長崎のその他の史跡/建造物スポット一覧
エリア
-
- 日本二十六聖人記念館
-
4.5179件の口コミ
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市西坂町7-8
- 1597年、豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、フランシスコ会宣教師6名と日本人信徒20名が処刑された丘である。キリストが十字架の架けられたゴルゴダの丘に似ていることからここでの殉教を願い出たとも言われ、その後も多くの宣教師、信徒たちがこの地で処刑された。昭和37年(1962)、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込記念碑が建てられた。また昭和25年(1950)にはローマ教皇によりバチカン指定公式巡礼地と定められた。
-
長崎の隠れキリシタンの歴史を知ることができます。小さな記念館ですが、とても中身の濃く必ず一度はご覧いただきたい場所です。
-
- 平戸オランダ商館 1639年築造倉庫(復元)
-
3.591件の口コミ
- 旅行/観光
- 長崎県平戸市大久保町2477
- 1609年から1641年に長崎出島に移転するまでの33年間、オランダの貿易港として栄えた平戸に建てられた商館。貿易の積荷を保管するために1639年に造られた石造倉庫は、日本初の洋風建築物であり、オランダの建物に類似した外観であった。この外観が日本人にとっては奇異なものであり、西暦年号が破風に入っていたことなどから江戸幕府によって取り壊されたのである。2011年にオープンした「平戸オランダ商館」は、この建物を忠実に復元。当時の貿易に関する資料などを見ることができる。
-
平戸市観光案内所よこの駐車場に車を停めて、オランダ商館などの、名前に「オランダ」がついている井戸や塀などを巡ってみました。 こちらの平戸オランダ商館は、江戸時代の初めころの1609年に建てられた建物です。鎖国されていた同時、江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が平戸に設置した貿易拠点だということです。 現在のオランダ商館は、その建物を復元したもので、館内は当時の外国との貿易の歴史が展示さ...
-
- 山王神社 二の鳥居(一本柱鳥居)
-
4.549件の口コミ
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市坂本2-6-56
- 昭和20年(1945)、長崎市に投下された原子爆弾。爆心地から南東約900mの高台にあった山王神社は甚大な被害を受け、社殿は跡形もなく崩れさった。その山王神社の参道にあるのが一本柱鳥居である。もとは4つあった鳥居のうち、この鳥居だけが片方の柱を残し現存した。原爆の脅威を物語る鳥居である。
-
路面電車の「浦上駅前」電停から徒歩10分。 山王神社の境内入口、参道を挟むように2本のクスノキが立っている。原爆によって上部は折れてしまったとのことだが幹はかなり太い。神社HPには被爆当時の写真が載っているが、それを見ると誰もが「よくぞここまで復活した」と思うであろう。
-
- 出島(国指定史跡「出島和蘭商館跡」)
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市出島町6-1
- 江戸幕府が鎖国政策を敷いて際、唯一西洋との貿易窓口となった場所。寛永18年(1641年)に平戸にあったオランダ商館が出島に移転し、その後218年間、日本とヨーロッパを結ぶ経済・文化の交流が行われ、日本の近代化に大きな功績を残した。商館廃止後に出島周辺は埋め立てられたが、現在では出島復元整備事業が進み、往時の姿を偲ぶことができる。
-
-
- 平和祈念像
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市松山町平和公園内
- 路面電車「平和公園」から徒歩で約3分。長崎駅の北に位置する平和公園内「願いのゾーン」にある青銅像。長崎県出身の彫刻家である北村西望氏が製作した像を原爆投下から10年後の昭和30年(1955)に建立したもので、右手は原爆の脅威、左手は平和、閉じた目は「原爆犠牲者の冥福を祈る」という意味がそれぞれ込められている。毎年8月9日には、像の前にある式典広場で平和祈念式典が行なわれる。
-
- はらほげ地蔵
- 旅行/観光
- 長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触1342-102
- 壱岐市芦辺町諸吉本村触にある地蔵。六道において衆生を救うという六体の地蔵が海にせり出した場所に祀られており、満潮時には海に浸かっている姿を拝むことができる。「はらほげ」の名は腹の部分が丸くえぐれていることに由来するが、祀られた目的については諸説ある。
-
- 武家屋敷
- 旅行/観光
- 長崎県島原市下の丁
- 松倉重政が島原城を築城した際、城の西側に作られた武家町。居住していたのは鉄砲を中心とした徒歩部隊であったため「鉄炮町」とも呼ばれていた。約700戸の屋敷が軒を連ねていたという通りには、生活用水として使われていた島原の湧水が今も流れており、その清らかな流れは、風情豊かな眺めである。
