全国の遺跡/墓/古墳スポット一覧

  • 禅林寺・中里介山の墓
    旅行/観光
    東京都羽村市羽東3-16-23 禅林寺境内
    JR羽村駅から西へ進んだ羽村街道沿いにある禅林寺。ここには世界最長を目指して執筆された小説「大菩薩峠」の著者中里介山の墓がある。明治18年(1885)に羽村市で誕生。大正2年(1913)から昭和16年(1944)にかけて「大菩薩峠」を新聞連載していたものの未完のまま亡くなっている。彼の墓は本堂の裏にある高台にある。また積まれた石材は甲州大菩薩峠から運んだものを使用している。命日となる毎年4月29日には介山忌として法要が行われている。
  • 有岡古墳群
    旅行/観光
    香川県善通寺市善通寺町1785-1
    善通寺市の市街地を見渡せる場所にある古墳群。弘法大師の祖先ともいわれる豪族の墓群と言われている。元々善通寺市は古墳の街として知られる地域。市内全域に大小400基もの古墳が確認されている。中でも同じ系図の首長墓と考えられているのが有岡古墳群の中央に位置する「王墓山古墳」だ。全長46mの前方後円墳は6世紀半ばに作られたもの。石室からは土器類や装飾品、武器や馬具などが出土している。4/29は市が制定した「古墳の日」。この日は普段入ることができない王墓山古墳の横穴式石室内部や野田院古墳の墳丘などを公開している。
  • 宮塚古墳
    旅行/観光
    埼玉県熊谷市広瀬608
    荒川北岸の自然堤防上に所在する古墳で全国的にも発見例が少ない上円下方墳とみられている。墳丘規模は1段目の下方部が東辺17mx西辺24m・高さ約2m、2段目の上円部が直径約10m・高さ約2.15mを測り、葺石を備えており、7世紀末頃の築造だ。昭和31年(1956)、国指定史跡に指定された。
  • 福市遺跡
    旅行/観光
    鳥取県米子市福市461-20
    「福市遺跡」は周囲の住宅団地と学校用地造成の際、一帯が山陰における古墳時代の研究において非常に重要な価値を持つと認められた遺跡。日野川と法勝寺川の合流地点に位置するこの場所から数百もの集落跡や200以上の遺構、約35000点もの土器片が出土している。現在は遺跡の一部を現状のまま保存し、弥生時代の風景を再現した史跡公園として整備されている。春から初夏にかけては桜やツツジが咲き乱れる市民の憩いの場だ。
  • 古代出雲王陵の丘
    旅行/観光
    島根県安来市荒島町1965
    中海を望む荒島駅周辺は弥生時代から古墳時代にかけての墳墓が集中している地域。全国最大の方墳・造山古墳群を中心に仲仙寺・宮山・塩津山の4か所を公園として整備したのが「古代出雲王陵の丘」だ。園内の古墳は自由に見学することが可能。仲仙寺公園と宮山公園には弥生時代の王墓が、造山公園には方墳や前方後方墳など4基の古墳が確認されている。出土した墓の形状などから「出雲東部の古墳は四角い」ということを証明した古墳群で、現在は地元民憩いの場としても親しまれている。
  • 後鳥羽天皇御火葬塚
    旅行/観光
    島根県隠岐郡海士町海士
    承久の乱により隠岐へ配流となった後鳥羽天皇の山陵。生い茂る緑の森の中に火葬塚の鳥居が立っている。延応元年(1240)の崩御後遺骨の一部は京都大原法華堂に納められたが、残りの遺灰などはこの山陵に埋葬された。入り口から鳥居までは50mほどあるが、柵が設けられているため鳥居近くまで寄ることはできない。今でも町民の間では「ごとばんさん」と呼ばれ、神聖な場として扱われている。
  • 出雲阿国の墓
    旅行/観光
    島根県出雲市大社町杵築北2529
    出雲大社から稲佐浜へ向かう途中にある墓所。国道431号線沿いの駐車場から石段を登った先に、現在の歌舞伎の祖と言われる出雲大社の巫女・阿国の墓が立っている。質素な自然石で作られた墓は、尼僧となって読経と連歌を詠みながら余生を過ごした阿国の晩年を偲ばせる佇まい。安土桃山の時代、全国で出雲大社修繕の勧進を行っていた際に踊った踊りが現在の歌舞伎のもとになったと言われており、今でも芸能・歌舞伎関係者などが公演の成功祈願に訪れる。
