山口
萩
HAGI
江戸時代のにぎわいが聞こえてくる、史跡や文化財の立ち並ぶエリア
山口県北部、日本海に面した萩市は、江戸時代に毛利氏が治めた長州藩の本拠地だった町。江戸時代の風情を色濃く残す「萩城下町」として知られ、西日本有数の人気観光都市でもある。日本海に面した町は三方を山に囲まれ、このことから近代化から遅れを取ったが、逆に萩城址を中心とした武家屋敷、町人の家が立ち並ぶ街並みがほぼ当時の姿で残されることになった。また、幕末には討幕運動の中心となって明治維新の原動力となった藩であり、その後の戦前にかけ政財界で活躍した人物を多く輩出。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産に登録された史跡も多い。また、人間の歴史資産だけではなく、ユニークで貴重な自然景観も残している。1億年にわたる火山の活動が作り出した大地には、大きなカルデラから小さな単成火山の溶岩台地までが点在し「萩ジオパーク」に認定されている。萩城下町もこの地形を巧みに利用して建設されたものだ。
エリアの見どころ
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いかマルシェ スサノモノミトコ館
- 日本海の「イカの町」で絶品のローカルブランド「須佐男命いか」を味わおう
- 須佐は山口県北東部、日本海に面した漁業の町。現在は合併により萩市に属している。須佐の名は、天照大神(あまてらすおおみかみ)とともに生まれた日本神話の男神、須佐之男命(すさのおのみこと、以下スサノオ)に由来する。スサノオが出雲の国から朝鮮半島に渡る際、町の北側にある大きく日本海にせり出した高山(神山)の上から航路を定めたとされる神話によるものだ。JR須佐駅に隣接する「いかマルシェ スサノモノミトコ館」は、地元産の朝どれ生鮮魚介類や野菜、手土産などを販売する施設。館名ももちろんスサノオの名をもじったものだ。いちばんの名物は「須佐男命いか」。須佐港で水揚げされる活きた状態の剣先イカのローカルブランド名だ。弾力があるがやわらかい絶品のイカで、「一本釣船団」によって水揚げされている。須佐漁港の漁船の大半は一年を通してイカ漁を行い、年間漁獲高の半分以上をイカが占めるほど。館内には獲れたての「須佐男命いか」はもちろん、イカにこだわった加工品や総菜、魚介干物などがめじろ押し。須佐はまさにイカの町なのだ。
- スポットの詳細
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いかマルシェ スサノモノミトコ館
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道の駅 萩しーまーと
- 漁港直結!鮮魚からスイーツまで萩のごちそうが大集合
- 萩漁港に隣接し、漁業組合や地元生産者などが集まって運営する道の駅。館内では鮮魚店をはじめ、青果店やレストラン、土産物店など、17店舗が萩の特産物を提供している。
- スポットの詳細
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道の駅 萩しーまーと
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住吉神社
- 萩城下の港町にある禊祓い、海上、交通、産業発展の神社
- 萩城下の浜崎地区にある「住吉神社」は、「住吉」という名称が示すように海上安全の神を祀った神社で、1655年(明暦元)に大坂の堺から勧請され、1658年(万治元)に創建された。浜崎地区は、日本海と松本川の間にあって、近世は北前船の寄港地として廻船業と水産業で、大正から昭和初期にかけては水産加工業や夏みかんの積み出し港として栄えた港町。今も古い商店や住宅が数多く残り、伝統的建造物保存地区にも選定されている。「住吉神社」は鳥居をくぐると舞殿があり、舞殿から太鼓橋を渡って拝殿へ進むようになっていて、その奥の幣殿、本殿へと続く。祭神は、底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)、上筒之男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神。住吉三神は、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が黄泉国(よみのくに)から戻り、禊(みそぎ)を行った際に生じた神だ。また、毎年8月1~3日に開催される祭礼では、山口県無形文化財にも登録されている「お船謡(ふなうた)」が演唱されることでも有名。境内には宮司の中津江さんが園長を務める保育園もあり、地域の生活に密着した神社として地元住民にも愛されている。
