島根

石見銀山周辺

AROUND IWAMI GINZAN

世界を動かした銀産地の歴史薫るエリア

石見銀山遺跡はその文化的景観と合わせ、アジアで初めて世界遺産に認定された鉱山遺跡である。16世紀-江戸時代にかけ、世界の1/3の銀を産出していたとされる場所で、石見銀山資料館には当時の銀生産や輸出の様子、銀山地をめぐる大名たちの駆け引き、人々の暮らしなど日本史のワンシーンがまとめられている。また、銀の積出港として栄えた温泉津温泉街では、国内トップクラスの効能を誇る源泉かけ流し湯に浸かることができる。東京ディズニーランド約11個分の広いエリアは山林や海に囲まれており、町の喧騒から離れて自然の音、風に包まれてゆっくりとした時間が流れていく。公共交通機関は運行数が限られているため、レンタカーなど車での散策が便利。町歩きや体験スポットも多いので、動きやすい服装、天候に応じた携行品を準備したい。また、当地ならではの個性的なお店が立ち並ぶ町歩きエリアでのショッピングも楽しみのひとつ。

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エリアの見どころ

  • spot 01
    石見銀山世界遺産センター
    世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の概要を知る
    16世紀から300年にわたり栄えた銀産地の様子がわかる資料館。復元模型などの立体資料や映像資料を豊富に使った展示のほか、丁銀づくりやVRなど体験コーナーも充実している。
    石見銀山について詳しく学ぶことのできる資料館
  • spot 02
    石見銀山大森地区
    石見銀山の町並みを気軽に散策
    石見銀山の鉱山とともに発展した町並みがこの大森地区。武家屋敷や商家の暮らしがわかる重要文化財、神社やお寺をまわってみよう。個性的な店が立ち並ぶのもこのエリア。ショッピングも楽しめる。
    ゆっくりと散策するのがおすすめの古き良き町並みエリア
  • spot 03
    石見銀山銀山地区
    銀採掘の坑道跡や遺跡、銀生産の面影を堪能
    石見銀山での銀生産を支えた施設の遺跡が集まる銀山地区。現在一般公開されている坑道に向かう途中には、製錬所跡や鉱山の守り神とされる神社を見ることができる。
    大久保間歩に次ぐ大坑道「龍源寺間歩」内部
  • spot 04
    大久保間歩
    石見銀山最大級の坑道跡
    石見銀山で見つかっている「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道跡は1000近くあるが、そのなかでも多くの銀を採掘したのがこの大久保間歩だ。「福石場」と呼ばれる巨大空間は天井まで20mの高さがあり、梯子をかけた跡なども見られ、その上部まで手掘りの跡が残っている。また、縦に走る坑道は約25m下まで続いており、のぞき込んでもその穴の底まで見ることはできず、その規模の大きさがわかる。江戸時代、初代銀山奉行を務めた大久保石見守長安の伝承から大久保間歩と呼ばれるようになったとされ、明治時代にも採掘が行われた。採掘した鉱石を運ぶトロッコのレール跡には、国内唯一の遺構が確認されている。また、自然資源としても価値が高く、坑道内にはヨコエビや、キクガシラコウモリ、ユビナガコウモリなど珍しい生き物が棲息している。なかには絶滅危惧種も確認されておりその調査研究も進められている。見学するには3~11月までの金~日曜と祝日に行われる見学ツアーに事前に申し込む必要がある。最寄り駐車場からは山道を上り、長靴やヘルメットを着用して見学するため、動きやすい服装で参加したい。
    全長900mの内一部が、ガイド付き限定ツアーとして公開されている「大久保間歩」
