【京都ぶらり】蹴上インクライン奥にひっそりと佇む石仏!牛若丸ゆかりの地「義経地蔵」


2020.05.21

Kyotopi

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は左京区粟田口、蹴上インクライン奥にある石仏。地名の由来ともかかわり、牛若丸ゆかりの地。牛若丸(のちの源義経)ゆかりの石仏左京区粟田口の蹴上インクライン。すっかり桜シーズンは終了し、新葉旺盛で緑豊かな風景に様変わりしています。ここから西へ向かって下り、岡崎へと向かう風景は、観光客にとってもおなじみの景色だと思いますが。それとは逆に山手側。船泊になっています。さらに東には疏水が。ここまで上ってくると、わりとひっそりと人も少なく、時々リュックを背負った登山者を見かけたり。さらに山沿いには涼やかに疏水の水が分流しています。新緑にも映える光景。そして、高台の見晴らしのいい場所に、瓦屋根の雨よけ。その下に石像が。蹴上義経地蔵。
平安時代末期、源義経(遮那王・牛若丸)が鞍馬山から奥州へ向かう道中の安全祈願に日向大神宮を参拝。その途中東海道中の日ノ岡峠にて、平家の関原与一ら9人の一団とすれ違う。その際、一団の馬が蹴り上げた泥水を義経にかけてしまい、衣服を汚してしまう。謝ることなく通り過ぎた一団の無礼に怒り、義経は9人をその場で切り殺したと伝えられています。
その後、殺された9人の菩提を弔うために9体の石仏を安置。そのうちの1体がここに祀られています。そして、この地は元々「九体町」と呼ばれ、さらに「蹴上(けあげ)」という地名の由来も諸説ある中、泥水を蹴り上げたエピソードがその由来とも言われています。石仏前にはかなり古そうな花入れがあり、そこには義経大日如来と刻まれています。9体の石仏のうち、他数体もここから東海道を経て山科方面へ向かう途中に移転されて点在。何げなく見過ごしてきた石仏にも、日本史上の偉人にまつわる秘話があることに、ちょっと驚きすらあり。義経地蔵へのツイートえっ、こんな所に「義経地蔵」…❢目印も何もなく危うくスルーしそうに。蹴上の地名ゆかりの地蔵 2015年10月10日 pic.twitter.com/JJZdGQNZ2A— 真須田ともこ (@tomo08415) October 12, 2015 基本情報名称:義経地蔵
住所:京都市左京区粟田口山下町
 

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蹴上
place
京都府京都市東山区東小物座町
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