【京都ぶらり】天下人・豊臣秀吉や徳川家康ゆかりの史跡!池上にあった幻のお城☆「向島城址」


2020.06.01

Kyotopi

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は伏見区観月橋を渡った国道24号線沿いにある史跡。戦国武将・豊臣秀吉や徳川家康ともゆかりのあるお城址。巨椋池に存在した天下人・豊臣秀吉築城の幻の水城京都の中心に位置し、そのシンボル的存在でもある「京都御苑」。地下鉄でもアクセスでき、街中にもかかわらず四季折々で自然を満喫できる市民憩いの場。つい先日歴史ファンを驚かせるニュースが飛び込んできました。
16世紀末、豊臣秀吉が最晩年に築いた城郭「京都新城(しんじょう)」のものとみられる石垣の一部が京都御苑内仙洞御所から出土。この時は新型コロナウイルス感染予防により、御所の拝観休止中でした。
現在、非常事態宣言解除により、また拝観を再開。近々その様子をご紹介する予定ですが。それにしても、市内には他にも豊臣秀吉がかつて建てたとされる城址がいくつもあり、戦国武将とは皆そういうものなのか、城への執着と言いますか、こだわりがとても強い武将という印象を受けます。そんな豊臣秀吉の政治的拠点でもあった伏見城下、宇治川(淀川)に架かる観月橋(豊後橋)。こちらも秀吉とゆかりの深い橋。天下人・豊臣秀吉ゆかりの橋!宇治川に架かる2階建て構造「観月橋」 関連記事になります。併せてご参照ください。その渡月橋を渡り、国道24号線を南下。その国道沿いにある、なんてことのない民家の空き地。歩道と隔てる柵もあり、何やら駒札があります。豊臣秀吉が文禄元年(1592年)に隠居後の住まいとして建てたこの伏見城の支城『向島城』。当時ここには巨椋池があり、その池に浮かぶ島『向島』の水城であった向島城。
文禄3年(1594年)に徳川家康が向島の私邸にて観月の宴を開催。そこに招かれた秀吉が月見を気に入り、遊山所として築城したともいわれている。
慶長元年(1596年)に発生した大地震により、指月伏見城が倒壊。その避難場所が向島城だったと言われています。秀吉の死後、徳川家康の居城ともなった向島城ですが、元和5年(1619年)に伏見城とともに廃城。
さらに昭和に入り、巨椋池の大規模な干拓工事により地理的にこの辺りも様変わりしましたが、城跡の名残りとして本丸跡と推察される区域が微高地となっているほか、本丸町、二の丸町、鷹場町などの地名が今も残されています。
かつてこの場所に湖級の広さを誇る池があり、そんな池上に城があったとは。現在の様子からは全く想像がつかない史跡。興味深いですね。
向島城址へのツイートさて、京都高低差崖会の梅林さん著「京都の凸凹を歩く」(青幻舎)を手に「向島城」を目指すまち歩きに出ました。まずは京阪宇治線・観月橋駅を出て宇治川を渡す「観月橋」を北から南へ進みます。今も鉄道や幹線の要衝ですが、秀吉が首都伏見にモノ・ヒト・カネの流れを集約した時から始まっています。 pic.twitter.com/Ql16dUinzR— うたずき (@jazz4sekiyahama) March 9, 2020 基本情報名称:向島城址
住所: 京都市伏見区向島本丸町63−4 

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観月橋
place
京都府京都市伏見区豊後橋町
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