鉄としての最後のひとときの内部線・八王子線に乗車してきました。

  • 01

    内部線・八王子線が激レアな理由

    これらの路線は、全国的に見ても非常に珍しいものがあります。それは「線路の幅」。日本には主に以下のサイズがあります。
    ・1,435mm:標準軌(新幹線や京急、阪急など)
    ・1,372mm:馬車軌(京王線、都営新宿線など)
    ・1,067mm:狭軌(JR在来線など)
    そして、
    ・762mm:特殊狭軌(四日市あすなろう鉄道、三岐鉄道北勢線、黒部峡谷鉄道)
    内部線と八王子線は、全国でも三重県と富山県にしかない特殊狭軌の路線なのです。
    これらの路線、2015年3月31日までは近畿日本鉄道(略して近鉄)として運営されていましたが、経営上の理由で四日市あすなろう鉄道に移管されました。3月31日までの近鉄は、標準軌、狭軌、特殊狭軌の3つがそろう鉄道会社でもあったのです。

  • 02

    近鉄四日市駅から旅の始まり

    旅といっても、内部線と八王子線を合わせて7km、9駅。せっかくだから内部・八王子線 1day フリーきっぷを使って全駅乗り降りしてみることにしました。
    近鉄四日市駅の内部線・八王子線ホームは近鉄名古屋線の高架の下。その線路幅が特殊なゆえ、車両もこの路線専用で、長年つかっていて年季がはいっています。一般的な車両と比べても幅が細く、小ぢんまりとした印象。ちなみに、冷房はありません。
    ホームに掲げられている発車案内標も、行き先が2種類しかないためとてもシンプルです。

  • 03

    八王子線・内部線の分岐する日永駅へ

    まずは隣の赤堀駅まで乗ります。私が乗ったのは3月30日。赤堀駅の駅名標は近鉄仕様の駅名の裏に、2日後に移管される四日市あすなろう鉄道用に差し替えができるようになっていました。
    ちなみに、私と同じように趣味としてこの路線に乗りに来たと思われる方々もちらほら散見でき、乗車していた人の1/4程度はそうだったかな、という感じでした。

    さて、次の日永駅までは約0.8km。歩いて移動することにしました。内部線は旧東海道と並走しています。この先にも旧街道の史跡がありますが、それは後ほど。ほどなく日永駅に到着です。ここは八王子線と内部線の分岐駅。この後到着する西日野行に乗って、八王子線の終点を目指します。

  • 04

    八王子線の終点西日野駅

    終点までは日永駅からたったの1駅。終点の西日野駅に到着です。八王子線には八王子という駅はないのです。じゃあ、この路線名は何?ということですが、以前はこの駅から先にも線路は続いており、伊勢八王子駅まで運行されていました。昭和49年に付近の川が豪雨によって氾濫し、西日野駅より先は廃止となってしまった経緯があります。区間はなくなったけど、路線名にだけ残ったため八王子線なのです。

    次は内部線の終点まで行くのですが、西日野駅から内部線の南日永駅までは1.3km程度。だから、また歩いて移動しました。

    ©ゼンリン

  • 05

    旧街道に沿って駅を乗り降り

    内部線は30分間隔での運転で、南日永駅でもまだ少し時間がありそうだったので、さらに隣の泊駅まで歩きました。日永一里塚跡や名残の一本松といった旧東海道の史跡があります。この一里塚は日本橋から100個目で、1里は約4kmですから江戸から約400kmに位置していることになります。

    内部線に戻り、泊駅から追分駅まで乗車します(約700m)。駅名の由来となる追分は東海道と伊勢街道の分岐。鳥居をくぐるほうが伊勢方面、右に折れると鈴鹿峠を越えて京都方面に行けたようです。

  • 06

    終点は内部駅

    内部線の終点はその路線名のとおり、内部駅。八王子線と内部線の車両の車庫もあります。内部線はこの先も延伸する計画があったとか。ただ、東海道沿いであれば、この先には交通の難所が控えていたために、鉄道の敷設もここまでだったのかもしれません。

  • 07

    距離は短いけど味わいのある八王子線・内部線

    もしかすると、今頃はこれらの路線がバスに転換されて廃止されていたかもしれません。地元の存続要望によって四日市あすなろう鉄道に移管され、今も鉄道として運営を続けています。
    特殊狭軌という日本では数少ない路線であることもそうですが、東海道史跡めぐりもできる貴重な路線だと感じました。
    車両は長らく使っていて、今後のメンテナンスも大変そうですが、これからも長くこの路線が残っていて欲しいと思いました。

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