全国の文化財スポット一覧

  • 湯ノ山明神旧湯治場
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    広島県広島市佐伯区湯来町和田
    佐伯区湯来町にある湯治場。国指定の重要有形民俗文化財になっており、江戸時代には広島藩主浅野公も湯治を行っていた。現在はかつての湯つぼの下に共同浴場が設置されており、板壁に残された入湯者の墨書などで当時の様子をうかがうことができる。
  • 赤崎神社楽桟敷
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    山口県長門市東深川字土井の内2668
    長門市東深川土井の内にある野外劇場。赤崎山の北東斜面にある、すり鉢状の地形を利用している。約400年前、牛馬の疫病の平癒祈願を赤碕神社で行い、その成就への感謝を表すために楽踊などの芸能を奉納した。国の重要有形民俗文化財にも指定。
  • 旧長崎税関三池税関支署
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    福岡県大牟田市新港町1-25
    三池港の開港と同時に開帳した税関支署跡。明治41年(1908)に建てられたこの建造物は、国内でも数少ない明治期の税関庁舎遺構だ。建物は木造茅葺きの平屋建て。木製の円形飾りがついた天井や、窓に残る上下開閉式の仕組みが特徴だ。日本の近代化を支えた近代化産業遺産として市の指定文化財になっており、その名前は国内の世界遺産暫定一覧表にも記載されている。
  • 寺山炭窯跡
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    鹿児島県鹿児島市吉野町10710-68
    150年以上前に作られた炭焼き窯跡。大砲や鉄砲などの薩摩の鉄製武器を作る反射炉で燃やす炭を作るために作られ、普通の木炭よりさらに強い熱を発する白炭を作り出した。平成27年(2015)に世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつとして登録された。現在は自然散策路の一部となっており、車でアクセスする場合は寺山ふれあい公園に駐車して徒歩で移動することになる。
  • 旧商家丸一本間家
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    北海道増毛郡増毛町弁天町1
    稲葉町一丁目交差点付近に、明治35年(1902)築の姿をそのまま今に残す「旧商家丸一本間家」。明治8年(1875)呉服商に始まり、鰊漁の網元、海運業、酒造業と事業を展開。天塩国で随一の豪商と呼ばれた。出入り口左手にある呉服店舗は大火で消失した教訓を活かし、火に強い「木骨石造」建築の頑丈な造りで、当時の建築様式を知ることができる。修繕・復元された建物の内部を見学でき、貴重な調度品などを見学できる。平成15年(2003)に国指定重要文化財に認定された。
  • 旧時報鐘楼
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    群馬県伊勢崎市曲輪町28-23
    伊勢崎藩陣屋敷の敷地内にある、群馬県最古の鉄筋コンクリート構造の建築物。横浜で薬種商を営んでいた小林桂助の寄付によって大正5年(1916)竣工された。以降昭和12年(1937)まで市内に時報を届けていた。戦時の金属回収により釣り鐘や塔屋を供出されたが、戦後に復旧。市政施行五十周年の記念に大正当時の姿に復元された。レンガ積みの外壁やルネッサンス風の窓、そしてドーム屋根に大正ロマンを感じられる。
  • 旧曽我織物工場
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    群馬県桐生市本町1-7-15
    明治期に生糸商の奉公から糸相場で財を成した曽我助松により現在地を購入。大正11年(1922)二代目喜一郎の結婚を機に建造されたのがこの工場である。大谷石造り5連のノコギリ屋根工場で、昭和45年(1970)頃まで絹織物の操業を行っていた。現在は国登録有形文化財として保存されており、外観のみ見学可能。桐生市のかつての雰囲気を残している。
  • 平田家住宅旧店舗
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    群馬県桐生市本町1-6-28
    平成24年(2012)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された桐生の町。そのほぼ中央、通りの東側に位置する平田家は、初代平田宇八が嘉永4年(1851)に独立して雑貨商を始めた。その後染料や生糸などを扱うようになったが、戦時中は仕入れが困難に廃業。主屋と隣接する土蔵ともに平成18年(2006)に国登録有形文化財に登録された明治時代の町家建築の貴重な遺構である。
  • 杵原学校(旧山本中学校舎)
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    長野県飯田市竹佐377-1
    飯田市にある文化財。校舎の建築には、村民からワラや竹・縄等が提供され、昭和24年(1949)に完成した手作りの学校。昭和60(1985)年には、旭ヶ丘中学校と合併し閉校し、現在は観光・交流資源として活用されている。外観は自由に見学できる。
  • どうだん亭(旧浅井家住宅離れ)
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    愛知県尾張旭市霞ヶ丘町南298
    尾張旭市霞ヶ丘町南にある国指定の登録文化財。享保8年(1723)に現在の岐阜県飛騨市に建てられた合掌造りの民家を、昭和17年(1942)に陶器貿易商の浅井竹五郎氏が移築したもの。現在は尾張旭市の教育文化施設として利用されている。
  • 日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設