  • spot 05
    温泉津温泉
    源泉かけ流しの湯、世界遺産に指定されたレトロな温泉街
    温泉津(ゆのつ)の名の通り、薬効の高い温泉を源泉かけ流しで堪能できる温泉街。江戸時代の風情を残す町並みは、温泉地として全国初の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。また、世界遺産「石見銀山とその文化的景観」の史跡も見どころ。
    旅館や温泉の並ぶ町並みは徒歩での散策がおすすめ
  • spot 06
    薬師湯
    レトロな入り口の奥にある源泉かけ流しの湯
    温泉街の通りの真ん中辺りに、目をひく洋館が現れる。大正時代に建てられたその木造洋館が温泉津温泉の2つある外湯のひとつで、温泉津温泉に現存する最古の温泉施設とされる「薬師湯」だ。大正8年に建築された木造洋館は現在カフェとして営業しており、屋内の天井には見事な細工が施されている。カフェメニューは江戸時代から口伝で伝えられてきた食事や地元大田市の特産品であるバラを使ったオリジナルメニューが充実。温泉を利用する際は隣接する新館の入り口から。泉質は日本温泉協会から天然温泉として山陰で唯一、すべての項目で最高評価を獲得している。自然に湧き出た温泉を加工せず使用しており、源泉湯は約46℃、湯船の場所によっては約42℃に下がり、薄い茶褐色のような色をしている。浴槽の淵には温泉成分が固まってできた「湯の花」がこびりつき、見事な文様を描き出している。
    地下2~3mから自然湧出する源泉を湯船に注ぐ100%かけ流し温泉の「薬師湯」
  • spot 07
    泉薬湯 温泉津温泉元湯
    地名「温泉津」の由来となった、1000年以上の歴史をもつ温泉
    温泉津温泉街に2つある外湯の1つである「泉薬湯 温泉津温泉元湯」は、地元では「元湯」と略して呼ばれており、この地域が温泉津と呼ばれる由来となった温泉といわれる。出泉の時期は明らかにされていないが、平安時代にはこの地に温泉があるということが都に知られていたという。古狸がこの温泉で傷を癒やす様子を見た僧がこの温泉の効能を各地に広めたという言い伝えがあり、その後室町時代に薬師堂を建て温泉場を開発し、多くの病人を救済したことからさらに広くこの温泉の効能が知られることとなり、現在の温泉津温泉街を形作るきっかけとなった。湯温はいちばん熱いところで48℃あるので、休憩を入れるなど体調に注意しながら利用しよう。
    昔ながらの浴場は町の歴史を感じることができる
  • spot 08
    温泉津やきものの里
    国内最大級、大迫力の登り窯に注目
    島根県大田市温泉津(ゆのつ)町の特産品、温泉津焼の概要を知ることのできる「やきもの館」と温泉津焼を継承する3つの窯元で構成されている。やきもの館の入り口にある日本最大級の登り窯は要チェック。
    全国でも最大級の10段という巨大な登り窯が目をひく
  • spot 09
    仁摩サンドミュージアム
    世界最大の砂時計が時を刻む砂の博物館
    島根県大田市仁摩町馬路にある、石英を多く含んだ琴ヶ浜海岸は国内でも数少ない、踏むと「キュッキュッ」と音が鳴る鳴り砂で有名。仁摩サンドミュージアムは、この鳴り砂の保全と環境保護を願って設置された「砂暦」がある博物館。
    容量1tの砂が絶え間なく落ちる一年計砂時計「砂暦」は圧巻
  • spot 10
    龍源寺間歩
    壁面のノミ跡が往時を伝える石見銀山の必見スポット
