画家・藤田嗣治による静物画から、1920年代のパリを想う


2019.09.28

Harumari TOKYO

東洋と西洋を融合させた藤田独自の技法横たわる裸婦(ユキ) 1924年作
藤田嗣治
横たわる裸婦(ユキ)
1924年
油彩・キャンバス
54×73 cm世界中の芸術家たちが訪れ、数多くの傑作を生み出したパリ。1920年代ごろにはを中心に、出身国も画風も異なる画家「エコール・ド・パリ(パリ派)」たちが自由気ままに生活していた。その中でも有名な日本人画家として知られるのが、藤田嗣治だ。パリでの生活で、モディリアーニやピカソらなど数多くの芸術家と出会った藤田嗣治は、日本画の技法を油彩画に取り入れるという、それまでのパリの画壇にはないオリジナルの技法を編み出し、1921年の35歳の時に横たわる裸婦像など3作品を第14回サロン・ドートンヌ展に出品。浮世絵からヒントを得た輪郭線が特徴で、半光沢の滑らかな絵肌の上に描かれた高貴な裸婦像と当時のパリ画壇で絶賛を浴びた。横たわる裸婦(マドレーヌ) 1932年作
藤田嗣治
横たわる裸婦(マドレーヌ)
1932年
油彩・絹
69×99 cm展覧会「藤田嗣治 – Nude -」では、「素晴らしき乳白色」としてパリの芸術家たちに驚きをもって迎え入れられた裸婦像をはじめ、藤田嗣治の描いた静物画やデッサンなどが展示される。「長い髪のユキ」(1923年)、「横たわる裸婦(ユキ)」(1924年) 、「横たわる裸婦(マドレーヌ)」(1932年)など、藤田嗣治がパリ画壇の寵児に上り詰める絶頂期の作品といった貴重なものばかりだ。バラ1922年作 藤田嗣治 バラ 1922年 油彩・キャンバス 81×65 cm裸婦像をはじめ、パリで暮らす人々が日常で使っていた物を描いた静物画からは、藤田嗣治が暮らしていた当時の様子を垣間見ることができる。最高の芸術を求めて移り住んだパリで、さまざまな画家達との交流を重ねることで、やがて自らのルーツである日本の絵画の技法を取り入れ東洋と西洋を融合させることから生まれた藤田嗣治独自の世界観を堪能しに行こう。 

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