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愛媛のその他の史跡/建造物スポット一覧

  • 川之江城
    旅行/観光
    愛媛県四国中央市川之江町1087-4
    川之江町の鷲尾山(城山)にある城。元々は仏閣であった城で、別名「仏殿城」。昭和の時代には本丸付近の石垣に、僅かの名残りが残るのみだったが、「川之江市制施行30周年記念事業」により、本丸跡地に天守、涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀が建築されて現在の姿となる。天守閣からは瀬戸内海の島々を一望出来る他に、戦国時代の鎧兜などが展示されている。また、桜の名所としても知られ、春には「桜まつり」が開催されている。
  • 宇和島市 吉田ふれあい国安の郷
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    5.0
    4件の口コミ
    旅行/観光
    愛媛県宇和島市吉田町鶴間1503
    宇和島市吉田町鶴間にある資料館。敷地内には、伊予吉田藩の御用商人・三引高月甚十郎の商家「法花津屋」をはじめ、地域に残る武家屋敷などの建物が移築復元され、藩政時代の町並みが再現されている。

    歴史を学び、体感できる貴重な施設です。吉田町が誇る素晴らしい観光資源と思いますので、今後もっと効果的な活用をしないともったいなく感じます。

  • 弘法大師御加持水
    旅行/観光
    愛媛県今治市玉川町別所甲483 仙遊寺
    今治市玉川町別所甲にある井戸。四国八十八ヶ所霊場の第58番札所・仙遊寺の境内に位置する。四国霊場開創の際に寺を訪れた弘法大師が病苦にさいなまれる人々を救うために掘ったという言い伝えが残っている。
  • ロシア兵墓地
    旅行/観光
    愛媛県松山市御幸1-531-2
    松山市御幸1丁目にある墓地。日露戦争時に捕虜となり、松山で生涯を終えた97名のロシア帝国兵士が埋葬されている。松山には明治37年(1904)に全国ではじめて捕虜収容所が設置され、延べ6,000人の捕虜が収容されたと言われている。3月下旬には慰霊祭も開催。
  • 日露戦役表忠碑(厳島神社)
    旅行/観光
    愛媛県松山市三津神田町1-7
  • 秋山好古書碑(道後公園 湯築城跡)
    旅行/観光
    愛媛県松山市道後公園
    松山市道後公園の国指定史跡「道後公園湯築城跡」内にある石碑。昭和天皇の即位式を記念して建立されたもので、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公のひとりで日露戦争で活躍した秋山好古により揮毫された。同園内には秋山好古の銅像も建てられている。
  • 伊佐庭如矢の像
    旅行/観光
    愛媛県松山市道後湯之町5-6
    松山市道後湯之町の公衆浴場「道後温泉本館」近くにある像。明治時代、老朽化していた道後温泉本館を多額の費用を投じて改築した道後湯之町初代町長・伊佐庭如矢の姿をかたどっている。当時は激しい反対運動も起こった改築事業であったが、道後温泉本館は現在まで温泉街のシンボルとなっている。
  • 振鷺閣
    旅行/観光
    愛媛県松山市道後湯之町5-6 道後温泉本館
    松山市道後湯之町の公衆浴場「道後温泉本館」の塔屋。明治27年(1894)に道後湯之町の初代町長・伊佐庭如矢により道後温泉本館が改築された際に設置されたもので、赤いギヤマンガラスをはめ込んだ窓と屋根に設えられた白鷺のオブジェが特徴。内部には朝6時、正午、夕方6時を知らせる「刻太鼓(ときだいこ)」が設置されている。
  • 秋山好古・真之兄弟銅像
    旅行/観光
    愛媛県松山市梅津寺
    松山市梅津寺町の梅津駅近くにある像。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公としても知られ、共に軍人として活躍した秋山好古・真之の兄弟をかたどったもので、小高い丘の上から瀬戸内海を望んでいる。
  • 庚申庵史跡庭園
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    4.0
    4件の口コミ
    旅行/観光
    愛媛県松山市味酒町2-6-7
    松山市味酒町2丁目にある庭園。寛政12年(1800)に地元の俳人・栗田樗堂(ちょどう)により建てられた草庵で県指定史跡の「庚申庵」を中心とした史跡庭園となっている。句会や茶会、文化講座などに利用されているほか、藤の花の見頃に合わせた「ふじまつり」などの季節のイベントも催される。

    江戸中期-後期に活躍した松山出身の俳人・栗田樗堂(ちょどう)の庵と庭園です。 酒造業、町方大年寄り、俳人として多忙だった樗堂が、52歳の時に隠居して俳諧の道に精進するために建て、当所に元から在った祠の名”古庚申”と、建立年の干支である庚申に因んでの命名。 庭園へのアプローチには、栗田樗堂に関するパネルの説明板が多数掛かっており、芭蕉復興運動に熱心で、小林一茶とは特に交流があったとか。 訪問日は、入...