    石見銀山での「必見スポット」が、銀山地区のいちばん奥まった場所にある龍源寺間歩だ。石見銀山には、鉱山の掘り口である「間歩(まぶ)」が大小あわせて900以上あるのだが、そのうち常時公開され、予約なしでも見学できる間歩はここだけだ。この龍源寺間歩は、代官所の直営だった大規模な坑道「御直山(おじきやま)五ヶ山」のひとつで、江戸時代中期の1715年(正徳5)に開発された。それから約230年間にわたり、ここで良質の銀鉱石が掘り出されていたが、太平洋戦争のさなか1943年(昭和18)に閉山した。古い坑道の壁面には、ノミで掘り進んだ跡が生々しく残っている。また、鉱脈を追って掘られた20余りの横穴(ひおい坑)や、垂直に100mも掘られた排水のための竪坑も見ることができ、往時の鉱山労働がしのばれる。坑道の途中からは「栃畑谷新坑」が新たに設けられ、そこを通って出口に出る。その新坑には「石見銀山絵巻」が展示され、往時の石見銀山のありさまがよくわかる。
    銀山地区のいちばん奥の突き当たりの山肌に、龍源寺間歩の入り口がある
  • spot 11
    清水寺
    石見銀山の大鉱脈を発見した安原伝兵衛ゆかりの寺
    「龍源寺間歩」の約1km手前、かつて銀の精錬が行われていた「清水谷(しみずだに)製錬所跡」の近くにある清水寺は、石見銀山界隈で訪ねたい由緒ある寺のひとつだ。清水寺の山号は「銀峰山(ぎんぽうざん)」で、もともとは銀峰山の別名をもつ仙ノ山(せんのやま)の山腹に立っていたという。その仙ノ山は、周囲に銀鉱脈が広がる「宝の山」。そして、石見銀山の伝説的存在である山師の安原伝兵衛(やすはらでんべえ)が、巨大な銀鉱脈を発見する前に祈った場所が清水寺といわれ、銀山開発に関わった領主や代官たちから崇敬を集めた。1602年(慶長7)に大きな銀鉱脈を発見、大規模な開発が始まった。そして徳川家康が征夷大将軍となった1603年(慶長8)、膨大な銀を江戸幕府に納めた伝兵衛は、家康から幕府に貢献した褒美に道服をもらい、それが清水寺に奉納された。その道服は今でも寺の所有物だが、国の重要文化財に指定され、京都国立博物館で保管されている。清水寺は1878年(明治11)に現在の場所に移った。本堂の格天井(ごうてんじょう)には、清水寺へ寄付をした武士や商人たちの家紋が一面に飾られ、往時を伝えている。
    苔むした石垣の上に風情あるたたずまいを見せる
  • spot 12
    羅漢寺・五百羅漢
    喜怒哀楽の表情を見せる五百羅漢は必見
    大森の町の南端付近、銀山街道沿いの山際に、おごそかな雰囲気を漂わせて石窟が並ぶ。それが羅漢寺の五百羅漢で、石見銀山で見逃せないスポットのひとつだ。石室山(いしむろざん)無量寿院羅漢寺は、高野山真言宗の密教寺院。1764年(明和元)の創建で、その初代住職が五百羅漢を発願した月海浄印(げっかいじょういん)。五百羅漢は、命がけで銀山で働き、亡くなった人々と先祖の霊を供養するために造られた。羅漢寺が創建される前の寛保年間(1741~1744年)に製作が始められ、1766年(明和3)に完成。月海浄印の呼びかけで、代官所や領内外の多くの人々の援助と寄進を受け、25年の歳月をかけて福光(ふくみつ)石工が彫り上げたという。五百羅漢のある石窟の前には、五百羅漢と同じ時期に、同じ福光石で造られた3基の「反り橋」が架かる。また本堂には本尊の阿弥陀如来のほか、過去・現在・未来の三世の悪因を断ち除く「降三世(ごうさんぜ)明王」、国家平安と人々を守護する「大元帥(だいげんすい)明王」が安置される。ともに秘仏で、室町時代のものという。本堂の天井に描かれた伝説の龍の絵も、一見の価値がある。
    五百羅漢がある石窟が山際に並び、銀山街道を挟んだ向かい側に羅漢寺の本堂が立つ
  • spot 13
    国重要文化財 熊谷家住宅
    かつて銀山で産出された銀の秤量や管理を引き受けていた豪商の屋敷
