鹿児島の歴史/文化/見学スポット一覧

  • 豊玉媛神社
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    鹿児島県指宿市岩本750
    JR今和泉駅の北西約200mに佇む神社。通称デメジンサーと呼ばれる豊玉姫命を祀っている。境内を守るのは元禄8年(1695)に作成された仁王像。その後宝暦7年(1757)に今和泉島津家の菩提寺、光台寺へ寄贈されたが、明治の廃仏毀釈により廃寺。現在はもとあった場所で再び神社を守っている。
  • 大久保利通生い立ちの地
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    鹿児島県鹿児島市加治屋町
    「維新の三傑」と称される大久保利通が、西郷隆盛と同じ郷中で育った場所。鹿児島中央駅から徒歩約10分の甲突川沿いに記念碑と碑文が立っている。憲法発布に伴う大赦令で西郷隆盛の賊名が削られ正三位の追贈を受けたことがきっかけとなり、明治22年(1889)に二人の旧宅地に記念碑が建立された。立案に際しては記念碑と碑文を全く同等に扱うこと、同種同数の樹木を植えることなど、顕彰を平等に扱う配慮がなされている。
  • 西郷隆盛・従道誕生地
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    鹿児島県鹿児島市加治屋町
    大久保利通、木戸孝允と並んで「維新の三傑」に数えられる西郷隆盛とその弟・従道が青年時代までを過ごした場所。鹿児島中央駅から歩いて10分ほどのところに「西郷隆盛君誕生の地」と書かれた石碑が立っている。弟の従道は明治維新後に数々の大臣を歴任した人物。戊辰戦争に参加した後に海軍に移り、わが国最初の元帥・海軍大将、初代海軍大臣を務めた。
  • 南洲神社
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    鹿児島県鹿児島市上竜尾町2-1
    維新の三傑のひとり・西郷隆盛をはじめ、西南戦争に敗れた薩軍兵士たちの墓地の隣に、彼らを祀る神社がある。昔も今も鹿児島の人々に愛され続ける「西郷(せご)どん」の命日には、毎年盛大な例祭が執り行われる。
  • 私学校跡
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    鹿児島県鹿児島市城山町
    明治6年(1873)、政変で下野した西郷隆盛によって創設された私学校跡。一緒に官職を辞して帰郷した青年たちのために銃隊学校と砲術学校からなる私学校を設立。その後明治9年(1876)頃には県内すべての郷内に分校が設立され、青少年の多くが学んだといわれている。元々は国難に際しての兵士養成が目的だったが、旧士族の不平不満の受け皿としての役割も担うようになり、後の西南戦争へと発展するきっかけになったといわれる場所だ。西南戦争では一帯が激戦地となり、今も当時の弾痕跡が石塀に残っている。
  • 西郷公園(西郷公園内 西郷武屋敷跡)
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    鹿児島県鹿児島市武2-28
    西郷隆盛が住んでいた武家屋敷跡。明治6年(1873)に朝鮮への使節派遣を主張したが、論争に敗れて鹿児島に戻った。それから西南戦争の起こる4年後までをこの屋敷で過ごした。建物は西南戦争時に焼失したが、明治13年(1880)に復元された。庭には当時使用されていた井戸が残されており、現在も水がたたえられている。西郷隆盛と、親交の深い庄内藩家老菅実秀との座像が建てられている。
  • 野間之関跡
    旅行/観光
    鹿児島県出水市下鯖町2577
    野間之関は江戸時代に二重鎖国とも言われるほど厳しい取り締まりを行っていた薩摩藩の入口となる関所。場所はJR出水駅から車で約10分のところ。江戸時代後期の学者高山彦九郎はそのあまりの厳しさに「薩摩びといかにやいかに刈萱の関もとざさぬ世とは知らずや」と詠んだ逸話も残る。現在は市指定記念物に指定。跡地には野間之関を後世に伝える石碑が建ち、今も残る古井戸が当時の面影を残している。また春には桜が咲き、フォトスポットとしても見栄えの良い雰囲気を持つ。
  • 出水市公開武家屋敷「税所邸」
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    鹿児島県出水市麓町5-11