  • 西谷墳墓群史跡公園(出雲弥生の森)
    遊ぶ/趣味
    島根県出雲市大津町2760
    JR出雲市駅から車で約10分の距離にある墳墓群。弥生時代から古墳時代にかけて作られた「西谷墳墓群」を公園として整備している。斐伊川と神戸川に挟まれたこの辺りは多くの墳墓が集中する地域。国内最大級と称される四隅突出型墳丘墓は、出雲の権力者たちの墓として全国的に有名だ。6基の墳丘はいずれも斜面が貼石で覆われ、石敷きや石列に囲まれている。ガラスの腕輪や葬儀に使用した土器などが発掘された2号墓内部は年末年始を除いて自由に見学することが可能だ。
  • 楯築遺跡
    旅行/観光
    岡山県倉敷市矢部
    岡山自動車道「岡山総社IC」から車で約15分。王墓山古墳の北側に作られた、日本で最大級の墳丘を持つ弥生時代の墳丘墓。弥生時代後期の築造で、円丘部は径約50m、高さ5m。墳丘頂部には5個の巨石が立てられ、斜面には円礫帯が巡らされている。内部からは朱の敷き詰められた棺と、それを納めた木製の槨の痕跡が発見されている。鉄剣と大量のガラス小玉、土製の勾玉なども見付かり、吉備を一大勢力にまとめ上げた大首長の墓と考えられている。
  • 伊計島 仲原遺跡
    旅行/観光
    沖縄県うるま市与那城伊計
    うるま市の南東を通る県道10号線から平安座島宮城島を経由した先にある伊計島、その中央部やや西寄りに位置する遺跡。国指定の史跡で、竪穴式住居跡や土器、石斧など多数の遺物が発掘されている。現在では復元された竪穴式住居を見ることができて、県内でも最大規模を誇っていることから観光客が多く訪れている。なだらかな地形で潮風の影響を受けやすいため、集落を囲むように木を生やし、自生する植物を使用するなど当時の人々が工夫した様子がうかがえる。
  • 幸地腹・赤比儀腹両門中墓
    旅行/観光
    沖縄県糸満市字糸満1367
    約5400平方メートルの敷地内に、トーシー墓(当世墓)と4つのシルシラシ墓がある沖縄県最大級の門中墓。「門中」「腹」とは父系の血縁集団のことで、2つの門中の子孫は現在約5000人ともいわれている。貞享元年(1684)の創建当時から明治元年(1868)までは1つの小さな亀甲墓だったが、近代になって子孫が広がり昭和10年(1935)に大改修され、屋根の形も亀甲形式から破風形式の家型の墓になった。見学可能だが、他家のお墓なので礼節を守って見学を。
  • 鬼八塚
    旅行/観光
    宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井
    高千穂神社近くのデザイナーズホテル・ソレスト高千穂ホテル前にある塚。高千穂に伝わる伝説「鬼八伝説」で三毛入野命(みけいりのみこと)に退治された鬼八の首塚と言われている。神代の頃、神武天皇の兄・三毛入野命が鵜目姫命(うのめひめのみこと)を助け出すため鬼八(きはち)という鬼を退治した。しかし鬼八は一夜にして息を吹き返したため、首・胴・手足とバラバラにして埋葬したのがこの塚だ。鬼八塚はこの首塚の他、高千穂町内に胴塚と手足塚の計3か所がある。
  • 熊本藩主細川家墓所・泰勝寺跡
    旅行/観光
    熊本県熊本市中央区黒髪4-610 立田自然公園内
    立田山の「立田自然公園」にある肥後藩主細川家の菩提寺・泰勝寺。緑に囲まれた園内に細川家初代藤孝夫妻と2代忠興、妻ガラシャの墓「四つ御廟」がある。現在は細川家から熊本市に貸与され、市民の憩いの場として親しまれる公園だ。茶室「仰松軒」は武人でありながら茶道にかけて国内随一といわれた忠興公の原図に基づいて復元されたもの。茶室にある手水鉢は京都で忠興公が愛用した後に豊臣秀吉や千利休も使用したといわれている。