    大森の町の北側入り口付近の町並み沿い、かつて代官所があった場所に近接して、石見銀山随一の豪商屋敷・熊谷家住宅が立つ。熊谷家はこの地で鉱山業や酒造業を営むとともに、代官所の御用商人として「掛屋(かけや)」「郷宿(ごうやど)」の役割も担っていた。今でいうなら掛屋は「銀行」、郷宿は「公事宿兼ゲストハウス」だ。石見銀山で最も有力な商家である熊谷家は、大森町の町年寄を務めるなど、経済面だけでなく行政・文化・生活面でも中枢的な存在だった。1801年(享和元)築の屋敷は漆喰塗りの土塀で囲まれ、総漆喰の大きな主屋と5棟の蔵が立ち並ぶ。1998年(平成10)、国の重要文化財に指定。郷宿も兼ねていた屋敷は広く、しつらえにも見どころが多い。江戸幕府が直轄する天領だった石見銀山でのキーマンだった名門の屋敷は、豪商としての繁栄ぶりはもちろん、暮らしぶりや立ち位置、石見銀山と幕府の関係性までうかがえるようで興味深い。館内ではスタッフがいろいろ解説してくれる。熊谷家の台所のかまどに火を入れ、昔の暮らし体験や四季を楽しむ催しも開催される。
    「単なる豪商」ではなかった熊谷家の屋敷(右手)は、漆喰白壁の外観にも風格を感じさせる
  • spot 14
    いも代官ミュージアム
    代官所跡に門長屋が残り、資料館では貴重な資料が展示される
    かつて石見銀山を支配した大森陣屋(代官所)の建物は現存していないが、ここには1815年(文化12)に再建された白漆喰の壁が続く門長屋が残り、門番の詰所や仮牢などの名残も見られる。そして、その長屋門をくぐった先に「石見銀山資料館」が立つ。愛称の「いも代官ミュージアム」は、江戸時代の大飢饉(ききん) の際にサツマイモで住民を救い、「いも代官」と称された第19代の代官・井戸平左衛門(いどへえざえもん)にちなんで名付けられた。資料館の建物は、1902年(明治35)に「旧迩摩(にま)郡役所」として建てられたもの。つまり「江戸時代の代官所」ではないが、のちに大正天皇となる嘉仁(よしひと)親王が山陰道行啓時の昼餐所として利用したという由緒ある建物で、歴史と風格を感じさせる。資料館では石見銀山の調査研究、 鉱山資料・奉行代官資料・町方資料の収集を行い、石見銀山の採掘工具や銀鉱石の現物、古文書や絵巻など、貴重な実物資料が館内で一般公開されている。ここは大森の町の北の玄関口に位置し、すぐ目の前に代官所前駐車場がある。石見銀山を訪ねる際に、まず立ち寄ってみたいスポットだ。
    江戸時代後期に建てられた長屋門が旅人を誘う
  • spot 15
    城上神社
    石見銀山のありし日々を伝える大森の氏神様の「鳴き龍」
    大森の北の町はずれに、ゆかしい神社がある。古い石段を登って石の鳥居をくぐれば、左手に大きなしめ縄が張られた拝殿が立つ。背後にうっそうとした森が広がり、境内は森閑としている。この城上神社は大森の氏神様。この地にあった大樹が森をなすように繁茂し、この大樹を中心に信仰をあつめ、「大森」という地名もそれに由来するという。城上神社は、もとは馬路(まじ)の高山(たかやま)で航海の神として信仰を集めていたが、1434年(永享6)に銀山を手に入れた大内氏が大森の香語山(かごやま)に移し、それを1577年(天正5)に毛利氏が銀山を手に入れるや、この場所に移したとされる。社殿は1800年(寛政12)の「寛政の大火」で焼失したが、1812年(文化9)に再建。拝殿の天井の中央に「鳴き龍」が、周囲の格天井には神社再建のため寄進した武士や商家の家紋が飾られ、由緒を感じさせる。龍の絵の真下で手をたたけば、まるで龍が鳴くように響く。その「龍の鳴き声」は、銀山の繁栄と悲哀を伝えるかのような響きがある。
    鏡天井の龍の真下で手をたたくと「龍の鳴き声」が響く。周囲の格(ごう)天井には、龍を取り巻くように寄進者の家紋が描かれる
  • spot 16
    銀の店
    「ご当地ならではの銀グッズ」を石見銀山の土産にしたい