    国の重要伝統的建物群保存地区である出水麓武家屋敷群で公開されている武家屋敷のひとつ。税所邸はその中でも最古であり、江戸時代における武家集落の名残を色濃く残す建築物である。邸内には雨天時における弓の練習場のほか、隠れ部屋や抜け道といった実戦を想定した構造が特徴的。また庭園には大きく葉を伸ばしたモミジが植えられている。秋になると真っ赤に色づき、紅葉散策のビュースポットとして多くの観光客で賑わいを見せる。
  • 竹添邸
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    鹿児島県出水市麓町5-17
    出水麓武家屋敷群の堅馬場通りと仮屋馬場通りの交差点にある武家屋敷。竹添家は1637年に米ノ津から出水麓の屋敷に移り、以後組頭やあつかいといった要職を務めた家系。薩摩と肥後の国境に近い場所にあるため他の麓にある武家屋敷に比べ庭園などは質素だが、その分武家としての戦略的施設に重点を置かれているのが特徴である。また竹添邸では大河ドラマ「篤姫」のロケ地にもなった場所。JR出水駅から車で5分とアクセスもよく、案内人も常駐しているので観光の行先として選びやすい。
  • 栖林神社
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    鹿児島県西之表市西之表7597
    場所は種子島西之表港からほど近く。第19代島主種子島久基を祭神とする神社である。種子島久基は植林や製塩、新田開発に製鉄といった分野を促進。種子島の発展に寄与した人物としての功績を偲ばれ第23代種子島久道の夫人により1863年に建立される。久基は1698年に琉球から甘藷を移入。そのため「からいも神社」という異名を持つ。毎年1月11日に県指定無形民俗文化財「大的始式」を実施。栖林神社の弓場にて約1m75cmの大的を射ることでその年の災厄を払い、島の安全と無病息災を祈る行事が行われる。
  • 赤尾木城跡
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    鹿児島県西之表市西之表7545
    種子島西之表港からすぐ東、現在榕城小学校の校庭がある場所にあった城郭。赤尾木城はかつて島を治めていた種子島家の居城であり、1624年に第17代種子島忠時によって移住。以降明治の廃藩置県まで使用されていた。別名は上之城と言い、小学校の正門あたりに当時の石垣と土塁のみを残している。正門からすぐの場所には樹齢450年以上となる高さ10mほどのアコウの木がある。この木が茂っていたことが赤尾木の由来となっている。案内板も建てられており、当時の面影を知る歴史スポットである。
  • 泉重千代翁之像
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    鹿児島県大島郡伊仙町阿三
    泉重千代は1865年伊仙町阿三にて生まれ、昭和60年(1985)満120歳で亡くなった、江戸時代最後の生き残りといわれる人物。昭和51年(1976)には長寿ギネス世界一に認定され、その功績を讃えるために生家のあった鹿児島県徳之島の南側に広がる田園地帯に銅像と記念館が建設された。記念館では写真や遺品などが多数展示されており、泉重千代の長い足跡を今に伝えている。
  • 伊仙町立歴史民俗資料館
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    鹿児島県大島郡伊仙町伊仙2638
    鹿児島県徳之島の風土や昔の生活を今に伝える民俗資料館。場所は鹿児島県徳之島南端の県道83号線近くにあり、旧農業高校の校舎を改装して利用している。館内には自然・民具・考古資料の分野に分けられて展示。明治期から昭和にかけて使われていた民具や岩石標本のほか、徳之島カムイヤキ陶器窯跡から出土した土器や埋葬人骨といった特色ある展示品が魅力である。また砂糖車(サタグンマ)や島唄の映像資料など、島独自に伝わる歴史資料も閲覧することができる。
  • 阿伝集落サンゴの石垣
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    鹿児島県大島郡喜界町阿伝
    喜界島空港から車でおよそ15分。ハブが生息していないことから保存状態の良い石垣が数多く残っている。現在サンゴの石垣は貴重な文化遺産として大切にされており、特に多く残っている阿伝集落は、「シマあるきコース」の一つになっている。「シマあるき」地域住民のガイドによるボランティア組織で実行されており、阿伝コースでは、民族学者・岩倉市郎の生誕の地であり、映画撮影の場所としても知られるコースを巡る。
  • 僧俊寛の墓
    旅行/観光
    鹿児島県大島郡喜界町湾