- スポットの詳細
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住吉神社
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吉田松陰誕生地・墓所
- 幕末動乱の時代に生まれ、志を貫いた偉大な思想家の生家跡と墓所
- 吉田松陰が、1830年(天保元)に萩藩士だった杉百合之助の次男・寅次郎として生まれ、19歳頃まで過ごした誕生の地と、親兄弟などとともに眠る墓所が隣接してある。生家の建物はないが、間取りを示す敷石が復元され、往時をしのぶことができる。松陰は自らも学び、行動しただけでなく、松下村塾でたくさんの門下生を育ててきたが、最後は安政の大獄で捕らえられ、江戸で29歳の若さで処刑された。没後、杉家で百日忌が営まれ、家族や親戚、門下生らが遺髪を埋葬した。墓碑の「松陰二十一回猛士墓」の文字は、二十一回の猛を行う士と自ら名乗ったことから刻まれており、藩の許可を得ずに東北へ遊学、意見書を藩主へ上申、海外密航の企てと、これまで3回、志を貫いてきたので、あと18回ことをなすぞという意志を表したものだという。墓前の水盤や花立は、前原一誠や久坂玄瑞、高杉晋作ら門下生17名と妹たちが名入りで寄進したものだが、当時、大罪人とされていた松陰のために名前を刻むことは勇気のいる行動であり、それだけ松陰が慕われていたことをうかがわせる。誕生地と墓所は、萩市内を一望する団子岩と呼ばれる高台にある。松陰もこの風景を見て育ち、今も見守り続けているのだろうか。
- スポットの詳細
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吉田松陰誕生地・墓所
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伊藤博文旧宅
- 立身出世を遂げた伊藤博文が少年期・青年期を過ごした家
- 伊藤博文は、1841年(天保12)に、長州の熊毛郡束荷村(つかりそん)、現在の山口県光市の農家に生まれた。幼名は利助といい、1854年(安政元)に博文の父・林十蔵が萩藩士・伊藤家の養子となったため、一家でここに移住した。約96平方メートル(29坪)の木造茅葺き平屋建ての小さな家だが、1868年(明治元)に兵庫県令として赴任するまでの14年間、博文の本拠となった場所である。博文は、木戸孝允の義弟・栗原良蔵の紹介で松下村塾に入ると、吉田松陰から「なかなか周旋家になりそうな」と評価されたという。松陰の推察どおり、伊藤のその後の活躍はめざましく、尊攘運動に参加、長州ファイブの一人として英国に密航留学し、明治新政府では参与や兵庫県令などを歴任、条約改正のため岩倉使節団の一員として欧米各国を歴訪。帰国後、参議、工部卿などの要職を経て、1885年(明治18)に初代内閣総理大臣となった。この家から松下村塾に通い、松陰や塾生たちと語らい、学んでいた日常の先が、本人も想像しなかったような広い世界につながっていたと思うと胸が熱くなる。旧宅に隣接して、東京から移築した「伊藤博文別邸」もあるので、ぜひあわせて見学してみよう。ともに、国指定の文化財である。
- スポットの詳細
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伊藤博文旧宅
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萩城跡指月公園
- 江戸時代を通して長州藩の興隆を見届けた名城の跡
- 江戸幕府開府からすぐの1604年(慶長9)に毛利輝元が築城した萩城跡に位置する。萩城は指月山(しづきやま)のふもとにあることから、指月城とも呼ばれていた。低い山や小高い丘とその周囲の平地を利用して築かれた平山城(ひらやまじろ)で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていた。本丸には高さ14mを超える五層の天守があったが、1874年(明治7)に天守、矢倉などの建物はすべて解体され、石垣と堀の一部のみが往時の姿をとどめており、城跡は国の史跡に指定されている。園内には天守跡のほか、「花江茶亭(はなのえちゃてい)」「旧福原家書院」「万歳橋」「東園」などの旧跡もある。また、「花江茶亭」は、第13代藩主・毛利敬親(たかちか)が幕末に藩主別邸「花江御殿(はなのえごてん)」のなかに建てた茶室「自在庵」を、1889年(明治22)に園内に移築したものだ。この茶室は市指定の有形文化財で、吉田松陰の妹、杉文(すぎふみ)を取り巻く「松下村塾」の弟子たちの人間模様を描いた、2015年(平成27)放送の大河ドラマ『花燃ゆ』のロケ地となったことでも知られている。