    石見銀山を訪ねたなら、「銀山ならでは」の土産が欲しい。現在、この地で銀の採掘や生産が行われているわけではないが、この地で作られる魅力的な「石見銀山ならではの銀製品」が、ここにはある。銀細工の工房をもつ銀製品の専門店「銀の店」では、手づくりのオリジナル銀製品を手頃な価格で販売。ここで製作販売される銀製品は、リングやペンダント、ネックレスなどのアクセサリーから小物、キッチングッズまでレパートリーも豊富。「カンテラ」や金槌、天秤など、石見銀山でかつて使われていた道具をかたどった「ご当地もの」アクセサリーは、石見銀山を訪ねる旅の記念にぴったりだ。ネームを入れたオーダーメイドのアクセサリーを注文することもできる。店は大森代官所跡の近く、大森の町の入り口付近に立つ。郷愁あふれる大森の町歩きを楽しみがてら、気軽に立ち寄ってみたい。「銀の店工房」は銀山街道で大森の町並みを通り抜けた先にあり、ここでも工房の手づくり銀製品を購入できる。
    店内にはオリジナルの銀細工アイテムがずらりと並ぶ
  • spot 17
    カンテラ屋 竹下錻力店
    「懐かしのカンテラ」に石見銀山の往時がしのばれる
    ノスタルジックな町並みが続く大森のメインストリート沿いには、懐かしさに誘われ、ついつい立ち寄ってみたくなるような店がある。この「カンテラ屋 竹下錻力(ぶりき)店」もそのひとつで、創業1898年(明治31)という老舗だ。店名に冠せられた「カンテラ屋」が表すように、もともとはカンテラを製造販売する店だった。「カンテラ」とは燭台を意味するポルトガル語のcandela(またはオランダ語のkandelaar) が語源で、ブリキ製の手提げの 灯火具のこと。そして銀山で使われるカンテラを作っていたのが竹下錻力店だ。 1923年(大正12)に石見銀山が閉山された以降も、長年カンテラ作りを続けてきた。世の中が電化され、実用品としてのカンテラは不要になったが、アンティークな手づくりカンテラが、平成の時代までここで売られ続けてきた。残念ながら今はカンテラの製作も販売もされていないが、店にはカンテラ作りの名手だった先代が作ったカンテラが飾られ、カンテラをかたどった自家製「カンテラせんべい」が店の名物となっている。
    「竹下錻力店」の看板のかかる店頭には、風鈴やおもちゃなど郷愁を誘う雑貨が並ぶ
  • spot 18
    cafe 住留
    郷愁漂う大森の町はずれにある古民家カフェ。BGMにジャズが流れる
    大森の町並みをはずれて銀山地区へ向かう道沿いに、のどかな景色に溶け込むようなたたずまいで、石州赤瓦のひなびた古民家が何軒か立っている。そのひとつが、築100年の古民家をリノベーションした「cafe 住留」。「重要伝統的建造物群保存地区」の大森では、大半の店が古民家を生かした建物だが、この店は「ひなびた古民家そのもの」。店名から「今どきカフェ」の外観をイメージしていれば、うっかり見過ごしてしまいそうだ。しかし店内に一歩入れば趣が変わって、アンティークでおしゃれな雰囲気。居心地よく落ち着いた空間となっている。すすけた大きな梁がむき出しの天井にも味があり、BGMのジャズがムードを盛り上げる。人気の注目メニューは「牛すじトロトロハヤシ(900円)」。石見和牛の牛すじをトロトロになるまで煮込んだハヤシは、濃厚で美味だと評判だ。数量限定の「住留ランチ(1600円)」や、フレンチトーストも人気がある。もちろんデザートやドリンクも各種そろえている。町はずれではあるが、「石見銀山公園駐車場」から歩いてすぐの立地。銀山探訪や大森町歩きで、ほっとひと息つく場所としても好適だ。
    大森の町はずれに立ち、外観は「古民家そのまま」
  • spot 19
    石見銀山群言堂 本店
    大森の町並みにたたずむ古民家に広がる「ぜいたくな空間」
