川越の「昭和の街」ってどんな街? シャッター商店街に川越人が明かりを灯す


2018.05.31

マイナビニュース

●川越を歩いて、明治・大正・昭和へタイムトラベル
埼玉県中部に位置する川越は、街のシンボルである「時の鐘」や「蔵造りの町並み」などで全国的にその名を知られている。川越の蔵造りの町並みは明治26(1893)年に発生した「川越大火」後に防火対策として建てられた、いわば明治の町並みだ。
この蔵造りの町並みに隣接して大正時代の雰囲気を今に伝える「大正浪漫夢通り」があり、さらに2014年には「川越中央通り『昭和の街』を楽しく賑やかなまちにする会」(以下、昭和の街の会)が発足し、中央通り沿道を中心に街づくりを進めている。このように川越は歩くだけで、まるでタイムマシーンで明治・大正・昭和の各時代へタイムトラベルに出かけたような感覚が味わえる。
今回は、昭和の街で「大黒屋食堂」を営みながら「昭和の街の会」会長も務める岩澤勝己さんに案内していただきながら、街歩きを楽しんでみよう。
○かつての盛り場の面影をたどって
都心から川越に向かうには、JR線、東武東上線、西武新宿線の3線が利用できるが、今回は池袋から東武東上線に乗車し、川越駅のひとつ先の川越市駅に降り立った。市街地の北部に位置する蔵造りの町並みなどの観光エリアへは、川越駅からよりも川越市駅からのほうがわずかながら距離が近い。しかも、2016年2月には西武線の本川越駅に西口が新設され、川越市駅と本川越駅の乗り換えが便利になった。
川越市駅からまずは本川越駅に向かい、西口側から東口側に通り抜けてみよう。ここから左手に進路を取り、スクランブル交差点を越えて「中央通り」を歩いて行く。この中央通りを北上すると、「連雀町(れんじゃくちょう)」交差点、続いて「仲町」交差点があり、仲町交差点の北側には、いわゆる蔵造りの町並みが広がっている。目指す昭和の街は、この中央通り沿いの連雀町交差点から仲町交差点までの沿道と周辺の路地を含むエリアであり、その中心には蓮馨寺(れんけいじ)というお寺がある。
蓮馨寺前から中央通りに交差して伸びるのが、「立門前(たつもんぜん)通り」だ。江戸時代、川越は10の町人地である「十ヵ町」と4つの寺の門前町である「四門前(しもんぜん)」を中心に町割りが行われた歴史があり、今は路地のひとつのようになっている立門前通りは、かつては蓮馨寺門前町のにぎわいの中心だった。今の静かな様子からは想像がつかないが、全盛期の昭和30年代から40年代頃には風俗店やストリップ劇場などもあったという。
しかし、時代とともに市街地南部の川越駅周辺に街の中心が移り始めると、次第に活気を失い、シャッターを閉ざす店が増えていった。昭和の街の会の活動の根幹に、この辺りの街を再び元気にしたいという思いがあるのは、いうまでもない。
中央通りから立門前通りに入ってすぐ右手に見えるのは、明治時代に芝居小屋から始まり、その後長い間、映画館として市民に親しまれた「旧鶴川座」(現在は閉館)だ。今年58歳の岩澤さんは子どもの頃、当時日活の上映館だった鶴川座で和泉雅子や山内賢、渡哲也、吉永小百合らが主演する映画を見たという思い出を話してくれた。
さらに通りを50mほど進むと左手に、現在は建物解体調査中のため更地になっている、「旧川越織物市場」の敷地がある。旧川越織物市場は、江戸時代末から昭和初期にかけ、国内屈指の織物の集散地として知られた当時の川越の記憶を今に伝える、明治43(1910)年築の木造2階建ての建物だ。市場閉場後、2001年まで長屋住居として使われ、2015年3月に歴史的風致形成建造物に指定された。
川越市は土地を取得し、建物の解体調査・部材修復設計・整備工事を行い、今後はものづくり・まちづくり系の若手アーティスト・クリエーター向けのインキュベーション施設として、2020年度中に供用開始することを目指しているという。
○「昭和の街」とはどのような街か