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    埼玉県深谷市上敷免28-10
    1886年(明治19)、東京を西洋風の首都にする計画が立案され、レンガ製造が必要となった。政府は渋沢栄一にレンガ工場新設を依頼し、利根川低地域が候補地となった。ドイツから招いた技師の調査により、上敷免村に日本煉瓦製造株式会社を設立することが決定。1888年(明治21)に操業を開始し、東京駅丸の内駅舎や法務省旧本館などの赤レンガはここで製造された。
  • 秋月の目鏡橋
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    福岡県朝倉市秋月
    福岡県の有形文化財「秋月の目鏡橋」は、秋月藩8代藩主・黒田長舒が1810年(文化7)に架けた石造りの橋である。木製の橋が度々損傷する秋月の状況を改善するため、長崎の石工を呼び寄せて建設した。しかし、長舒は1807年(文化4)に病死し、橋の完成を見ることはなかった。現在は近くに車道橋があり、主に徒歩で利用されている。
  • 西の原
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    長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2187-4
    福幸製陶所の跡地「西の原」は、2001年(平成13)の廃業後、西海陶器が継承。6611の敷地を活用し、新たな価値創造の場としてプロジェクトが始まった。昭和初期の建物や庭園はリノベーションされ、製陶所時代の面影を残している。2021年(令和3)には、主屋や細工場、絵付け場などが国の有形文化財に登録された。
  • 旧滝沢本陣
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    福島県会津若松市一箕町滝沢122
    旧白河街道沿いにある横山家は、江戸時代初めの延宝年間(1673-1680年)に会津藩主の休息所として設けられた。戊辰戦争時には本営となり、1868年(慶応4)に藩主松平容保が白虎隊に出陣を命じた場所でもある。建物は国の重要文化財で、当時の姿や歴代藩主の愛用品、古文書などが展示されている。また、刀傷や弾痕が残る戦いの痕跡をとどめる場所である。
  • 川棚魚雷遠距離発射場
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    長崎県東彼杵郡川棚町三越郷151-1
    1918年(大正7)に建造された大村湾の戦争遺構は、終戦まで魚雷の発射試験や最終検査が行われた場所である。戦況が厳しくなると学徒動員や女子挺身隊員が作業に当たった。終戦後、「空気圧縮ポンプ室」の屋根が外され、現在は廃墟と緑のコントラストが美しい景観を作り出している。近年は映画やアニメ、コスプレイヤーの撮影場所としても利用されている。
  • なごみの塔
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    沖縄県八重山郡竹富町竹富
    竹富島の玄関口、竹富東港から集落までは徒歩10分、バスやレンタサイクル、水牛車で5分。集落は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、白砂の道、サンゴ石灰岩の石積み、赤瓦屋根の民家が立ち並ぶ。島民は「うつぐみ」の精神で美しい景観を継承。観光客はルールとマナーを守りながら楽しむべきだ。
  • 埼玉りそな銀行旧川越支店(旧国立八十五銀行本店)
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    埼玉県川越市幸町4-1
    川越の一番街にあるヨーロッパ風建築は、1918年(大正7)に建築家保岡勝也により建てられた埼玉初の銀行、国立八十五銀行(現・埼玉りそな銀行川越支店)である。ルネサンス様式とイスラム建築の特徴を持つこの建物は、1996年(平成8)に国の登録有形文化財に指定された。保岡は丸の内の赤煉瓦オフィス街などを手掛けた名建築家で、川越には他にも彼の作品が現存している。
  • 旧瓜生家住宅
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    福井県鯖江市水落町4-7
    鯖江市水落町4丁目にある歴史的建造物。隣接する神明社の宮司を代々務めてきた瓜生家の住宅で、17世紀末から18世紀初頭の元禄年間に建築された。県内に現存する最古の民家で、国の重要文化財にも指定されている。
  • 重要文化財 時國家
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    石川県輪島市町野町西時国2-1
    輪島市街から国道249号を東へ約20km進んだ場所にある茅葺屋根が特徴の邸宅。源平合戦で敗れ能登に流された平時國を祖先としその後二家に分立。こちらは分家の邸宅であるため「下時國家」とも呼ばれる。邸宅は木造平屋であり、40坪の大土間に作られた壮大な大黒柱や巨大な梁組に見どころがある。また併設された二千坪の回遊式庭園は邸宅と共に重要文化財に指定。5月上旬にはキリシマツツジが見頃となるほか、能登安徳天皇社といったパワースポットも存在する。
  • 箱根の石仏群
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    神奈川県足柄下郡箱根町元箱根110-228
    精進池周辺の石仏群。かつてこの辺りの道は鎌倉時代に使われていた街道「湯坂路」の一部であり、そのなかでももっとも厳しい峠だった。生き物の姿のない精進池付近は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の分かれ道であるとされてきた。そのため、六道を見守る地蔵菩薩信仰が盛んになり、多くの石仏が建てられた。これらは中世の地蔵信仰を物語る遺物として国の重要文化財に指定されている。

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