    玄関を入ってすぐ、季節ごとに趣向を変えて展開される斬新な畳ディスプレイが目をひく。大森の町の南側に位置する「石見銀山群言堂 本店」は、全国にショップを展開するライフスタイルブランドの「石見銀山群言堂」の本店。「復古創新」をテーマに、群言堂は衣食住美の暮らしに関わるこだわりの商品を販売し、暮らしに根ざしたライフスタイルの提案を行う。その舞台が、ノスタルジックな大森の町並みに溶け込むように立つ古民家だ。店は1989年(平成元)のオープンというから、いわば「リノベーションの老舗」である。築170年の古い建物を改装した店内には、オリジナルの衣類や雑貨を扱うショップや展覧会等が行われるギャラリーが広がり、カフェも併設。レトロモダンでおしゃれだが、野の花が飾られる店内は決して派手ではなく、シックで落ち着いた雰囲気のなかに遊び心が散りばめられている。中庭に面したカフェでは地の食材を使用したランチや、季節限定のデザートメニューも楽しめる。2方が全面ガラス窓で開放感にあふれ、広々とした2階の板の間も、ぜいたくな空間となっている。大人が楽しめ、そしてくつろげるスポットだ。
    レトロな赤ポストのある町並みに立つ築170年の古民家を店舗にした注目スポット
  • spot 20
    中田商店
    風味豊かな手作り「ごまどうふ」が評判の「鮮魚店」
    大森の町はずれ、銀山地区に向かう途中の街道沿いに、評判のごまどうふを製造販売する中田商店がある。のどかな田舎の風景に溶け込むように立ち、「鮮魚 中田商店」「ごまどうふ製造直売所」という看板が仲よく店頭にかかっている。つまり、中田商店は「ごまどうふを製造販売する鮮魚店」というユニークな店なのだが、手作りごま豆腐が評判になり、テレビ番組でも取り上げられて、今ではそちらがメインになっているようだ。白ごまベース、色は薄めで味はあっさりしているが、ごまの風味がしっかりしていて、口あたりがなめらか。主人が試行錯誤を重ねてたどり着いた自慢の「ごまどうふ」(540円)は、購入すると醤油と箸を付けてくれるので、現地で食べ歩きもできる。また、看板に偽りなく、「鮮魚」も売られている。自家製の「イカの塩辛」や「梅しそあわせ」も注目アイテムだ。「石見銀山公園駐車場」から歩いて5分とかからない場所にあり、五百羅漢も近いので、周辺を散策がてら立ち寄りたい。
    「ごまどうふ製造直売所」ののぼりが、ノスタルジックな家並みに溶け込む
  • spot 21
    ベッカライ コンディトライ ヒダカ
    風情豊かな大森の町並みでブレッツェルの看板が目をひく
    風情豊かな町並みが続く「重要伝統的建造物群保存地区」大森の銀山街道沿い、郵便局の向かいに風変わりな看板が目立つ。それが「ベッカライ コンディトライ ヒダカ」で、パン屋に「アイスカフェ ヒダカ」を併設する。2015年(平成27)、「ドイツ製パンマイスター」の資格をもつ店主が開店したドイツパンの店だ。店名の「ベッカライ」はドイツ語で「パン屋」、「コンディトライ 」は、「菓子屋」を意味する。店頭の看板は、ドイツ発祥の食事パン「ブレッツェル」をかたどったものだ。独特な結び目の形に作られた「ブレッツェル」は、ドイツの国民食といえるパン。ドイツでパン屋を経営するにはマイスターの国家資格が必要で、この資格をもつ店は中国地方で数少なく、味わい深い正統派のドイツパンを提供する「ヒダカ」は貴重な存在だ。そのため観光目的ではなく、この店のパンを目当てに、わざわざ遠方から石見銀山まで、はるばる足を運ぶ人もいるという。
    大森郵便局の向かいに、珍しいドイツパンを提供する店がある
  • spot 22
    有馬光栄堂
    銀山の鉱夫も食べていた、昔懐かしい「げたのは」と「銀山あめ」