  • 船塚古墳
    旅行/観光
    佐賀県佐賀市大和町大字久留間字東角
    昭和28年(1953)に県指定文化財に指定された、5世紀中頃と推定される全長114mの規模を誇る前方後円墳。後円部は径63m・高さ10m・前方部は幅62m・高さ9mの三段築成の美しい姿だ。墳丘の周囲には幅15m前後の周濠が盾型に巡っており、墳丘上には葺石がみられ、後円部頂からは家型埴輪が出土している。
  • 大室古墳群
    旅行/観光
    群馬県前橋市西大室町2545
    前橋市西大室町にある古墳群。6世紀に築造されたと考えられる「前二子古墳」、「中二子古墳」、「後二子古墳」、「小二子古墳」をはじめとした複数の古墳からなるもので、国の史跡に指定されている。一帯は歴史公園として整備されており、前二子古墳と後二子古墳では石室の公開も行われている。
  • 今和泉島津家墓地
    旅行/観光
    鹿児島県指宿市岩本
    今和泉島津家は島津家の跡継ぎが途絶えないよう設けられた「一門家」のひとつ。墓地には今和泉島津家初代の忠郷から代々の当主とその奥方が祀られている。14基の墓と100基あまりの灯籠が立ち並んでおり、この地を治めた殿様の威厳が感じられる。篤姫の父や兄などもこの地に眠るが、明治以降に亡くなった一族の墓は置かれていない。
  • 僧俊寛の墓
    旅行/観光
    鹿児島県大島郡喜界町湾
    喜界空港から車で5分。平安時代、平氏討伐を企てた鹿ケ谷の陰謀に失敗し、喜界島に流罪になった僧・俊寛の墓。この地は「ボウズンメイ(坊主前)」と呼ばれ、現在でも花や線香が絶えることなく備えられている。墓の周辺からは、高い身分の島外の者と思われる人骨や、その人骨には刀傷があったことなどから、俊寛本人のものではないかと言われている。毎年3月には、俊寛の遺徳を偲んで俊寛ジョギング大会が開催されている。
  • 和泊町の世之主の墓
    旅行/観光
    鹿児島県大島郡和泊町内城808
    沖永良部空港より車で20分のところにある琉球様式の墓。昭和41年(1966)に県の史跡に指定された。琉球王朝時代に島主(世之主)として沖永良部島を治めていた真松千代(まさぢよ)とその家族が眠っている。15世紀ごろ、中山王が沖永良部島へ遣わした和睦船を敵襲と早合点し、妻子ともども自害してしまったといわれる。石門で囲まれた奥にはサンゴ礁をくりぬいて作られた立派な納骨堂が残されている。
  • 三浦安針墓
    旅行/観光
    神奈川県横須賀市西逸見町3-57
    京浜急行「安針塚駅」または「逸見駅」から徒歩約20分。徳川家康の信任を得て外交顧問となった英国人・三浦按針(本名ウイリアム・アダムス)の領地に建つ供養塔。明治38年(1905)の調査で毛髪等の遺物が発見されたことから、墓であることが断定された。2基の供養塔のうち、凝灰岩の右塔が按針の墓、安山岩の左塔が妻の墓。墓のある「塚山公園」は見晴らしが良く、また桜の名所としても知られ、春には「三浦按針祭観桜会」が開催される。
  • 曽我兄弟の墓
    旅行/観光
    神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
    曽我兄弟を供養する3つの石造五輪塔。赤穂浪士の仇討ちや、伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちのひとつ「曽我兄弟の仇討ち」に登場する曽我兄弟の墓である。曽我十郎・五郎兄弟が源頼朝の巻狩りに随伴した父の仇、工藤祐経を討ったと伝えられる。石塔は兄と弟がふたつ並んで建てられている。その右手に建つ小ぶりな石塔は、十郎の妻、虎御前のものと伝えられている。

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