-
- 唐人屋敷跡
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市館内町
- 長崎市館内町にある史跡。江戸時代に中国と独占的に貿易を行っていた長崎で密貿易が増加したことから、幕府によって唐人が滞在するための屋敷が作られ、人の出入りが制限された。この内、現在4堂が修復、保存されている。
-
- 高島秋帆旧宅
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市東小島町
-
- 長崎原子爆弾落下中心地
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市松山町 爆心地公園内
- 国道206号線沿いの「爆心地公園」内にある碑。昭和20年(1945)8月9日の午前11時2分、アメリカ軍により長崎に投下された原子爆弾が同地の上空約500mで爆発。爆心地の地表温度は3,000℃から4,000℃に達したという。
-
- 高島炭坑跡(高島北渓井坑跡)
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市高島町99-1
- 長崎市高島町にある炭鉱跡。ユネスコの世界遺産に登録されている「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ。1695年に石炭が発見され、焼き物や塩の製造の燃料として使用された。1868年からは佐賀藩とグラバー商会より、当時の最新の設備により日本ではじめて蒸気機関を使った竪坑での採炭を行ったが、経営権は最終的に三菱に渡り、長崎に寄港する船の燃料などとして巨万の富をもたらした。現在は無料で見学可能。
-
- 畑ノ原窯跡
- 旅行/観光
- 長崎県東彼杵郡波佐見町村木郷
- 朝鮮から大村藩に帰化した波佐見焼の祖・李祐慶が慶長4年(1599)に築いた朝鮮式連房登窯で、400年以上が経った現在も原型を留めたまま保存されている。磁器窯としては日本最古のもので、国の史跡に指定されている。
-
- 生月大魚籃観音
- 旅行/観光
- 長崎県平戸市生月町山田免570-1
- 平戸市生月町にある観音像。海難事故の犠牲者や魚介類の慰霊、また航海の安全と世界平和の祈念を目的とし、漁港を見下ろす丘の上に昭和55年(1980年)に建立された。像高18m。台座内部は一般に公開されており、10分の1スケールの生月大魚籃観音も祀られている。
-
- 鄭成功廟
- 旅行/観光
- 長崎県平戸市川内町
- 明朝復興運動で知られる鄭成功を祀っている。日本人の母を持つ鄭成功は、寛永元年(1624)に平戸で生まれた。オランダの統治下にあった台湾を奪還したことから、現在の台湾の開祖ともされており、同地に祀られている神霊は台南の「明延平郡王祠」から分霊を受けたものである。
-
- 司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市伊良林3ほか
- 長崎市伊良林の「風頭公園」内にある碑。司馬遼太郎の長編小説「竜馬がゆく」の一節を引用したもので、龍馬が長崎に向かう船上で「やがては日本回天の足場になる」と長崎について語る場面が刻まれている。坂本龍馬の銅像も隣接。
-
- 西園寺公望仮寓居跡
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市玉園町2-23
- 長崎市玉園町の筑後通り沿いにある史跡。 第12代と第14代の2度にわたって内閣総理大臣を務めるなど、要職を歴任した政治家・西園寺公望が、明治初期にフランス留学前の準備期間を過ごしていた仮寓居の跡地。
-
- 思切橋跡
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市本石灰町
- 長崎市船大工町にある、橋の跡を示す石碑。かつて花街の入り口が見える場所に位置しており、花街に入る決意を固めて渡ったことから「思切橋」と呼ばれていた。北側の電停近くには、思切橋を渡る前に行くか戻るか躊躇したという「思案橋」の跡を示す石碑が設置されている。
-
- 沈黙の碑
- 旅行/観光
- 長崎県長崎市西出津町
-
- 吉利支丹墓碑
- 旅行/観光
- 長崎県南島原市
長崎の主要エリア

長崎県は、長崎空港から各県へと直行便でつながっており、東京からは約2時間、大阪からは約1時間15分、名古屋からは約1時間25分でアクセスできます。 そんな長崎県の目玉スポットと言えば、佐世保市にある「ハウステンボス」です。敷地面積日本最大のテーマパークと言われている園内には、さまざまな花が咲き誇っており、昼は景色やアトラクション、夜はイルミネーションなどを楽しめます。佐世保市は島がたくさんあることでも知られ、海を望めば島々が密集している姿が見られます。他にも雲仙市の温泉や、県のあちこちにある「隠れキリシタンの関連遺産」など、体験、歴史、さまざまな側面を楽しめます。 長崎は中国が近いこと、また、昔はポルトガル人との交流も盛んだったため、からすみやカステラ、佐世保バーガーなど、海外から伝来したものをベースにした名産や料理も数多く存在します。また、ご当地が生んだ定番グルメとして、豚骨スープに魚介・野菜・豚肉を入れたちゃんぽんが有名です。