    銀山街道沿い、大森の町並みのほぼ真ん中辺りに、菓子屋「有馬光栄堂」がある。江戸時代から200年以上続く老舗の菓子屋だが、外観も店内も昔と変わらない構えで、そこで売られるのも昔ながらの2種類の手作り菓子「げたのは」「銀山あめ」だけ。2枚あわせでたたくとカンカンと下駄で歩くような音がすることから名付けられた「げたのは」は、食感も味も独特な焼き菓子。見た目が銀鉱石を思わせる「銀山あめ」は、素朴な味わいの練り飴だ。石見銀山で働く鉱夫たちは、この菓子を食べて糖分を補給し、作業を行い、疲れを癒やしたという。銀山が栄えた往時から、時代が移り変わった現在まで、昔と変わらない店で、味も姿も昔と変わらない菓子を作り、そして売り続けてきた。レトロな商品ケースに並ぶ「げたのは」「銀山あめ」も、ゆっくり腰を落ち着け菓子を味見できる店のたたずまいにも、往時がしのばれる。この店は、鉱夫たちに愛され親しまれた味を継承し、ありし日々を今に伝える貴重な「時代の証言者」だ。石見銀山に来たなら、この「銀山ならではの菓子」を土産にしたい。
    昔ながらの店舗で、昔ながらの手作り菓子を売り続ける
  • spot 23
    震湯カフェ内蔵丞
    外観も館内もフォトジェニックな、温泉津温泉の人気スポット
    「温泉地」として初めて世界遺産に登録、また国の重要伝統的建造物群に選定され、ノスタルジックな温泉街で知られる温泉津(ゆのつ)温泉。銀の積出港だった港の奥に続く温泉街には共同湯が2か所ある。そのひとつが薬師湯で、その旧館をカフェにしたのが、温泉街の素敵なカフェとして注目を集める「震湯カフェ内蔵丞(しんゆかふぇくらのじょう)」だ。店名の「内蔵丞」は、温泉津で400年の歴史を伝える名家・内藤家の初代の名前にちなんだもの。木造2階建ての洋館は1919年(大正8)築で、温泉津で現存する「温泉施設」としては最古の建築物という。白い外観がフォトジェニックで、人気撮影スポットとなっているが、ギャラリーを兼ねたアンティークな館内も負けず劣らずフォトジェニックだ。大正ロマンがあふれる館内では、内藤家に伝来されてきた「奉行飯」や、薬師湯の源泉で蒸す「野菜蒸し」など、ここならではのヘルシーな料理が味わえる。本格的なイタリアンコーヒーやこだわりのデザートも評判だ。また、隣接する薬師湯では、良質の源泉かけ流しの湯を堪能できる。町並み散策後にひと風呂浴びて、湯上がりにほっとひと息ティータイムを楽しめば、きっと印象深い旅の思い出となることだろう。
    温泉津温泉の共同湯「薬師湯」の隣に、薬師湯の旧館だった震湯カフェが立つ。薬師湯では源泉かけ流しの温泉が満喫できる
  • spot 24
    鞆ヶ浦
    知る人ぞ知る石見銀山の「もうひとつの銀の積み出し港」
    石見銀山の銀の積出港としては「温泉津(ゆのつ)」がよく知られているが、銀山ゆかりの港はもうひとつある。温泉津が石見銀山への拠点となったのは毛利氏の支配下に入って以降のことだ。温泉津の北にある鞆ヶ浦は銀山から約6.5kmと近く、銀山の開発当初はここから銀が積み出されていた。石見銀山は1527年(大永7)、博多の豪商・神屋寿禎(かみやじゅてい)が沿岸を航行中、陽光に輝く山の頂に気づいたことから発見されたと伝わる。当時この地を支配していた大内氏はすぐさま銀山を支配下に治め、この鞆ヶ浦に港を造り、銀山までの道を整備した。そして博多から多くの船が来航し、賑わったとの記録が残っている。しかし、それはわずか30余年に過ぎず、毛利氏が1562年(永禄5)に拠点を温泉津に移した以降はひなびた静かな漁村となった。ここには目立った遺跡は残らず、船をつなぎ止めるのに使った鼻ぐり岩や、海上交通の安全を祈った厳島(いつくしま)神社などに往時がしのばれる。鞆ヶ浦の港は遠い日の面影をわずかに伝えるのみだが、温泉津とともに「世界遺産 石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産となり、集落内には世界遺産センターのサテライト施設「鞆館(ともかん)」がある。