  • 末光家住宅
    旅行/観光
    愛媛県西予市宇和町卯之町3-179-2
    西予市宇和町卯之町3丁目にある歴史的建造物。1770年に建設されたもので、酒造業や醤油製造業を営んだ末光家の住宅兼用商家として使われてきた。市の有形文化財に指定されており、現在は毎月第1日曜日に一般公開されている。
  • マイントピア別子東平ゾーン(東平歴史資料館)
    旅行/観光
    愛媛県新居浜市立川町654-3
    東洋のマチュピチュとも称される、標高750mの山中にある東平。大正5年(1916)-昭和5年(1930)まで別子鉱山の採鉱本部が置かれていたため、社宅や小学校、娯楽場や接待館などが建てられ、一つの町ができ上がっていた。現在も赤レンガの巨大な建物が残っており、東平歴史資料館では往時の生活文化や別子銅山についての展示が行われている。
  • 上黒岩岩陰遺跡
    旅行/観光
    愛媛県上浮穴郡久万高原町上黒岩
    久万川の南岸にある、約1万2000年前の縄文早期の岩陰遺跡で、土器や石器、人骨などが発掘された。出土品は、遺跡そばにある上黒岩岩陰遺跡考古館に展示されている。225点の収蔵品の中には、線刻女神像や細隆起線文土器などがある。
  • 河東碧梧桐の句碑
    旅行/観光
    愛媛県松山市二番町4 市役所前
    「さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ」市役所前の堀端にある句碑。季題や定型にこだわらない碧悟桐の句である。碑の文字も彼独自の書体。
  • 子規旧邸跡
    旅行/観光
    愛媛県松山市湊町3 中ノ川通りの中央緑地帯
    小説では、中ノ川は、川幅2mあり、水が飲めるほどに美しく、子規の正岡屋敷は南側の生垣をこの流れに映していたと記されている。現在、中ノ川通りの中央の緑地帯には、子規が2-17歳で上京するまで過ごした住居跡碑があり、そばには子規の歌碑も立つ。
  • 子規誕生地跡
    旅行/観光
    愛媛県松山市花園町
    慶応3年(1867)、子規は正岡常尚の次男として花園町のこの地で生まれる。通称のぼる。翌年湊町新町に引っ越した。母・八重は、子規の赤ん坊の時のことを、丸い丸い顔で鼻が低い低い妙な顔と話していたという。
  • 子規の句碑(JR松山駅)
    旅行/観光
    愛媛県松山市南江戸1-14-1
    「春や昔十五万石の城下哉」は、小説にも登場する松山を象徴する正岡子規の句。明治28年(1895)日清戦争の従軍記者として戦地に赴く直前の句。
  • 子規母堂令妹住居跡
    旅行/観光
    愛媛県松山市湊町 中の川通りの中央緑地帯
    中ノ川の緑地帯には子規の母・八重と妹・律が明治21-25年(1888-1892)まで暮らした家の跡碑もある。ここは4畳と6畳の二間しかない小さな家で、帰省中の子規を訪ねて大学生の漱石が訪ねた折には、八重が松山鮨[ずし]でもてなした。
  • 俳誌「ほととぎす」創刊の地
    旅行/観光
    愛媛県松山市北立花町
    俳句雑誌『ほととぎす』は、明治30年(1897)、子規の友人の柳原極堂によって創刊された。子規のすすめた俳句革新をバックアップし、20号まで発行。のちに高浜虚子が跡を継いだ。
  • きせんのりばと子規の句碑
    旅行/観光
    愛媛県松山市三津3 防予汽船ビル前
    三津は松山藩の御船手組[おふなてぐみ](船奉行所)が置かれた由緒ある港町。遠浅のため、三津港では大型汽船は沖合いに停泊し、はしけ船が乗船をわたしていたという。子規や秋山兄弟、漱石もここから出港した。きせんのりばの碑は三津3丁目から現在の地へ移転している。子規の句碑「十一人一人になりて秋の暮」は、明治28年(1895)子規が故郷での療養のあと再び東京へ旅立つ際、宴を催してくれた友人たちと別れた後の寂しさを詠んだもの。

愛媛の主要エリア

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愛媛県は南国地域で、冬でも暖かい日が多い県です。みかんが名産品で、松山空港やえひめ愛顔の観光物産館では「みかんジュースの出る蛇口」を体験できます。 松山空港へは国内主要都市から航空便が就航しており、東京からは約1時間半、大阪・名古屋からは約1時間で到着します。 松山・道後にある日本最古の温泉「道後温泉」は定番の観光スポット。道後温泉本館は建物全体が国の重要文化財に指定されています。 ほかにも、新居浜・東予にあるタオルとアートを融合した世界初の今治タオルミュージアム「タオル美術館」など面白いスポットも多数。宇和島やしまなみ海道では、サイクリングやサップ、カヌーのアクティビティ体験が大人気です。 愛媛のB級グルメには、今治焼豚玉子飯や三津浜焼き、揚げ足鳥があり、どれもここでしか味わえないグルメです。

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