さて、岩澤さんに案内されながら昭和の街のエリアを歩いてみたが、この場所が昭和の街であることを示す看板が設置されているわけではない。また、オート三輪やボンネットバスが展示されているわけでもなく、最近の昭和ブームを牽引する九州の豊後高田市や、池袋の「ナンジャタウン」のような分かりやすい昭和をイメージした観光地ではないことが分かる。
この点について岩澤さんに聞くと、「観光客のみなさんに来ていただきたいという気持ちはもちろんあるが、我々が目指すのは地元の人々がゆったり時間を過ごせるような人情味あふれる持続可能な街であり、大勢の観光客が大挙して押し寄せるような場所ではない」という。
では、全く昭和らしさを感じないかといえばそんなこともない。例えば、中央通り沿いや路地には「看板建築」と呼ばれる建築様式の商店が数多く残るが、これらはまさに昭和そのものだ。看板建築とは、中央通りが開通した昭和8年当時に流行した建築様式で、洋風建築を建てるのが難しかった商店が、伝統的な町家を建て、道路に面した建物前面に看板のように洋風の壁面を取り付けた擬洋風建築のことをいう。
○内陸部の川越に乾物がそろっている理由
また、昭和の街には、昭和生まれの読者が訪れたならば懐かしさを感じること請け合いの、人情味あふれる商店も数多くある。今回は岩澤さんに、いかにも昭和の街らしい3つの店を紹介してもらった。
最初に訪れたのは蓮馨寺に隣接する乾物屋の「轟屋(とどろきや)」だ。海産物の干物やカツオ節などを扱う乾物屋は、昔はどこの街でもよく見かけたが、最近はスーパーマーケットなどに押され、すっかり少なくなってしまった。しかし、乾物屋を営むようになってからおよそ90年という轟屋は、今も埼玉県内有数の品ぞろえといわれており、オリジナル商品も開発するなど活気がある。
ところで、なぜ内陸部の川越でこれだけ豊富な海産物の乾物をそろえているのかという疑問に対し、店主の石井正美さんは「乾物は日持ちがするので、沿岸部よりもむしろ内陸部で発展しました。特に川越は新河岸川(しんがしがわ)の舟運で江戸とつながり、小江戸と呼ばれるほど繁栄した街。川越地方の特産品である茶や米を舟で江戸に運び、帰りに日用品や乾物類を乗せて帰ってきたと言われています」という。
なお、昔懐かしい商品が並ぶ中に、「鶏節(とりぶし/税込350円)」という見慣れないものがあるが、これは「カツオ節と同じように、焙乾(煙と熱でいぶす作業を何日も繰り返して乾燥させる)した鶏肉を薄く削った商品です。今から17~18年前に、娘の離乳食の時期に安心・安全なものを食べさせたいとの思いから開発をはじめ、2013年に商品化しました」(石井さん)という、同店のオリジナル人気商品だ。食べ方は簡単で、サラダに入れたり冷や奴に乗せたりするほか、鶏肉の代わりにチキンライスやチャーハンなどに入れるのもオススメだという。
次に訪れたのが仲町の交差点にほど近い、明治40年代の創業という老舗の呉服屋「呉服笠間」だ。こちらは、あの高級寝台列車でも話題の呉服屋だ。
●歴史が宿る川越土産--レコードの側に今日も集う
○新しい川越の名産品を
呉服屋「呉服笠間」で扱う「川越唐桟(とうざん)」というストライプ柄の綿の布地は、近年、川越の特産品として注目されつつあり、あのJR東日本が運行する高級寝台列車「TRAIN SUITE 四季島」の客室用浴衣にも採用されている。
川越唐桟の歴史は江戸時代末期にまでさかのぼる。それまで、高級品の絹は庶民にはとても手が届かず、庶民の衣服は麻などが主流だった。綿もあったが、和綿は細い糸がとれないため厚ぼったくなり、また、糸が短いため「節」と呼ばれる結び目ができ、着心地が良くなかった。
イギリスで産業革命が起こり細長い糸を紡ぐ技術が開発され、また日本の開国が進むと、エジプト綿やインド綿を原料とする細い糸が安く日本に入るようになる。「これで平織りの着物を作れば、江戸で売れるだろう」と、いち早く目を付けたのが川越の商人たちだったという。このように誕生した良質で安価な川越唐桟は爆発的に売れ、「唐桟」といえば川越と言われ、「川唐」の愛称まで生まれた。