- スポットの詳細
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萩城跡指月公園
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萩焼窯元 千春楽 城山
- 迫力ある登り窯見学とろくろ体験で萩焼の魅力を体感
- 萩城のお膝元にある「萩焼窯元 千春楽 城山」。ここは、作品の購入はもちろん、窯の見学や陶芸体験もできる複合観光施設となっている。人気のろくろ体験で、世界でたったひとつの自分の作品を作ってみよう。
- スポットの詳細
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萩焼窯元 千春楽 城山
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網焼きレストラン見蘭
- やわらかい霜降りの萩のブランド牛「見蘭牛(けんらんぎゅう) 」
- 萩市特産品のブランド牛「見蘭牛」は、希少な和牛原種の血統を受け継いだ極上品。自社牧場の特産牛を販売する「みどりや」が営む「網焼きレストラン見蘭」で、見蘭牛の魅力を心ゆくまで堪能しよう。
- スポットの詳細
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網焼きレストラン見蘭
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長門國 嚴島神社
- 平家滅亡にも明治維新にもゆかりのある神社
- 嚴島神社というと、広島県の安芸の宮島が有名だが、ここ山口県の下関にも嚴島神社があり、両社には深いつながりがある。源平合戦の頃、安徳天皇の御座船に安芸国(広島県)の嚴島神社の分霊を平家の守護神として祀っていたが、壇ノ浦の戦いで幼い天皇や平家の人々とともに海に沈んでしまった。戦いののち、下関の里の人が神託を受けて海辺に流れ着いた鏡と太刀を見つけ、1185年(文治元)に社殿を建立、安芸国の厳島神社からあらためて分霊を勧請し祀ったのが、この長門国(山口県)の嚴島神社の始まりだという。また、この辺りは、幕末に高杉晋作をはじめ奇兵隊諸士が活躍した明治維新発祥の地でもある。1865年(慶応元)、徳川幕府による第二次長州征伐が勃発した際に、高杉晋作がこの嚴島神社で戦勝祈願を行った。翌年起こった、高杉晋作が指揮する小倉口の戦いは最大の激戦となったが、小倉藩が自ら小倉城に火を放って敗走し、長州軍が城から持ち帰った太鼓が戦勝のお礼に嚴島神社に奉納された。その太鼓は今も境内にあり、毎年9月第1土曜には太鼓祭が行われている。平家滅亡、徳川幕府倒幕という大きな出来事に関わってきた「長門國 嚴島神社」で、歴史の重みを感じたい。
- スポットの詳細
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長門國 嚴島神社
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旅のヒント
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その1
市内をまわるには「萩循環まぁーるバス」がおすすめ。萩市役所を起点に、どこまで乗っても100円。西回りの「晋作くん」と東回りの「松陰先生」の2ルートのバスが、約30分ごとに運行している。
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その2
「萩循環まぁーるバス」は、500円で1日、700円で2日間乗り放題となる乗車券も販売している。
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その3
レンタサイクルやシェアサイクルも充実しており、萩市観光協会をはじめ市内のさまざまな場所で利用できる。
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その4
萩城城下町にある青木周弼旧宅の入館料は100円(小学生以下は無料)で、萩市文化財施設1日券(310円)も利用でき、こちらでの購入も可能。同じく城下町地区にある木戸孝允旧宅や旧久保田家住宅、旧松本村地区の伊藤博文別邸、堀内地区の旧湯川家屋敷など全9施設で利用できるので、これら3か所以上をまわりたい人は購入するのがおすすめ。
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