    喜界空港から車で5分。平安時代、平氏討伐を企てた鹿ケ谷の陰謀に失敗し、喜界島に流罪になった僧・俊寛の墓。この地は「ボウズンメイ(坊主前)」と呼ばれ、現在でも花や線香が絶えることなく備えられている。墓の周辺からは、高い身分の島外の者と思われる人骨や、その人骨には刀傷があったことなどから、俊寛本人のものではないかと言われている。毎年3月には、俊寛の遺徳を偲んで俊寛ジョギング大会が開催されている。
  • 島尾敏雄文学碑
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    鹿児島県大島郡瀬戸内町大字押角
    瀬戸内町・瀬相港から車で約10分にある、文学人記念公園内。後に純文学者として著名になった島尾敏雄は、戦時中呑之浦で海軍特攻隊長だった。妻との出会いや、ここでの極限の体験が文学の原点になったといわれている。壮絶なまでの愛の高みを祈り刻んだ「死の棘」などの小説のほか、詩や随筆など多くの出版物を残した島尾は、第一回戦後文学賞や日本文学大賞、川端康成文学賞などの著名な賞を数多く受賞している。
  • 大和浜の群倉
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    鹿児島県大島郡大和村大和浜119
    大和村役場から徒歩約2分。大和浜に現存する、高床式倉庫の集まり。もともとは穀類を貯蓄するためや、火災などから守るための倉庫として集落のはずれに作られていたもので、奄美大島の高床式倉庫は、建築史上の変わり種とも言われている。釘を一本も使わない建築様式は最古のもので、茅葺きの部分が貯蔵庫になっているもの。ネズミが入れない工夫がされており、現在5棟が残されている。建造物は県指定有形文化財に登録されている。
  • ユイの館
    旅行/観光
    鹿児島県大島郡天城町天城439-1
    徳之島子宝空港から車で5分、天城町にある歴史民俗資料館。「ユイ」とは、島の人々が昔から大切にしている助け合いや励まし合いの精神のことで、「共同」「労働力の交換」を意味する。島民が生活していく中で学んだ「集う・育てる・遊ぶ・見せる・学ぶ」の五つが基本となっており、縄文時代の様子から平安時代、昭和から現代までの暮らしが分かる。西郷隆盛と徳之島の関係を記したコーナーもあり、島文化ならではの小型舟(サバニ)の実物も展示されている。
  • 尚子ロード記念碑
    旅行/観光
    鹿児島県大島郡天城町与名間
    徳之島子宝空港から車で約10分。シドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子選手が強化合宿を行なったことにちなんで、平成12年(2000)に建てられた記念碑。記念碑を拠点として徳之島の北側を周回する31.2kmの練習コースは「尚子ロード」と呼ばれ、徳之島の起伏の激しい地形を生かし、強靭な体力と精神力を鍛えている。全国からマラソン選手が練習に訪れ、走り込みをしている姿を見られることも。
  • 第46代横綱朝潮太郎記念像
    旅行/観光
    鹿児島県大島郡徳之島町井之川
    徳之島出身の横綱・朝潮太郎の記念像で、奄美の英雄の功績を称えて平成7年(1995)に建立された。恵まれた体格に太い凛々しい眉毛が特徴で、豪快な押し相撲で知られる朝潮太郎は、幕内優勝5回、殊勲賞4回の記録を誇る。小高い丘の上に、緑豊かな井之川岳を背景にして堂々とした姿の像が建っている。徳之島は相撲が盛んな地域で、各地に土俵がある。朝潮太郎は引退後、高砂部屋の親方として、多くの強豪力士を育てた。

鹿児島の主要エリア

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頻繁に噴火活動をしている「桜島」や「霧島山」がある自然豊かな鹿児島県は、「鹿児島空港」が三大都市圏と直行便でつながっており、東京からは飛行機で約2時間ほどで着きます。 鹿児島県は、605もある島を有する豊富な自然環境が魅力の県です。島には、世界遺産に登録されている屋久島や、マングローブが生息する奄美大島、ケイビングの聖地と言われている沖永良部島など、魅力のある場所がたくさんあります。 内陸には、ロケット発射場である「種子島宇宙センター」があり、豊かな自然だけでなく知的好奇心をくすぐるスポットもあります。 コンビニなどでも見かけるアイスの「しろくま」は鹿児島県発祥のスイーツで、県内にはさまざまなお店があります。本場のしろくまは、山盛りのかき氷にたくさんのフルーツが乗っている絶品スイーツです。また、豚骨ベースの鹿児島ラーメンや、鶏肉を使ったみそ汁のさつま汁なども鹿児島ならではのおすすめグルメです。

鹿児島の写真集

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