しかし、明治26年の川越大火で街が衰退すると川越唐桟も途絶えてしまう。その後、昭和50年代にある人物が、かつて川越に唐桟という織物があったことを発見し、「唐桟を織って、再び川越の名産にしよう」と復興したのが、現在の川越唐桟なのだ。
呉服笠間では反物のほか、唐桟を使った「名刺入れ」(税込630円)や「小物入れ」(税込980円)なども扱っている。川越土産にひとついかがだろうか。
○大好きな街で小さな商売を
この日、最後に訪れたのは中央通りと立門前通りの角にある「レレレノレコード」という店だ。店内はレコードを中心に、CD、カセットを販売するスペースと飲食スペースがほぼ半々になっている。
早速、売り物のレコードを見せてもらうと、洋楽やジャズの名盤に混じり、若き日の五木ひろしや中山美穂の顔が印刷されたジャケットが目に飛び込んでくる。様々なジャンルのレコードがあるようだが、店主の小島大補さんは「サウンドでもビジュアルでもいいんですが、自分の中で何か引っかかるものがないものは置かないようにしています」と商品選びのポリシーを語る。つまり、自分の部屋のレコードラックと同じで、自分が気に入ったものだけを置く、セレクトショップなのだ。
このように書くと何やら頑固オヤジかもと思われるかもしれないが、小島さんは川越市内の別エリア出身の30代で、2年ほど前にこの店を開いた若者だ。今は、店の雰囲気を気に入ってくれた地元のお客さんも増え、たまり場のように様々な年代の人が集まるようになったといい、「人が集まって、そこから何かが生まれたら面白いな」と屈託のない笑顔を浮かべる。
また、この店をやることによって「自分の好きな街で、生活に必要な分のお金だけを稼いで小さく生活する。無理して遠くに通勤したりせず、家からちょこっと歩いてきて店を開ける。こういう生き方もある」ことを伝えたいと話す小島さんにとって、今まさに街の活性化が進む発展途上の昭和の街は、とても商売を始めやすい環境だったという。
そんな小島さんを小さい頃から知るという岩澤さんは、「この辺りは夜開いている店が少ないので、街の夜を盛り上げてくれる店があるのはうれしい。また、店で出す食べ物には地元の食材を使ってくれたり、DJの経験を生かして街のイベントを盛り上げてくれたりするのも助かる」と目を細める。
中央通り周辺は、昭和の街の会が立ち上がる前までは、にぎやかな南の川越駅周辺と北の蔵造りの町並みに挟まれ、観光客が素通りする典型的なシャッター商店街だった。しかし、ここ数年は、小島さんのような若者も移住して店を開くなどし、街が動き始めている感触がある。2017年にはエリア内に4店舗が新規開業し、今年に入ってからも立て続けに3店舗が開業した。
今後、岩澤さんが目指す持続可能性のある商店街や、小島さんが語るような地域に密着したスローライフに憧れるファンが増えれば、昭和の街は益々盛り上がっていくだろう。
○筆者プロフィール: 森川 孝郎(もりかわ たかお)
慶應義塾大学卒。IT企業に勤務し、政府系システムの開発等に携わった後、コラムニストに転身し、メディアへ旅行・観光、地域経済の動向などに関する記事を寄稿している。現在、大磯町観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員、温泉ソムリエ、オールアバウト公式国内旅行ガイド。テレビ、ラジオにも多数出演。鎌倉の観光情報は、自身で運営する「鎌倉紀行」で更新。 

本川越
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埼玉県川越市新富町1丁目
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