    小さな入り江に、静かなたたずまいを見せる鞆ヶ浦
  • spot 25
    琴ヶ浜
    「日本の音風景百選」「日本の渚百選」に選ばれた美しい砂浜
    石見銀山の開発当初に銀の積出港だった「鞆ヶ浦(ともがうら)」のすぐ北側に、延長約1.4kmの琴ヶ浜がある。2008年(平成20)の映画『砂時計』の舞台にもなった、美しい円弧を描く砂浜だ。砂浜を踏んで歩けばキュキュッと鳴くような音がする「鳴き砂」の海岸として知られ、「日本三大鳴砂海岸」のひとつとされている。その琴ヶ浜には、「琴姫伝説」が残る。源平合戦の壇ノ浦の戦いに敗れて浜に流れ着いた平家の姫が、村人に助けられた礼に毎日琴を奏でた。その姫が亡くなり村人は悲しんだが、砂浜が琴のような音色で鳴くようになった。村人は姫の魂が浜にとどまり、自分たちを力づけてくれているのではと考え、浜を琴ヶ浜、姫を琴姫と呼ぶようになったという。 琴ヶ浜海岸の鳴き砂は「日本の音風景百選」に選ばれ、美しい浜は「日本の渚百選」に選定。また、車で約5分の場所にある砂の博物館「仁摩(にま)サンドミュージアム」では、鳴砂の紹介・展示もしている。
    砂に微小の貝殻が混じった砂浜は、歩くとキュキュッと鳴くような音がする
  • spot 26
    福光石石切場
    古代遺跡を彷彿させるミステリアスな異空間が地下に広がる
    石見銀山の銀の積出港「温泉津(ゆのつ)」からひと足延ばして車で10分ほど走った山中に、知る人ぞ知る注目スポットがある。それは、石見銀山の大森の町にある羅漢寺の「五百羅漢」でも使われた「福光石」の石切場だ。ここでは、室町時代から500年以上の長きにわたって福光石の採掘が続けられ、今もなお「現役の採石場」で、島根県内はもとより北陸や関東などに出荷されている。この福光石は火山活動による火山灰などが、1500万年もの年月をかけて「グリーンタフ(緑色凝灰岩)」になったもの。巨大な岩山に開かれた入り口から採石場の奥へと進むと、そこには地下とは思えないような大空間が広がる。ミステリアスな大洞窟を思わせる地下空間は「古代の遺跡」を連想させ、現在もここで採石が行われているのが信じられないような、「スピリチュアル」といっても過言ではない雰囲気が漂っている。この福光石石切場は「世界遺産 石見銀山」の構成資産ではないが、日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~「縄文の森」「銀(しろがね)の山」と出逢える旅へ~」の構成要素となっている。
    福光石は濡れると青緑色を帯び、まるで「地下湖」のような神秘的な景観を見せる
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旅のヒント

  1. その1

    石見銀山周辺の観光スポットを巡るなら車移動が便利。レンタカーを借りるのであれば、出雲空港からは石見銀山へは約1時間20分、温泉津温泉へは1時間30分。萩・石見空港からであれば、石見銀山へは約2時間、温泉津温泉へは約1時間40分。

  2. その2

    石見銀山の間歩(まぶ)を訪れるなら入ることができる時間が決まっており、駐車場からの距離もあるため余裕をもったスケジュールで巡るのがおすすめ。

  3. その3

    出雲空港から訪れる場合、石見銀山までの道のりでは中国地方で2つしかない活火山のうちのひとつ三瓶山(1126m)の眺望も楽しむことができる。

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